今出川通に沿って
今出川線の市電は、烏丸線に遅れること2年、昭和51年3月に廃止された。南に京都御苑、北に同志社と、緑豊かで絵になるところだった。京都市電がよく似合っていた。37年後の今も、市電がいないだけで、その風景は変わっていない。
【19】西行きの「同志社前」電停に停車する15系統500形。「急行通過」の表示が見えるが、平日の朝、乗降数の少ない停留所をすべての市電が通過するもので、若干の速度向上に寄与した。(昭和40年 撮影/中林英信)
▲500形の元気な姿や、人々の服装や様子がよく伝わって来る、50年近く前の「同志社前」。それにも増して、カラーの保存状態もよく、当時がよく再現されている。
【20】重要文化財に指定された冷泉家住宅の前を行く。文化財の補修保全工事が行われる前で、現在と比べると、ずいぶん荒れている。今出川通北側には多くの公家屋敷があったが、同志社が次々に土地を購入し、結果的に冷泉家だけが同志社に取り囲まれるようにして残ることになる。 (昭和51年 撮影/福田静二)
▲冷泉家は、今年、天皇も訪れただけに、きれいに整備された。背後の同志社の建物にも、少し変化があり、昭和57年に竣工した、文学部研究室などのある光照館が正面に目立つ。
【21】雨の「同志社前」。濡れた道路が反射して、何とも言えない風情があった。背後に松並木が見られるが、これは、今出川通に市電が開通した時、針葉樹は騒音防止に効果があるとして、当時の同志社理事が寄付したと言う逸話を持つ。(昭和50年 撮影/福田静二)
▲「同志社前」の電停名は、この今出川線の廃止で消えてしまうが、それから10年、片町線に「同志社前駅」が出来た時は、驚いた。
【22】「同志社前」は、それほど乗降数は多くなかったが、女子部の中高生の下校時だけは、電停も満杯となった。(昭和50年 撮影/福田静二)
▲現在の同付近。市電時代は一時とは言え、結構な乗客もあったが、今出川通の交通体系も変化したのか、人通りは少ない。私は週一程度に、今出川通の市バスに乗るが、いつも同志社前は通過してしまう。
【23】栄光館前の今出川通を行く、15系統600形。、オート三輪車の左に、かつて所在した二条家の塀と屋敷が残っているのが見える。現在は、女子大の新校舎が建っている。(昭和34年 撮影/沖中忠順)
500型を撮影した頃
まだ中高年の婦人が普段の外出に着物を着ていた昭和40年(1965年)である。当時通信員(1962年度生)は京阪特急1900系で北浜から三条まで学生服でたまには下駄履きで通っていた。1962年入学当時は京阪電車は天満橋が終点で淀屋橋乗り入れ工事中だったので、大阪駅から80系国電に乗っていた。京都駅では急行玄海の食堂車マシ29や姫路鳥羽間の快速列車に
三等車マハ29の三軸台車を履いた客車が連結されていた。京都駅から烏丸今出川までは京都市電のお世話になった。700型は京都市電の伝統スタイルを軽快に近代化したもので明るい色調とともにとても気に入っていた。HOの模型をボール紙で手作りし、Z型ビューゲルに苦労した。
同志社前停留所の500型は、当時大ベストセラーだった旭光学製のペンタックスSVで、小西六写真工業の天然色リバーサルさくらカラーフィルム使って撮ったものです。SVは入学した年に発売(当初定価34900円)されたもので、現存する機体には1963.12.26とダイモテープで印字してある。さすがにサンタさんにもらった記憶はない。「さくらカラーは日本の色です」と宣伝されていましたが、現像時の紙箱に入れ木製の本箱の引出しに入れたままで、50年近くなっても退色は全くない。学生の身にカラーフィルムは高価で、慎重にチビチビとシャッターを押すクセがつき、デジカメになっても治らない。
旭光学・小西六ともに吸収合併され当時の先駆者の面影はない。企業の存亡や技術の革新は激しく、50年前の有形の画像が、再び思いもよらないWebという技術で無形の姿となり何時でも何処でも誰でも見られるようになるとは感慨深いものがある。これもひとえに、総本家青信号特派員さまの投稿のおかげである。
大阪通信員様
こちらこそ、断りもせず勝手に写真を載せてしまい、失礼しました。
大阪通信員さんは、ずっと京阪で通学されていると思っていましたが、入学当時は国鉄で通っておられたのですね。マシ29、鳥羽快速…、古きよき時代です。
ペンタックスSVは、私も初めて親に買ってもらった一眼レフでした。昭和41年、高校1年の時でした。最初は、ピンボケやブレばかりで、買ったことを悔やんだのですが、それは腕が悪いだけでした。慣れてくると、シャープなピント、豊かなコントラストと、値が高くて買ってもらえなかったニコンFよりも、優れたカメラだと自認していました。大学時代は、すべてSVでの撮影で、その後のカメラは、処分したりして手元には残っていないのですが、SVだけは処分するに惜しく、いまも押入れの奥深くに保存しています。
小西六のフィルムもよく愛用しました。フジより安い、という理由だけでしたが、今も色はちゃんと残っています。
大阪通信員さんも書いておられるように、ブランド名は残っても、旭光学も小西六も会社は存在しません。趣味生活を続けていると、企業の有為転変をも見るものだと思いました。