EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -3-

烏丸今出川をめぐる(2)

・EVE 西村0021【9】昭和48年に開館した図書館を背後に見て、烏丸今出川の交差点を左折し、今出川通に入る15系統。車輌は600形を連結市電用に改造した2600形だが、この頃は、単行ワンマンカーで使用されていた。(昭和49年 撮影/西村雅幸)

131130_030sysy交差点西南角から撮られた写真で、前回の写真【7】と同じ角度から撮られている。現況と比べても、背後の図書館には全く変化がなく、この角度だけ切り取ると、40年も経過しているとは思えないほどである。

 

・EVE 佐々木IMG0007sy【10】午後も3時を過ぎると、下校の学生・生徒で市電も市バスも各方向が混雑する。長距離系統の22番は15分以上運転間隔が空くことも、珍しくはなかった。  (昭和49年 撮影/佐々木秀隆)

交差点東南角から今出川線の東行き停留所をとらえた。撮影者のキャプションどおり、22系統は、いつ来るか全く読めない、アテのできない系統として有名だった。

・EVE 貝塚【11】烏丸線の最終日、交差点を渡る6系統700形。烏丸線は京都市電の中で乗客数の多い路線だったが、地下鉄建設工事のため、昭和49年3月を持って廃止された。同時に廃車となる700形も乗り納め客で満員の様子。(昭和49年 撮影/貝塚恒夫)

他車とは違う明るいライトグリーン塗装で、軽快なスタイルの700形は、烏丸線の沿線によくマッチしていた。700形は大きく701~723の直接制御車、724~748の間接制御車に分けられる。しかし、保守に手間の掛かる間接制御車は嫌われ、ワンマン化改造も車体構造上困難なことから、昭和47年の四条千本大宮線の廃止時に廃車となり、残る直接制御車も烏丸線廃止を機に廃車となり、寿命はずいぶん短かった。

・EVE 佐々木IMG0005sy【12】午前5時30分、烏丸今出川折り返しの東行一番電車。車ひとつ通らない静寂の街。室町BOXに泊まり込んで撮影した。(昭和51年 撮影/佐々木秀隆)

131130_031sy車庫を午前5時に発車する一番電車以降、早朝の市電は、正規の系統で終点まで行くと、折り返しに時間を要してしまうため、途中の渡り線のある停留所まで臨系統で行き、そこで折り返す系統があった。烏丸今出川は、このようなポイントでもあった。現況は。ここも御所と図書館と変わりない。

EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -3-」への1件のフィードバック

  1. 非常に懐かしい写真を拝見ありがとうございます。76年度産関OBですが・・・その以前72年度から76度まで新町学舎の二階に人知れず一部分夜間高校が存在していました・・・そのOBで市電がしっかり走っていたのをよく覚えています。また、22番もその前に西大路九条まで一年間乗ってました。非常に懐かしく拝見いたしておりました。ありがとうございます。

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