第2日目 11月18日
今日はえちぜん鉄道の撮影予定ですが、暴風雨の朝を迎えました。TVやYahooの天気予報を見ますと、低気圧が日本海上にあって不安定な天候になるとの予報です。そしてここ1週間の北陸は、殆ど雨予報になっています。北上すべきかどうかの決断が必要になってきました。今日一日は、えちぜん鉄道沿線の撮影を続けて様子を見ることにしました。
9:04 風の治まるのを待ってロケハンをしながら三国港から東尋坊近くに行って海を見てみましたが、ご覧のように激しい波が打ちつけています。
左の海べりに建っている旅館は大丈夫なのでしょうか。
青空も見えていますが、黒い雲がいつでも雨を降らすよと告げています。
▲ 駅名板です。ホームには三国港駅やこの路線の歴史資料館ができていました。館内の撮影は残念ながら禁止されていましたので、メモった展示等を参考に説明をさせていただきます。
▲ 9:14 三国港駅に到着しました。駐車場にはかつての国鉄北陸本線三国支線時代のホームの遺跡が1部残されて、説明板が設置されていました。
【 国鉄北陸三国支線 三国港駅】
古くから北前船交易でにぎわっていた三国の町ですが、明治30年に開通した北陸線(福井~小松)のルートからは大きく離れてしまいました。物流の中心は海運から鉄道に代わり、危機感を持った地元の熱心な鉄道誘致嘆願運動により、海運連絡線として明治44年12月15日に金津(現;芦原温泉)~三国、8.69キロが開業しました。
大正2年1月1日には、三国駅構内扱いで1.13キロが延伸されて三国港荷扱い所として開業なりました。同年7月1日には旅客扱いが開始されて停留場に昇格し、三国港駅が誕生しています。全国では、まだ幹線整備されていなかった頃に、わずか9.8キロの支線が開業したことは極めて異例のことだったそうです。
昭和9年3月1日には新鋭ガソリンカー(多分41000形?、館内の説明には42000形と説明文がありましたが、まだ製造前ですし、写真を見ても違っています)が投入されて福井~三国港には1日8往復が運行。後に武生まで延長運転さてました。SL列車も併用運行。しかし、昭和15年11月1日には、軍備によるガソリン消費規制からガソリンカーが廃止され、元のSL列車に置き換えられました。
昭和19年10月、戦時の不要不急路線として国策により三国支線の営業は休止、三国~三国港を除いてレールは撤去されて軍事鉄材として供出、三国~三国港は京福電鉄に譲渡され電化(DC600V)されて営業開始しています。
戦後の昭和21年8月には国鉄金津~芦原、4.5キロの運転を再開、芦原~三国港は京福鉄道が走る線路を共用して運行されました。しかし、赤字路線として、昭和47年2月29日、国鉄三国支線は廃止となり、61年間に渡った営業は終わりました。
▲ 現在はえちぜん鉄道三国芦原線の三国港駅として使用されていますが、かつては国鉄駅でした。当時は、別れて東尋坊口まで伸びていました。
この路線は、福井の絹織物が盛んな地域と三国港を直結し、物流を良くするために加越電鉄が計画したものの不況の影響で頓挫、その後に設立された吉崎電鉄(昭和2年に社名を三国芦原電鉄に改称)が事業を継承して、昭和4年1月に福井口~電車三国)が全通、昭和7年5月28日に電車三国~東尋坊が延長開業になりました。
芦原~電車三国は、国鉄線と並行して敷設されましたが、電車三国から終点の東尋坊口までは離れていました。オーバークロスした跡は残っていますが、その先の廃線跡は道路となって痕跡はありません。
昭和17年8月1日、国の鉄道会社統合政策に従い、三国芦原電鉄は京福電鉄に合併され、同社の三国芦原線となりました。
昭和19年1月8日には国鉄線よりも先に電車三国~東尋坊は国策により営業休止、レールは撤去、軍用鉄材として供出されています。その後は再開されることなく昭和43年3月21日に廃止許可がでました。
▲ 国鉄時代に造られた眼鏡橋は今も三国港駅手前に残っています。かつては、C12が牽引する客車列車や41000形がくぐり抜けていたのですね。「ねじりまんぽ」と呼ばれる工法で作られたこの橋は、レンガがうねるように積まれていて、重厚な造りとなっています。
