カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-

キハ58系

キハ58系は昭和36年から造られた急行形気動車です。われわれの現役世代、前回に紹介したキハ55系は、すでに準急・急行用の座から降りて、普通列車に混結されているのが大部分でしたが、今回のキハ58はバリバリの急行用で、派生形式も含めて、日本全国津々浦々の線区で急行用として走っていました。事実、キハ58の急行に乗ると、今までのDCとは明らかに違う客室設備であり、急行に乗った優越感に浸ったものでした。
宮津線由良川鉄橋を行く下り「丹後1号」、海水浴客で車内は混んでいるようだが、普通車はすべて非冷房で窓が開け放たれている。以前紹介の冷房付き寝台車の「はしだてビーチ」の人気ぶりが分かる(昭和44年7月)。

C62撮影の名所、函館本線上目名付近151キロポストを行くキハ56の下り「宗谷」、キハ56は二重窓など寒冷地仕様で、北海道に広く配置された(昭和44年8月)。

キハ55系による準急が運転され、居住性改善に大きな効果を上げたが、幹線の急行列車は、まだ蒸機牽引の客車列車が多く、それらを気動車に切り替えようという動きが起きた。キハ55系では、3等には独立した洗面所がなく、2等はリクライニングなしの回転クロスシートなど、接客設備面で客車と比較した場合に見劣りしていた[。そこで、キハ55系と同じ性能を持たせ、急行列車用として十分な設備を持つ気動車として開発されたのがキハ58系だ。
まず昭和36年3月に北海道用のキハ56系が根室本線の「狩勝」で、5月には横軽アプト区間仕様のキハ57系が信越本線の「志賀」でデビュー、そして10月にはキハ58、機関一台のキハ28・キロ28が、中央東線・大糸線の「アルプス」で営業運転を開始した。このように、派生形式のキハ56・57が先に走り始め、本形式のキハ58が少し遅れてデビューしたのも面白い。
キハ58系は毎年100両単位での大量増備が続けられ、日本各地の幹線・ローカル線を問わず、非電化区間の急行列車に多数投入された。広義には、キハ56、キハ57を含み、キハ58・キハ28・キロ58・キロ28・キロ27・キユ25、およびその改造車を指し、キハ58系全体の製造両数1823両は、日本のDCとしては史上最多で、一時は国鉄在籍DCの3割を占めたこともあったと言う。

羽越本線の秋田・山形の県境近くの上浜~小砂川を行く、いずれも羽後本荘行きの仙台発「千秋1号」、米沢発「もがみ」、行き先の羽後本荘とは何とも中途半端で、40キロ先の秋田まで延長すればと思うが、設定の目的は、陸羽東線・西線からの羽越本線沿いの主要駅との連絡で、秋田への直通客は近回りの奥羽本線を選好したようだ。東北に多い分割・併合を行う多層建て列車の例だった(昭和46年8月)。
南アルプスをバックに中央本線小淵沢付近を行く松本発新宿行き「アルプス2号」、この時代、もう中央東線は全線電化しており、架線の下を走るキハ58も不自然だが、これは、大月で、富士急行所有のキハ58急行で、河口湖発「かわぐち」を併結するため、DCのまま残っていた(昭和47年2月)。
DRFC指定旅館、加太「村田屋」の前にある加太小学校の前を行く、京都発鳥羽行き「志摩2号」、紀伊勝浦行き「くまの」。ちょうど学校・地区の運動会をやっていた秋の午後だった。これだけの人たちが加太に住んでいたとは、今さらながら驚かされる(昭和46年10月)。
紀勢本線岩代~南部の海岸沿いを行く椿発天王寺行き「きのくに3号」、崖の上からは海を入れて撮ることができた。いまも周囲に変化はないようで、電化後のいまも写真を見ることがある(昭和47年8月)。播但線長谷~生野の大カーブを行く姫路発城崎行き「但馬2号」、ここも今でも撮れるが、山は荒れ、築堤も雑草が伸び放題のようだ。景勝地は別として、一般的な風景のなかの自然が荒れているのは全国共通だ(昭和46年2月)。

九州は豊肥線、赤水~立野を行く「火の山2号」、阿蘇外輪山の独特の風景が広がる。はっきりした場所の記憶はないが、立野からスイッチバックを直角に上り、少し赤水寄りで写したと思う。地図で確認すると、このに場所は熊本の地震で落橋して乗用車が埋まった場所のすぐ近くのようだ(昭和47年11月)。

 

