かつて国鉄連絡船には各地でお世話になりました。車両航送を兼ねた青函、宇高連絡船。車両航送の無い関門航路、大島航路、仁堀航路、そして宮島航路がありました。さすがに我々の世代はここまでで、関釜航路や樺太(稚泊)航路には縁がありません。
さて青函トンネル、瀬戸大橋の開通によって車両航送はなくなり、その他の航路も廃止されて 宮島航路だけが生き残りました。幸い宮島航路は観光客の増加のおかげで活況を呈しています。この度「ななうら丸」が2代目から3代目にバトンタッチされました。「2代目ななうら丸」は国鉄が建造した最後の鉄道連絡船でした。1987年(昭和62年)2月18日に就航し、30年近くを経過し老朽化したため 3代目が新造されたようです。
「ななうら」と聞くと 京都発呉線経由広島行き夜行準急を思い出します。「ななうら」とは「安芸の宮島 廻れば七里 浦は七浦 七恵比寿」と唄われるように 神聖な宮島には七つの浦があり、浦ごとに祭神がお祀りされていることにちなんだ列車名であり、船名の由来でもあります。現在宮島航路は「JR西日本宮島フェリー」という会社が運航していますが、国鉄連絡船の流れをくむ唯一の航路となりました。
新造船が就航ということで 初顔合わせに宮島口に行きました。ポスターにもあるように11月7日から就航ということで 3日目に期待して行ったのですが 僚船である「みせん丸」と「みやじま丸」が就航していて お目当ての「ななうら丸」は海峡の向こう側に係留されていてガッカリ。また先代の「ななうら丸」の姿もありませんでした。
みやじま丸は2006年(平成18年)5月23日就航で もう4代目です。
「みせん丸」の「みせん」とは 島の中央にそびえる弥山(みせん)のことです。まだ少し早いのですが 紅葉の名所であり、「もみじまんじゅう」にゆかりの山です。
「みせん丸」も4代目で 1996年(平成8年)4月27日の就航です。今回の「3代目ななうら丸」就航によって すべて両頭船になりました。宮島航路はJRと広島電鉄傘下の松大汽船の2社で運航されています。同じ桟橋間を往復しているのですが、松大汽船の方が所要時間が短く JRの方が長いのです。松大汽船が最短距離を行くのに対して、JRは厳島神社の大鳥居の正面まで迂回するためです。ポスターにある「大鳥居便」とはその意味です。でもそういう意味とは判らないですね。ちなみに両社の運賃は同じです。
現在 宮島口側の桟橋はJRと松大でそれぞれ分れていますが、桟橋の共通化工事が進められています。完成は平成31年だそうです。
観光客で大賑わいの宮島ですが、実は過疎の島なのです。昼間と夜間の人口差がこれほど多い島も珍しいでしょう。旅館や土産物店が軒を並べていますが、島で働く多くの人は本土側から通勤しているのです。
デジ青には珍しく 潮の香りがするレポートになりましたが、肝心の「新ななうら丸」には振られましたので 改めて逢いに行くことにして改めてレポートしたいと思います。お粗末でした。
西村雅幸様
お久しぶりです。
ななうら丸の話ですが、私には懐かしい準急ななうらが思い出されます。
京都発の準急で、呉線廻りで朝に広島で着きます。到着ホームのコンクリート造りの洗面所で顔を洗い、駅弁のカキ飯を買って広島の一日が始まりました。
余計な話をしました。
米手作市様
余計な話ではございません。京都人の私も「ななうら」は懐かしい列車です。また「準急」という響きが何とも言えませんね。昭和36年の時刻表を見ると 京都発22:33、広島着6:38となっています。寝台車も連結していたようですね。スハネ30とかだったのでしょうか。同じく京都始発の急行「玄海」は「ななうら」の12分前に出発するのですが、本線経由でもあり広島に5:20に着いてしまいます。そんなこともあって広島に行くには「ななうら」の方が安くて便利だったのでしょうね。朝の洗面所の光景も懐かしいですね。