西村雅幸氏に悪乗りし、1957年3月3日現在小松島に残存していたニ5000型3輌の廃車体写真をご高覧に供する。記憶は限りなく薄れているが、確か大昔?のデジ青が、まだ写真も1回3~5コマぐらいしかアップできなかった頃に、一度ご覧頂いたような気もしないでもない。ただ大方の諸兄はお忘れだろうし、小生も80歳の申し分のない爺ィに成り果てて、昔の事は忘れたよ、と開き直って、再度かもしれんがご覧頂く。耄碌も時としてかなり便利=重宝なものではある。
この時は高校卒業2浪後ドーヤンに何とかお拾いいただき、まだ大学生にはなっていないが、高校現役時代に先を見越し?て日付未記入の学割証をうんとこさため込んでおり、学生証は紛失と称して再交付を受け、発行日付はちゃんと「修整」していたから、大威張?で5割引き連続乗車券が購入できたのである。
当時の手帳には、5004、5006、5007と書いてある。これはキハニ5000時代の番号ではなく、手荷物車ニ5000に改造後の番号であろうから、キハニ時代に遡れば、各キハニ5007、5010、5011となる。ただ写真からは、どれが何番なのかは分からない。
昭和56年1月18日に小松島に行きましたが、標記がかすかに「ハニ5006」と読めたキハニ5000の廃車体が一つ存在していました。(小松島港駅構内だったかもしれません)。
スエ31様
1956年ではなく昭和56年に小松島にまだ残っていたとは驚きです。「世界の鉄道’67」巻末の配置表を見ると、1933(昭8)の小松島区にキハニ5000が3両+休車1両と記載されています。ところが1935年欄には記載がなく、廃車になったか他区へ転出したかは不明です。1935年以降は正明市、東唐津、志布志とどんどん西へ追いやられていったようです。いずれにせよ小松島で現認されているわけですから、そのうちの1両5006が50年近く小松島に残存していたのは間違いないですね。貴重な情報をありがとうございました。
湯口 徹様
さっそくに小松島の3両の貴重な写真をご披露頂き 感謝感激です。枯れ木の横に2両が並んでいる場所と電柱の横の1両はほぼ同じ場所なのでしょうか?あるいは遠く離れた別の場所なのでしょうか? それがわかったところでどうということはないのですが、湯口殿が昭和32年に3両を現認された24年後にスエ31氏が5006を現認されているということで たった12両しかなく短命に終わったキハニ5000の歴史が少し明らかになってうれしい限りです。私のいい加減な糸崎シリーズにしっかりと対応して頂きありがとうございました。
ハニにこんなにファンの方がいるとは小松島機関区に4両キハニで配置され客車に改造されハニになり小松島検車区配置されオハ60等が戦後配置され廃車になり車体は車の車庫や倉庫に利用されて小松島線廃止に伴い最後は重機の餌食になり小松島区横でスクラップになりました私がみたのは1両で後の3両の最後は確認出来てません,多分解体されたものと思います。