8 thoughts on “ カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-

  1. いいですねぇ。で、総本家青信号特派員さまは、これらをリバーサルフイルムでお撮りだったのしょうか。それともカラーネガ?小生の乏しい経験では、コダック製品を東洋現像所で処理したもの以外、カラーの大方は現在見るも哀れな状態のものが多いです。特にシュリロラボ、何とかカラーなどと称した現像所のものは徹底的に色も画像も失われています。マウントは、コダック=東洋のものはビクともしていません。1960年代ごろまでの冨士カラーは何から何まで全くダメですが、さくらは退色も比較的ましで若干の修正で今でも使えるものが少なくないです。「さくらカラーは日本の色です」とのコマーシャルがあって、その片棒を担いだ?大阪のお方は如何ですか。

    • yuguchiさま
      コメント、ありがとうございます。はい、これはすべてカラーリバーサルです。しかも東洋現像所で処理したコダック製品は一点もなく、すべて国産のフジまたはサクラです。お書きのように40年、50年経ったフィルムの状態は、退色、色抜け、キズとヒドイものです。しかも私は、カラーポジは貴重なものと、押し入れの奥深くに大切に保存したままでした。ところが押し入れというのは、湿度が異常に高いのですね。数年ぶりに開封すると、至るところにカビが発生、あわてて、風通しのいいところに移し替えましたが、カビだけは、手遅れでどうすることもできません。結果、デジ青に掲載の場合は、画像編集ソフトを使い倒して、涙ぐましい努力(?)しています。yuguchiさまもお書きのように、国産二社では、フジは全くダメですが、サクラはまだ見られます。当時、フジよりも格下に見られていたサクラのほうが、まだ大丈夫というのは、皮肉なものです。

  2. 聡本家青信号特派員様

    貴殿の記事で、自身の盲点を認識しました。 

    気動車は小生にとっては『専門外』とは言え、プラオリティーは国電の次に好きなのに、今の今までキハ58系と言えばキハ28、キロ28止まりでした。

    考えて見ればキハ55の次の順番はキハ56・57なのに、当時自身のみが遭遇する機会が無かっただけで、国鉄に良くあった『番号飛ばし』くらいに決め付けていたようです。

    記事を読んで、これまでの自身の無関心を反省する事しきりです。
    勿論、気動車ガイドブック等も持っているクセに、先入観とは恐ろしく『宝の持ちぐされ』状態だった訳です。

    今回の記事で気動車を再認識させて頂く事が出来、感謝しております。

    • 河さま
      いつもコメントを頂戴し、ありがとうございます。キハ58系の製造順位がキハ56・57が先で、基幹形式のキハ58がその後というのは興味深いところです。「キハ58物語」(石井幸孝著)を見ますと、本州では当時、準急用のキハ55が走っていたものの、耐寒構造ではなかったため、北海道に配置が無く、一般用のキハ22を急行・準急に使っていたため、とくに優等列車用DCの開発が急がれたと書かれていました。製造の順位にも興味深い背景があることが分かりました。

  3. フィルムの話なら、小生も参画させてください。Yuguchi先輩同様、モノクロは富士フィルムのビネガーシンドロームに泣かされっぱなしですが、カラーは幸い安定です。

    私のカラーは全てリバーサルです。使用したのは、富士、コダック・エクタクローム、アグファの3週類でした。富士は変退色激しくカラーもやはり駄目です。コダックは変退色はないがカビが生えやすいですね。マウントはしっかりしています。一番安定なのがアグファで、一番沢山使用していましたので、助かっています。現在も変退色、カビはありません。マウントもぴったり接着していて、さすが化学の国、接着剤の国の製品です。

    保存は半サイズ石油缶に、乾燥剤と共にで、乾燥剤は今も時々交換しております。さらに余談ながら、エクタクロームは2017年に復活生産すると聞いていましたが、どうなったのでしょうか。

    • tsurukameさま
      コメントを頂戴し、ありがとうございます。フィルム論議も、各人各様の好みや保存方法があって楽しいものですね。アグファとは、いかにも化学専攻の選択のtsurukameさんらしいと思いました。社名に“アグファ ゲバルト…”とあり、紛争当時の“ゲバ棒”と同じ言葉が入っていて、ギクッとしたことを覚えています。私はアグファのカラーは使ったことがありませんが、どんな特性があったのでしょうか。富士の最低評価は、誰もが共通ですね。
      さて、ずっと以前の本欄で、tsurukameさんからビネガーシンドロームのフィルムの再生に、ニベアのハンドクリームが有効だと聞きました。私のフィルムも特定年代、特定フィルムの数十本が、見るも無残な状態に陥っています。とくに、赤い斑点、無数の皺は、スキャン修整も不可能な状態で、あきらめています。こんな状態でも、ハンドクリームは有効でしょうか。

