浜大津の建物群は順調に製作が進んでいます。建物ばかりを作っているわけにもゆかず、そろそろ基板やレール工事にも着手しないといけないのですが、そこで強力な助っ人が現れました。今は名前を伏せておきます。彼と第1回目の打ち合わせも行って本格的に路盤工事に取りかかることになりました。そこでクローバー会の皆様に教えてほしいことがあります。京阪浜大津駅についてです。京阪浜大津駅の線路配置図を示します。
仮に1番線、2番線 そして1番ホーム、2番ホーム、3番ホーム、4番ホームと名前をつけました。知りたいのは この1番線、2番線がどのように使われていたかです。即ち三条発石山寺行きはまず1番線に入って 次にダブルクロスを渡って東口駅に向かったのか? 言い方を変えれば、1番線が石山寺行き、2番線が三条行きだったのか あるいはその反対だったのかと言うことです。レイアウトの製作上 この運転ルールをはっきりさせておく必要があります。ところが今までに集めた写真には これに答えてくれる写真が見当たりません。まずはこの件についてご教授頂きたいというのが第1点目のお願いです。もう一つは出札窓口、改札口、プラットホームの情景などが写っている写真を是非ご披露してほしいのです。どこに何があったかも定かではなく、屋根上にある枚方菊人形の看板とか広告看板とかそういった脇役がさっぱりわかりません。京阪浜大津駅の構内に関しては 東口も含め殆ど写真が無いのです。京阪社史などには写真があるのだろうと思っていますが残念ながら社史は持ち合わせていません。完璧な写真でなくとも もちろんモノクロでも あるいは撮影年月を問わず、 電車の背景に写っているというものでもOKですので よろしくお願い致します。
西村さん、こんにちは。工作が快調に進んでいるようですね。
京阪浜大津駅ですが、ポール時代に撮影したものがすこしだけあります。以下のページに掲載していますのでご覧下さい。
http://www.kokyu-gr.jp/krpp/khanphoto101.html
西村さんの書かれた線路配置図において、1・4番線は降車ホームとして使われており、島になった2・3番が乗車ホームとなっていました。自分は子どもの頃に母親の里へ行っていたときには、石山寺行き急行に乗車して浜大津駅1番線側に降り、京津線の線路を斜めに渡って江若の駅に行っていました。(記憶だけですが)
帰りはぐるっと回って真ん中のホームに行って、三条行き急行に乗っていました。ドアをどんなふうに開けていたかは記憶にありません。石山寺行きは2番側は開けずに1番線から乗車できたかもしれません。
ホームの部分は架線が2列になっていたと思います。ホームに停車後、運転士が出発側の架線にポールを上げていました。三条~浜大津折り返しの普通は、京津線から渡りを通って2番線へ入りますが、ポールがS字に通るところでよくはずれており、そのまま下げてしまう車掌も見かけました。
山内祐様
的確なコメントありがとうございます。降車ホームと乗車ホームの件、よくわかりました。架線が2列だったことも 言われてみればそうだなと思いますが、何となく写真をみているだけでは気付いていませんでした。「運転士が出発側の架線にポールを云々」は
貴殿の観察力と記憶力に脱帽です。高急グループのH.Pは何度も何度も見ていまして、大変有難いコマばかりです。京阪駅のダブルクロスを友人と自作することにしていますが、回送電車が発車してゆくコマは ダブルクロスがしっかりと写っていて 非常に有難い1枚です。交差点近辺の建物はかなり出来上がっていますので 近日中にこの掲示板にアップしますので、ご笑覧ください。
今困っているのは 坂本方面に向かって右側、交番の裏に変電所?があり、その先の民家群の写真が見つかりません。Sカーブに入る正面に質屋さんが今もありますが、この質屋さんと交番の間の風景が判らず困っています。もう一つは東口駅を石山方面に向かうと朝銀滋賀信用組合のビルがあるのですが、このビルの正面の様子もわからず困っています。
読者の皆様 引き続きヒントを下さい。