カラーで振り返る 昭和の気動車 -1-

最近はもっぱら家に引き籠って、第二の人生で最大の事業?と位置づける写真・資料のアーカイブス化に精を出しています。対象は、もっぱらモノクロネガが中心で、カラーフィルムには、なかなか手が回りません。理由のひとつは、とくにカラーポジの場合、初期のものは劣化が進行し、データ化しても手遅れ感もあって、優先度が低くなっていました。しかしスキャン・レタッチの技術もわずかながらも向上し、何とか見られるようになって来て、 少しずつカラーポジのスキャンも進めるようになりました。

始めてみると、国鉄ではDCを多く撮っていることに気づきました。なるほど、蒸機を撮りに行っても、蒸機はモノクロ中心になりますが、その合い間にやって来るDC列車はカラーで、となります。あくまで“ついで撮り”のカラーですが、集めてみると、案外、当時のDCの事情が伺えるかなと思い、カラーで撮った昭和の時代のDCを系列別に見ていくことにしました。
伯備線井倉~石蟹の高梁川に沿う鉄橋を渡って行くキハ17×3+キハ20の列車。伯備線のハイライト区間も路線変更で今は見られない(昭和46年9月)

キハ10系

これらのカラーを撮っていた昭和45年前後、国鉄の一般形DCでは、キハ10系、キハ20系が中心だった。通勤形のキハ35系、近郊形のキハ23などがいたものの使用線区は限られていたし、その後のスタンダードとなるキハ40系が誕生するのは、昭和50年代である。昭和45年の配置表を見ると、キハ10系は1両の廃車もなく728両、キハ20系は1013両もあって、全国あまねく非電化線区で使われていた。
ただ、利用する側からすると、待っている前に停車したのがキハ10系なら、完全な“ハズレ”だった。乗り込むと、背ずりは高いのに極めて低い座席、しかもヒジ掛けはなく、カエルの腹と例えられるペラペラのビニールシート、背中合わせに座った客の動きが互いに伝わって来る、極めてチープな室内だった。▲初めての鹿渡合宿、朝の越後鹿渡に到着するキハ11の134D、学校か地域の行事か、みんなスキーを持って列車を待ち受ける。先頭はキハ1111と、1が4つ並んだ。なおキハ11111は〔秋ヒノ〕にあり、これも阿仁合線合宿で撮っている。キハ11はトイレつき両運転台車、74両が製造された(昭和46年2月)。

キハ10系は、昭和28年から製造された一般形気動車のグループである。国鉄の量産形気動車として初めて液体式変速機を実用化し、総括制御が可能になった。昭和32年までに728両が製造され、日本全国で使用された。キハ17がグループでの最大両数であったためキハ17系とも言われる。
車体重量を可能な限り軽量化のため、車体断面を小さく設計されており、当時の電車・客車に比べても車体幅が小さい2600ミリである。扉は中・長距離客車列車の置き換えを想定して2扉、前後となったが、最大の特徴は、正面貫通式運転台を採用したことである。その後のDCは、特急形も含め貫通式となり、1両単位での増解結が可能となり、車両運用上大きな利便性を持つことになった。 側面形状は車体両端にステップ付の客用ドアを配置し、客室側窓は、上段をHゴム支持固定、下段を上昇式とした、いわゆる「バス窓」である。▲残雪の飯山線上境~上桑名川を行く キハ11ほか。この日は穏やかな日和だったが、一晩でドカ雪が降り、翌日に例の“墓場の上の雪合戦”が行われることになる(昭和47年2月)。

米坂線手ノ子~羽前沼沢、宇津峠を目指すキハ17系+キハ55系の列車。キハ17は、便所付き片運転台車で402両も製造された本系列の基幹形式(昭和46年2月)
球磨川を望む肥薩線一勝地駅、キハ16後部の625D。右手が一勝地駅で、駅から歩いて5分の撮影地は、その後、有名になる。キハ16は、便所なし片運転台車で99両が製造された(昭和45年9月)。
急勾配が続く小海線では強力型のキハ52が主力だったが、まだキハ10・11も使われて、キハ52とセットで編成を組んでいた。初めての小海線は、厚い雲に覆われて、展望も利かなかった(昭和45年8月)。

 カラーで振り返る 昭和の気動車 -1-」への5件のフィードバック

  1. DCシリーズに期待します
    いよいよ始まりましたね。総本家さまは主に蒸機を(失礼)と思っていましたが、丹念にDCにまでカメラを向けられていたのはさすがと感服しています。
    小生は就職するまで余り地方を旅することがなかったので、以前のTSURUKAMEさまの加太のDCも楽しく拝見しましたし、こうして多くのDCローカル列車の紹介は大いに興味をそそられます。
    小生は特にキハ52が好きでしたので、大糸線・小海線へは足を運んだことがありますが写真は撮っていませんでした。
    引き続きぜひ多くの写真をご紹介下さることを期待しております。

    • 1900生さま
      コメント、ありがとうございます。いえいえ、大したカラーは残せていないのですが、蒸機をよく撮った分、そのついでに撮っていたことが役に立ちました。なんでも撮っておくものですね。それと、今まででしたら、退色・劣化したカラーを個人の力で復元させる手立てはなかったのですが、近年のパソコンのレタッチソフトにより、個人でも、そこそこ見られる画像に復活させることができたのは大きいと思います。キハ52、私も好きでした。と言うか、キハ52の走る線区は必然的に勾配線区が多く、沿線の風景とキハ52がよくマッチしていたと思います。

  2. 総本家青信号特派員様
    昭和の気動車シリーズ 大いに期待しています。17系、20系はあの塗り分けだからこそ緑に映えて情緒があります。湘南色と同様に日本の山河に溶け込んでいました。昨今の抹茶色やタクアン色は日本人の感性を疑われます。ところで模型の世界でも17系、20系が大好きで、キロハ、キハニ、キハユ、キハユニ、キユニなど合造車も多く せっせと作った未塗装車両が我が家ではたくさん寝ています。今回特派員氏のカラー写真を見て 未塗装のままの昭和の気動車たちをはやく国鉄色に塗ってやらねばと刺激を受けました。

    • 西村さま
      コメント、ありがとうございます。昔、われわれの現役時代、B0Xに西村さんの制作された、DCのアルバムがありましたね。そこに散りばめられた、多彩なDC、なかでも、キハユニ、キユニなどの合造車は、ほとんど西村さんの撮影で、私は大いに刺激を受けました。以来、私も、DCだけを追うことはありませんでしたが、ほかの撮影中に見かけたら写すようになりました。
      以前、私も紹介した湘南色や、今回の一般形DC色は、ホントに日本の風景に溶け込んでいたこと、同感です。

  3. 西村さま
    国鉄色が日本の風景に溶け込んでいたというご感想に全く同感です。国鉄色=原色を認めて頂けることは嬉しいですね。
    小生も未塗装の17系や未組立ての58・キロハ25等がありますので人様に言う資格はありませんが、お持ちのDC達の完成・塗装に期待しております。

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