鳥羽快速と参宮線(下)

1964年12月30日、姫路発鳥羽行快速2442レは無事12時11分鳥羽に定時到着。ここで不思議なのは、鳥羽駅構内だけでなく、三重電気鉄道志摩線の写真も一切ないことである。51年前とあって記憶が全くないのだが、すぐ鳥羽から鳥羽港の入江、鞍部状峠を越えて浜辺浦をバックに、参宮線列車を撮ったとしか考えられない。なお近畿日本鉄道が宇治山田から五十鈴川、さらに鳥羽へと延伸するのは、1969年12月15日/1970年3月1日である。
参宮線列車鳥羽1969.12.30S

参宮線キハ25鳥羽1969.12.30S
参宮線キハ30c1969.12.30S
参宮線列車h鳥羽1969.12.30S
参宮線列車1996.12.30S
参宮線列車f1969.12.30S
参宮線キハ鳥羽附近1969.12.30S
老いを露呈して申し訳ないが、どんな順番でどう撮ったか、佐竹先輩と大いに違って根っからの横着人間だから、メモも何もない。しかもカメラを2台持って行ったから、相互の順番が余計分からない。要するにこの日撮った写真を単に、それも気分で羅列するしかない。
キハ35は関西線でも撮った記憶があるが、キハ30単行や、キハ20なんぞも撮っていたとは、綺麗に失念していた。気動車列車には準急「なぎさ」が交じっている筈。当日持参したであろう時刻表にうっすらと、多気発鳥羽着13時21分着831Dが、C57+キハ30というメモがあったが、撮っていない=見ただけなのだろう。

記憶力(だけじゃないが)の著しい減退につけ、トシはとりたくないと嘆いても、どうにもならないが、それにつけても思うのは(全く関係ない話だが)、裁判での30年も40年もまえの記憶など、一体どれだけが真実なのだろうか。

鳥羽の一つ手前は松下だが、鳥羽とは5.4kmはなれている。帰りはまた鳥羽に戻ったかと思うが、帰路に乗車した列車も、これまた何の記憶もない。鳥羽15時30分発姫路行快速2441レ(松下は通過)に乗った可能性が高そうだが。ただ松阪で三重電気鉄道松阪線のサニを走行列車デッキから撮っている。この線は1964年12月14日廃止していたから、その半月後で、車輌はまだ残存していたのである。この一束の客車は本来北勢鉄道のもので、梅鉢鉄工場で1914、15年に7両が、1921~25年に日車で4両が作られた。それが松阪線で終焉を迎えたのだが、その前の三重線時代に2両が尾小屋鉄道ホハフ7、8に転じ、その後車体が一見半鋼、その実木骨鉄皮に変身していたから、ご記憶の向きも多かろう。
廃止半月後の三重交通松阪線1969.12.30S
廃止後半月の三重交通松阪線1969.12.30S
このサニ421は梅鉢1914年製で出自は北勢電気鉄道←北勢鉄道ハフ1 上の写真で客車群の前の軽自動車も懐かしかろう

 

 

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