国鉄阪和線モタ3000系 投稿日時: 2015年2月17日 投稿者: 米手作市 タイトルの「国鉄阪和線モタ3000系」は正しいのか?という疑問はさておき、昭和40年5月に鳳電車区へEF52とED16、ED60を撮影に行きました。残念ながら電車に興味がなかったためほとんど電車の写真は撮っていませんでしたが、それでも数枚はありました。 でも形式が分かりませんので、クハ25111がモタ3000系の仲間なのか教えて下さい。その他の怪しい電車に関してもご存じの方、よろしくお願い致します。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: がんばれ若桜鉄道 叡山電鉄デオ300型 教えて下さい! 中国地方から謹賀新年 備南電鉄モハ100 浜大津ターミナル復元(その5) ・・教えて下さい! 893-2さんへ質問 高島町駅の写真ありがとうございます
米手作市も書かれている怪しい電車についてですが、写真を見ているとEF52の左側に一部しか写っていない電車のドアにある窓の中央に桟があります。その他の電車は国電お決まりのHゴムを使ったガラス窓でプレスドアのようですが、この中央に桟があるドアは当初のままなのでしょうか。このことも、どなたか教えてください。 返信 ↓
部外者が失礼いたします 1960年版の国鉄形式図集では クハ25100~25102が挿絵の様な生まれながらの片運(変な言葉ですが) クハ25103~25115は両運車の片側の運転室をつぶし、運転室ドアをつぶし狭巾窓となっております。後ろの電動車が運良く電装された旧モタ3000ですね。 でも1960年のモタ3000系クハ両数は16両ですからクハは全車戦災にも遭わず戦後15年間1両も欠けずに生き残っていたのはめでたいです。 因みにこの形式図集では国鉄の正式称号をもらっていることから優秀な旧阪和の車両は当時も一目置かれていたのでしょう。 返信 ↓
米手作市さま 旧阪和電鉄の車両で窓の上側が丸くなっているものは私もぼんやりと記憶があります。本からの受け売りですが、昭和38年発行、慶応鉄道研究会の電車ガイドブックに一連の買収国電が載っていて、それによると、クハ25には旧クタ700型とクタ750型を改造改番したクハ25000~005,クヨ500を改造改番したクハ25050~056,旧クタ7000型を改造改番したクハ25100~115,旧クタ600型を改造改番したクハ25200~204の4タイプがあるそうです。また3枚目の写真の怪しい電車は窓の配置から旧モタ300型を改造改番したクモハ20000~027と思われます。なお、1963年4月時点で鳳区の買収車はクモハ20が3タイプ38両、クハ25が4タイプ34両となっていましたので、米手作市さまが撮られた怪しい電車はいずれもこのどちらかと思われます。 返信 ↓
イラストの7001は、クタ7001で、後にクハ25100となり、米手作市様が撮影されたクハ25111と同一グループの車両です。 但し、村樫四郎様の書込みの通り、クタ7001~7003→クハ25100・25101・25103は新製時より片運、クタ7004~7013→クハ25104~25108・25102・25109~25112は新製時両運のため連結側の窓配置が異なります。 関 三平さんの解説の通り、当初モタ3001~3007の予定のところ、電装されたのは3001~3004の4両のみで、3005~3007の3両は、クタ3005~3007となり、クハ25113~25115となりました。形態的にはクハ25104~と同一です。 3枚目の先頭車は、クモハ41のモーターを128KWに取替えたクモハ60151~157(奇数のみ)のグループで、貫通扉の形状からクモハ60153と思います。 続く2両目は、大津の86様の書込みの通り、3両目はモハ70300番代、4両目はクハ76300番代、その後ろは、元モタ300のクモハ20、ラストはクハ55と続きます。 返信 ↓
米手作市も書かれている怪しい電車についてですが、写真を見ているとEF52の左側に一部しか写っていない電車のドアにある窓の中央に桟があります。その他の電車は国電お決まりのHゴムを使ったガラス窓でプレスドアのようですが、この中央に桟があるドアは当初のままなのでしょうか。このことも、どなたか教えてください。
なんと懐かしい車両が登場したものです。1950年代の花形車両で、良く乗車しました。またの様な車両があればどんどん映して下さい。本当に有難う御座いました。
部外者が失礼いたします
1960年版の国鉄形式図集では
クハ25100~25102が挿絵の様な生まれながらの片運(変な言葉ですが)
クハ25103~25115は両運車の片側の運転室をつぶし、運転室ドアをつぶし狭巾窓となっております。後ろの電動車が運良く電装された旧モタ3000ですね。
でも1960年のモタ3000系クハ両数は16両ですからクハは全車戦災にも遭わず戦後15年間1両も欠けずに生き残っていたのはめでたいです。
因みにこの形式図集では国鉄の正式称号をもらっていることから優秀な旧阪和の車両は当時も一目置かれていたのでしょう。
米手作市さま
旧阪和電鉄の車両で窓の上側が丸くなっているものは私もぼんやりと記憶があります。本からの受け売りですが、昭和38年発行、慶応鉄道研究会の電車ガイドブックに一連の買収国電が載っていて、それによると、クハ25には旧クタ700型とクタ750型を改造改番したクハ25000~005,クヨ500を改造改番したクハ25050~056,旧クタ7000型を改造改番したクハ25100~115,旧クタ600型を改造改番したクハ25200~204の4タイプがあるそうです。また3枚目の写真の怪しい電車は窓の配置から旧モタ300型を改造改番したクモハ20000~027と思われます。なお、1963年4月時点で鳳区の買収車はクモハ20が3タイプ38両、クハ25が4タイプ34両となっていましたので、米手作市さまが撮られた怪しい電車はいずれもこのどちらかと思われます。
米手作市様
よくよく見ましたら3枚目の写真の先頭車は側面に縦樋がないことからクモハ51かクモハ60のようです。2両目の少し腰高なのがクモハ20でないでしょうか。
イラストの7001は、クタ7001で、後にクハ25100となり、米手作市様が撮影されたクハ25111と同一グループの車両です。
但し、村樫四郎様の書込みの通り、クタ7001~7003→クハ25100・25101・25103は新製時より片運、クタ7004~7013→クハ25104~25108・25102・25109~25112は新製時両運のため連結側の窓配置が異なります。
関 三平さんの解説の通り、当初モタ3001~3007の予定のところ、電装されたのは3001~3004の4両のみで、3005~3007の3両は、クタ3005~3007となり、クハ25113~25115となりました。形態的にはクハ25104~と同一です。
3枚目の先頭車は、クモハ41のモーターを128KWに取替えたクモハ60151~157(奇数のみ)のグループで、貫通扉の形状からクモハ60153と思います。
続く2両目は、大津の86様の書込みの通り、3両目はモハ70300番代、4両目はクハ76300番代、その後ろは、元モタ300のクモハ20、ラストはクハ55と続きます。
前回書き忘れましたが、EF52の左側に一部しか写っていない電車のドア窓の中央の桟は、新製当初からのものです。
皆様、ありがとうございます。
さすがは当欄の愛読者ですね。檜垣様、村樫様、今後ともご愛読、ご指導をよろしくお願い致します。