一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅

 津山から三次へ、そして関金駅で撮った写真です。この倉吉線はすでに廃線になっています。当時は倉吉-関金間でC11牽引の客レが走っていました。終点は山守ですが、機関車の付け替えができないので、客レは関金駅の折り返しです。昼下がりの関金駅で改札口の向うにあるC11を撮っていると・・・・

S-MN関金駅001

シャッターを押すと同時にオジサンが走り抜けて行きました。当時はデジカメでないので現像しないとどのような写真になっているかわかりません。現像をして画像を見ると、ご覧のとおりです。 ホットしたのですが、それよりもドンピシャのタイミングでシャッターを押していたのでびっくりポン。なんという偶然なのか。1974年(昭和49年)3月15日のことでした。

4 thoughts on “一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅

  1. どですかでん様、
    良い写真ですね。木製ラッチと蒸機の組み合わせが懐かしさをかき立ててくれます。斜めに差し込む冬の陽ににおいまで感じ取れます。
    たしか最晩年の倉吉線の写真を撮りに1900生さんともう一人だれだったかと行ったことを思い出しました。明け切らぬ倉吉でアッシュを落としていたC11 を撮りました。

    • どですかでんさま
      早速の投稿ありがとうございます。

      米手作市さま
      昭和48年7月15日に倉吉線に行ったのは1900生さんともう一人は私です。確か大阪発のだいせん2号で4:00過ぎに倉吉に着いたのではないかと思います。倉吉駅にはC1141が休んでいました。アッシュを落としていたのはこのC1141です。駅を出て上灘駅に向かって歩き 竹田川橋梁に着いた頃には明るくなってきて 始発の混421レを撮影。上灘駅から443Dで関金へ。関金7:46発の422レを写して、446Dで西倉吉か打吹に戻り423レを写し、西倉吉から424レで11:10に倉吉着。そのあと鳥取から若桜線に行きました。若桜線はすでにDE10でしたが、やはり混合列車でした。若桜線のあと帰京したのだと思いますが詳しい記録がありません。私は当時院生で夏休み中だったと思いますが、お二人は社会人。カレンダーを調べると7月15日は日曜日です。従って14日土曜日の夜行で発って、日曜の夜に帰ったようです。この夜行1泊旅は誰が言いだしっぺだったのかさっぱり覚えがありません。多分1900生さんではないかと。早朝から良く歩き、40数年前は若かったのだなと思い返しました。

      • 西村様、
        思い出しました!貴兄でした。あの日は暑かったですね。
        言い出しっぺはいつも1900生さんです。私は始発の時間だけを覚えておいて、後はついていくだけ。
        これは今も変わりません。三江線も1900生さんのスケジュールに合わせるつもりです。

  2. 米手作市様
    写真を気にいっていただきありがとうございます。この写真は関金駅で撮った8枚の写真の内の最後で、36枚撮りフィルムのNo.36です。気にいっている写真が何枚かあるのですが、これもその一つです。この時と同じように写真を撮ってると改札口を人が走り抜けて行ったことがありました。長野電鉄屋代線綿内駅でのことです。この時はデジカメでしたのですぐに見ることができましたので、見るとこの写真もいい感じでした。この時、つい関金駅でのことを思い出してしまいました。
    西村雅幸様
    1年前の夏に倉吉線に行かれたのですね。私の倉吉線行きは津山、三江南線、倉吉線という順番ですが、津山の前に下津井電鉄も行っています。そうすると、下津井電鉄から津山線で岡山から津山へ、そして三次、三江南線です。ここから倉吉線へどのように行ったのか。当時の山陰均一周遊券があったので見てみると出雲市の下車印がありました。この時にフィルム撮影残数が8枚でしたので倉吉線用に残していたので3月14日は全く写真を撮っていません。そうすると三次から木次線を通って行ったのではないかと推測されます。今でいう卒業旅行というものなのでしょうか。

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