歴史資料館を出ますと急に空が黒くなって、激しいアラレの豪雨に見舞われました。まさに山田君が言っていた「弁当忘れても傘忘れるな」の日本海側独特の冬の到来を告げる洗礼です。走ることは危なく、しばらく待機を強いられました。
▲ 12:40、ようやくアラレも止みました。廃線跡を辿った後、そろそろお腹も空いてきましたので、市内案内パンフから探してそば屋に入りました。三国駅から近く、中々美味しいおそば屋さんでしたので、ご紹介します。福井はやはりおろしそばが一番ですね。
13:56、午前中のロケハンでマークしておいた番田駅に着きました。
番田~本荘の竹田川鉄橋に向かう築堤が撮影ポイントとなると思いました。
▲ 14:16 福井発三国港行の列車です。ラッシュ時とは違って単行運行。車両は、元愛知環状鉄道の300形改造のMC6101形、6106号です。
ここが夕日バックだったら綺麗に抜けますが、残念ながら左方向に沈むようです。
▲ 14:22、あわら湯のまちで交換した福井行き列車が温泉街をバックに向かってきました。車両は、元愛知環状鉄道の100形改造のMC6101形、6108号です。
▲ 14:44 1駅先の本荘~大関に場所を移動して山をバックに入れますが、ギラリになっただけでした。元JR東海の飯田線用119系を改造した7001+7002です。これは片運転台ですので2連ですね。
▲ 14:55 反対側に移動して、こちらでは抜けるかどうかを見ましたが、夕日がバックに来なければ無理なようです。走る車両は先ほどの折り返しの6106号です。乗客はわずか、アテンダントさんも手持ちぶさたのようですね。
▲ 15:31 それではと、今回夕陽をバックに上手く撮れる雄一のポイント、下兵庫~西長田の兵庫川鉄橋に場所を代えました。
前回に日没の夕陽を入れて撮った場所でしたが、今日は夕陽が現れません。仕方なく左のカットを狙うために訪れましたが、その前の鉄橋を渡るシーンを上手く撮れました。今日一番のカットになりました。クサイ場所と諦めていましたので意外でした。
▲ 15:53 再び番田~本荘の竹田川鉄橋に向かう築堤に戻って、夕焼けが見えないかとの撮影です。7005+7006の編成です。
▲ 16:18 先ほどと同じ築堤でのカットですがバックが夕闇に変わっただけになっただけでした。期待した夕焼けにはなりません。
▲ 16:46 こういう天候には最後にご褒美が来るものです。諦めず夕日を求めてぶんしゅう7号を走らせます。
本荘~大関に場所を移動しました。すると、突然に思わぬ方向の雲間から夕日が出ました。じっと待ちましたが、列車が来たのは日没後でした。
この場所は上手く抜けるかも・・。次回に頑張ってみましょう。
これで今日の撮影は切り上げました。今夜の温泉は、昨日同様のえちぜん鉄道あわら湯のまち駅からすぐ近くの「セントピアあわら」、宿営地も「道の駅さかい」としました。
ぶんしゅう7号の車内です。
今夜もTVを見ながら、スーパー閉店間際に買った値下げ弁当や総菜を食べながら、熱燗で疲れを癒します。
今夜の惣菜は解禁なったえちぜん蟹の大好きなセコ蟹です。
そして今回からはいつも持っていくノートPCの画面が小さく見づらいので、新たに17インチディスプレイを購入して積み込みました。電源は、車のバッテリーからインバーターで、AC100Vに変換して使用しています。消費電力は28Wです。バッテリーは大容量に積替えていますので、1日中つけっぱなしにでもしない限り、バッテリー上がりは心配ありません。インバーターにはもしもの電圧低下時には、強烈な警告音とシャットダウンの保護回路も付いています。
購入価格はアウトレットでわずか2,000円でした。ちなみにインターネットは、携帯をipone5にしていますので、共有でつながります。長旅を続けていますが、自宅にいる時と変わらずの不自由ない快適環境ができ上がりました。
さて明日からの予定ですが、最新の天気予報をチェックしますと、福井から富山方面にかけては週末まで強風、雨多しの不安定な寒い毎日になるようです。逆に福井から西方面は晴れの日になるようです。DRFC-OB会では、来年春に北近畿タンゴ鉄道ツアーイベントを開催されることが決まっています。担当者に命じられていますので、最近の状況も調べておかねばなりません。丁度良い機会ですので、北上を諦めて西へとハンドルを切り替えることにしました。 Part3へ続く