老い先短い老人も、同じような電車を撮った記憶がほのかにあって、ネガを探した。1993年7月22日、ドレスデン中央駅前での撮影である。東ドイツ崩壊3年半後、この時点では豪壮な駅舎は文字通り悲惨な状態だった。トイレを借りに立ち寄ったのだが、薄暗い裸電灯、便所の扉は釘付け―東ドイツ時代の末期、全くメンテが及んでいなかったのである。
ところでこの電車、今話題?のタトラではないのだろうか。西村氏の写真は扉のある側、こっちはない側だと思うのだが。恐れ入りますが先達のコメントを。なお小生にとっては、ラーデボイルオストから発する蒸気軽便を撮りに行った時の、単なる「行き掛けの」副産物である。
湯口 徹様
豪壮な駅舎とメンテどころではなかった状況は旧東独のライプチッヒ駅も同じでした。天井の高い豪華な駅舎ながら中はクモの巣があるような汚れきった駅で艶がない印象を持ちました。ところが数年後に行って見ると駅舎はそのままでしたが駅自身がショッピングセンターに変貌したような華やかさを感じました。徐々に東西に較差がなくなってきたのでしょうか。ベルリンでも西側のツオ-駅から東側のアレキサンダープラッツ駅に入ると同じような明暗を感じました。チェコもポーランドもハンガリーでも同じようであったことが推察されますが、写真に撮るとレンガ調の建物やアジア人とは異なる顔つきであまり貧乏には見えなかったのは私の偏見かもしれません。ドレスデンは綺麗な街ですが、ライプチッヒは駅前の路面複々線を多くのタトラが行き来していました。
たかおかです。これもタトラです。T4型という型式で、チェコ用は車幅2.5mですが旧東独は狭いところが多かったためか車幅2.2mの車両が作られました。色は派手派手な黄色と黒で、1990年の8月に初めて見たときはびっくりしました。
ラーデボイルからラーデベルグのナローは90年に乗りましたが、往復してラーデボイルから市内まで市電に乗ろうとしたら、標準軌の貨車を乗せたフラットカーが走り去っていくのをみて、驚きました。写真撮れなかったのは残念無念。
ラーデベルグといえば最近DBの食堂車の中ででてくるビールがRadebergerなのでそれなりに大きい醸造所があり貨物があったのか、はてまた基地が近くにあったのか、よくわかりません。
有難うございました。何もわからないまま、トラムも出会えばいくらかは撮っていますので、今後とも何卒宜しくコメントお願い申し上げます。