893-2さんへ質問 投稿日時: 2009年9月3日 投稿者: 米手作市 トップタイトルの写真が紀州鉄道に変わりましたが、「まもなくお別れ・・・」と気になるキャプションがついています。 まもなくお別れは紀州鉄道なのかキハなのかどちらでしょうか? よろしくお願い致します。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: がんばれ若桜鉄道 教えて下さい! 中国地方から謹賀新年 備南電鉄モハ100 土佐電鉄クハニ2000 小田急デハ1600 浜大津ターミナル復元(その5) ・・教えて下さい! 高島町駅の写真ありがとうございます
米手作市 様 曖昧なタイトルで申し訳ございません。正解はキハ603がもうすぐ お別れです。 紀州鉄道の廃止予定はありません。 新聞などにも発表がありましたのでご存知の方もいらっしゃるかと 思いますが、先日北条鉄道の「フラワ1985」を購入しすでに紀伊御坊の 車庫にも搬入済みです。キハ603はかなりガタが来ておりいつ動かなく なっても不思議ではない状況だそうです。 私が訪問したのは8月23日で事前に走行予定を確認して同期大ミハ氏と 18きっぷで行ってきました。現地ではJR御坊駅で借りたレンタサイクル で非常にエコな撮影行となりました。情報を聞きつけたマニアも多く 車内、沿線とも賑わっておりました。 新聞記事によるとさよなら運転?のようなイベントも計画されている ようなので興味があれば紀州鉄道のHPをご覧になってみては如何 でしょうか? 返信 ↓
御坊臨港―いや紀州鉄道キハ603、604が元大分交通同番、新潟鉄工所1960年8月製であることは諸兄百もご承知だが、希少価値なのは床板が木製で、油引きであること。機関のDMH17Bも今や珍しくなった。49歳とは、人間ならば100歳にも該当するのではないか。かつては北海道の救世主?でもあったキハ22も防寒のため床が木製だったが。なお大分キハ601~604は戦後では珍しい偏心台車採用だが、850+950mmという、余り偏心効果が期待できない代物。恐らくは我国最後の偏心台車採用車になると思われる由利高原鉄道でも800+1000mmである。 返信 ↓
ネットの情報によるとキハ603は9月中に引退が決定したようです。 9月27日には引退イベントも予定されているようです。(あくまで 予定のようですが)今のところ週末の金・土・日は走行予定だそうです。 まだ間に合いますので最後の走りを見に行かれては如何でしょう。 返信 ↓
大分交通耶馬渓線の全廃が昭和50年9月30日。1975年の秋であったから あれから34年経ちます。 私は当日、運動会の代休の月曜日で、運良く撮影と乗り納めに遭遇 できた幸運な1人でした。 故郷の北九州や行橋・苅田から近い私鉄でした。中津駅が一足先に高架に なり、耶馬渓線のうらぶれ感は随分落差があり、1年も経たないうちに 駅裏の一等地は中堅の大きなスーパーになり、列車で通る度に淋しく 思い出していましたが、そのスーパーさえつぶれて30年の月日を無常に 感じています。 御坊には大学に入った1979年5月、新歓旅行の白浜の帰りに訪問しキハと再会。 それ以来10年おかず、4、5回訪ねていますが、いよいよ引退ですね。 私がこの夏で50歳。九州から流れてきたのと時期も年齢も近く、不思議な 親しみを感じていました。 高校生のあの頃、海援隊の「思えば遠くに来たもんだ」という歌がありましたが 紀鉄のキハに乗る度に口ずさんでしまう私です。 引退後は日豊線中津の駅前か、機関庫のあった場所にでも置いてやりたい気分です。 返信 ↓
米手作市 様
曖昧なタイトルで申し訳ございません。正解はキハ603がもうすぐ
お別れです。
紀州鉄道の廃止予定はありません。
新聞などにも発表がありましたのでご存知の方もいらっしゃるかと
思いますが、先日北条鉄道の「フラワ1985」を購入しすでに紀伊御坊の
車庫にも搬入済みです。キハ603はかなりガタが来ておりいつ動かなく
なっても不思議ではない状況だそうです。
私が訪問したのは8月23日で事前に走行予定を確認して同期大ミハ氏と
18きっぷで行ってきました。現地ではJR御坊駅で借りたレンタサイクル
で非常にエコな撮影行となりました。情報を聞きつけたマニアも多く
車内、沿線とも賑わっておりました。
新聞記事によるとさよなら運転?のようなイベントも計画されている
ようなので興味があれば紀州鉄道のHPをご覧になってみては如何
でしょうか?
ありがとうございました。
少し安心しましたが603がなくなるのは残念です。
御坊臨港―いや紀州鉄道キハ603、604が元大分交通同番、新潟鉄工所1960年8月製であることは諸兄百もご承知だが、希少価値なのは床板が木製で、油引きであること。機関のDMH17Bも今や珍しくなった。49歳とは、人間ならば100歳にも該当するのではないか。かつては北海道の救世主?でもあったキハ22も防寒のため床が木製だったが。なお大分キハ601~604は戦後では珍しい偏心台車採用だが、850+950mmという、余り偏心効果が期待できない代物。恐らくは我国最後の偏心台車採用車になると思われる由利高原鉄道でも800+1000mmである。
ネットの情報によるとキハ603は9月中に引退が決定したようです。
9月27日には引退イベントも予定されているようです。(あくまで
予定のようですが)今のところ週末の金・土・日は走行予定だそうです。
まだ間に合いますので最後の走りを見に行かれては如何でしょう。
大分交通耶馬渓線の全廃が昭和50年9月30日。1975年の秋であったから
あれから34年経ちます。
私は当日、運動会の代休の月曜日で、運良く撮影と乗り納めに遭遇
できた幸運な1人でした。
故郷の北九州や行橋・苅田から近い私鉄でした。中津駅が一足先に高架に
なり、耶馬渓線のうらぶれ感は随分落差があり、1年も経たないうちに
駅裏の一等地は中堅の大きなスーパーになり、列車で通る度に淋しく
思い出していましたが、そのスーパーさえつぶれて30年の月日を無常に
感じています。
御坊には大学に入った1979年5月、新歓旅行の白浜の帰りに訪問しキハと再会。
それ以来10年おかず、4、5回訪ねていますが、いよいよ引退ですね。
私がこの夏で50歳。九州から流れてきたのと時期も年齢も近く、不思議な
親しみを感じていました。
高校生のあの頃、海援隊の「思えば遠くに来たもんだ」という歌がありましたが
紀鉄のキハに乗る度に口ずさんでしまう私です。
引退後は日豊線中津の駅前か、機関庫のあった場所にでも置いてやりたい気分です。