叡山電鉄デオ300型

タイトルの、叡山電鉄デオ300型より私には「京福電鉄叡山線デオ300型」のほうがしっくりきます。と言うのは、高校時代はこれで通っていたからです。音が静かで乗り心地がよく、加速性のもいいので「もったいないなぁ」と思いつつ、この電車がくるのを楽しみに待っていました。
当時の京福には知り合いの社員さんがいて、床下機器の配置が悪く、(どちらかに:忘れました)傾いていると教えてもらったことがありましたが、本当だったのかは分かりません。

関先生にしては、ちょっと架線の交差が曖昧ですね!
京福電鉄デオ300型_NEW

叡山電鉄デオ300型」への3件のフィードバック

  1. デオ300ですか。懐かしいですね。仰せの通りやはり「京福電鉄叡山本線・鞍馬線デオ300型」でしょうね。
    小生も初めて乗った時のことを鮮明に覚えています。入学式の日、出町柳から発車間際に満員の鞍馬行、それも車掌台前に乗ったため、起動時のきつい加速度で乗客がドッともたれかかってきて、押しつぶされて死ぬのではないかという恐怖感を感じたものです。出町柳から宝ヶ池まで6駅の発車ごとでしたから、高加速・高性能を味わうどころではなかったですね。
    それにしても日立も何を考えてあんな行き過ぎた高性能車を造ったのでしょうかねえ。高性能車とポール集電というミスマッチは楽しかったですが。このあたりの話はプルプルさんが詳しく、車体の傾きの件と共に色々伺ったことがありました。
    記憶によると、当時大手私鉄では初期世代の高性能車が現れつつある頃で、おそらく次は中小私鉄だとして、中小への売り込みデモ用に開発したのではないか、ということのようでした。どこかの注文流れでも無かったようです。当時の叡山・鞍馬線では旅客の増加と木造デナ1型の対応に迫られていたようで、この300を導入(売り込まれた?)してのちに、デナ1の廃車と車両増強のために、記事にある通り阪神の小型車を譲り受けています。
    室町BOXでよく大手各社の高性能議論をしていましたが、当時最高加速度を誇った阪神のジェットカー並みか、それを凌いでいたのではないでしょうか。とにかく中小にはあるまじき高加速・高減速車で、発車停車ごとに乗客は前後に大きくゆすられていました。
    車体の傾きはプルプルさんと修学院車庫で実地検分したことがあり、確かに傾いていました。いま思えば空気ばね台車のレベリング機能で水平になるはずですが、それが働いていなかったのか、修整できない位の傾きだったのかはもうわかりません。
    しかしともあれ電車としては優秀な性能だったと思います。惜しむらくは記事の通り、叡山・鞍馬線という、高性能を発揮しにくい路線に投入されたことは、デオ300にとっては不運だったですね。

  2. 1900生さんがコメントに書かれているように京福デオ300といえばプルプルさんです。デジ青でなく青信号25号に模型特集があって、その中の記事で「模型班参加番組 座談會(ぢゃだんくゎいと読む)」がありました。その参加者に「某車輌会社のこづかい 京福デオ300を3年がかりで作っているが、お人好しのため、他社の車輌をどんどん請負って、自分の車輌が全然完成しない。それでも車輌を作っていれば最高に幸せ!車輌が俺の命なのダ。山の上でカスミを喰らって生きているのです。得意なセリフ→おいナポレオンやろか!エー、ハート13、副官・・・」という方が。室町BOXで未完成のデオ300を見せてもらいましたが素人目には完成しているように見えるんですが・・・京福のデオ300もこだわった電車でしたが、プルプルさんのデオ300も同じようにこだわった電車でした。

    • 懐かしいエピソードを有難うございました。そういえばプルプルさんから真鍮色のデオ300を見せてもらったことを思い出しました。確かポールも装着されていて、もう完成品かと思った記憶があります。ポールは塗装時にはまた外すと仰ってました。塗装前に一旦完成させるという主義でしたね。
      BOXでのナポレオンも懐かしい想い出です。没頭したり引き止められたりして、何度講義をサボッたことか。同期のY室君が感染源だったはずです。

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