  4. 特派員様
    近年のデジカメならいざ知らず、往年のモノクロ・カラーフィルムの画像を投稿しようとすると、大変な労力と根気が必要なのは、特派員様の説明文やコメントからもよく判ります。私もほとんど同じ事をやっています。わずかなワンカット、1コマにどれだけの時間を費やしたか。こればかりは当事者以外には説明してもし切れません。

    ビネガーシンドロームの現象を二つに分けて考えます。一つはフィルムの変形と成分の結晶付着。二つ目は赤黒の無数の斑点、ひどいものは乳剤層の分離です。結論から述べますと、二つ目の回復は不可能です。スキャン画像の修正は画像ソフトを使用し時間を掛ければできますが。

    一つ目の回復対策はある程度可能です。およそ10年近く試してきましたのである程度方法が確立しています。変形のひどいものは鉛筆状にカールします。一方を押さえれば片方が丸まり、なんとも始末におえません。ここで使用するのが、ハンドクリーム・アトリックスです。ニベア、その他も試しましたが、アトリックスが最適です。成分は高級(炭素数が多い)脂肪酸エステルでグリセリンの仲間、良質ですからフィルムに害を及ぼしません。ニベア花王(株)の製品で薬局、スーパーで容易に、安価で入手できます。

    カールしたり、丸まる原因はフィルムの片面が異常を起こし、両面のバランスが崩れるからです。
    その原因こそ、写真フィルムを構成する三酢酸(トリアセチル)・セルロースから、酢酸(ビネガー)が抜け出すのです。判りやすく説明すると片面からフィルムの柔軟性を保っている成分(可塑剤と考えても良い)が蒸発するのです。結果バランスが崩れ、極端なものは鉛筆状に、軽度でも収縮とカーリングが発生します。

    蒸発したビネガーの代わりに、アトリックスが可塑剤や柔軟剤としてフィルムに働きかけます。フィルムの両面に指先で結構ですから、丁寧に塗りつけます。浮き上がった汚れ成分をティッシュで軽くふき取ります。その後フィルムケース(硫酸紙のケースもOK)に入れ、約一月ほど圧力を書けます。私はフィルムケースを二枚の板(幅50mm×長さ300mm×厚み20mm)で挟み、クランプを使って締め付けます。木片、クランプなどはDIY店、ホームセンターで入手できます。

    この方法ですと、バリバリで指が切れそうな硬いフィルムも、柔軟でフィルムの初期状態に近い感触に戻っていますから、ご安心下さい。この10年ほどの実施で弊害は皆無と言ってもよい程です。それに、スキャンした画像に光沢と透明度がよくなっているように思えますから不思議です。

    カーリングは回復しても、傷や、一つ目の障害(赤黒い斑点、スキャンすれば白点に)は回復しません。画像処理ソフトで時間を掛けて修正するしかありません。画像処理ソフトはプロが好んで使用する Photoshop が有名ですが高価です。アマチュア向けですが、Photoshop Elements でもほぼ目的は達成できます。少し安価です。現在Virsion13か14でしょう。私は10を使用しています。8,9は余っていて確かお譲りしましたかね。

    修正の方法などもお互いに情報交換すると良いかもしれません。自分では良いと思っていてもやはり、世間にはもっと上手な方法もあるものです。長文になりました。すみません。

  5. tsurukameさま
    詳細なレポート、ありがとうございます。熟読しました。ビネガーシンドロームと呼ばれる、フィルムの劣化については、大きく二つの現象があること、判りました。
    (1)フィルム成分の結晶・蒸発による、フィルムの収縮とカーリング、われわれの言う“八つ橋”“ストロー”現象、これだけなら“ニベア”で修復可能。
    (2)赤黒の斑点、無数の皺・汗など、フィルムそのもののダメージ、修復は難しい。

    (1)(2)が複合して起こることもあるようですが、私の場合、(1)はわずか2、3本で、これは、強力なクリップで挟んで、何とか元通りに戻りました。厄介なのは(2)で数10本もあり、もう修復は不可能です。修整ソフトで時間を掛ければ修復はできますが、とてもそこまでの根気はありません。(2)の原因は何でしょうか。私はフィルムそのものが要因ではなく、フィルムの現像時、水洗の不足によって、定着液が付着したままになり、経年で液剤がフィルムに浸透し、化学変化を起こしたのではと推測するのですが、いかがでしょうか。臭うと、とくに定着のハイポ臭があります。まだ高校生のころだったため、現像もいい加減で、水洗促進剤も使わず、十分な水洗もしないまま乾燥したのが原因ではないかと推測しています。

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