「補機」をデジタル化する

 知らないうちに投稿回数が今回で100回となりました。100回記念で盛大に超大作を投稿ということでもいいのですが、そんな超大作になるようなネタも、今のところないのです。ところで以前から気になっているのが学生時代のガリ版刷りの「青信号」と「補機」です。現在保有するもので一番古いのが1968年7月発行の「青信号20号」です。なぜこの「青信号20号」を持っているのかわかりません。だれかに頼んで余っているのをいただいたようです。掲載されている記事をみると1900生さんの「京阪1900のすべて」があります。たぶんこの記事を読みたくていただいたのかもしれません。それはともかく、40年以上もたっているガリ版刷りの本ですし、紙も周辺部が茶色に変色して読みづらくなり、またあるものは劣化が激しくなっています。このままでは読めなくなってしまいそうです。何とかしなけらばなりません。いろいろ考えていたのですが、本をバラバラにして画像データとしてスキャンすることにしました。思い出のある本をバラバラにするには忍びないですが、読むことを前提とすると仕方のないことです。

 

手始めに残しておきたい雑誌をデジタル化をしました。バラバラにして家族が所有しているシートフィードスキャナーを借りてPDFにして保存です。一般の雑誌は印刷屋さんで印刷したものですので、印刷面に濃淡のムラがありません。スキャン条件設定が普通に行えます。そんなに問題なくデジタル化が出来ました。さて、ガリ版印刷の「補機」と「青信号」は印刷ムラがどうしてもあります。しかも劣化しています。スキャナーはフラットベッドスキャナーを使うことにしました。

 いきなり「青信号」をバラバラにしてデジタル化するのはかなり不安ですので、まず「補機」でデジタル化をすることにしました。まだ作業が手探りの状態ですので「補機」でいろいろとデジタル化方法を試しながらするということです。

 最初は本をバラバラにするのですが、一番の難関は表裏表紙を外すことでした。

最初のページに表紙がノリでしっかりと接着されているのできれいにはがせません。どうしても破れた状態になります。これは裏表紙でも同じです。ホッチキスの針を外して、センター折りの部分でカットします。

バラバラにしたページを1枚ごとにスキャンします。スキャナーはエプソンのGT-X970を使用しました。そしてスキャナードライバーは入力画像が調整できるプロフェッショナルモードで、カラーでスキャンします。モノクロのスキャンもできますが、私はモノクロフイルムもすべてスキャンはすべてカラーで行っています。どのような理由なのかよくわかりませんが、画像処理ソフトによってはモノクロでスキャンすると画像が表示できません。モノクロフィルムはカラーでスキャンしてモノクロ変換を行っています。詳しいことはよくわかりませんが画像データに違いがあるようです。ところがこのカラースキャンが結果として良かったのです。

 その方法とは以下のように行います。スキャンするものをセットすることなどは同じなのですが、スキャンドライバーによる調整方法がポイントとなります。

上の画面はプロフェッショナルモードでプレビューをして画像ヒストグラムを表示したものです。これに自動露出をかけますと下のようになります。

ポイントは文字が見えることですのでヒストグラムの▲を山が立ち上がるところまで移動させます。

そのように調整すると上のなります。文字が濃くなってメリハリが付きますが、紙が変色しているので全体が茶色くなっています。しかし、これでスキャンすることにします。

これで文字が読みやすくなったことがわかります。しかし茶色の紙面が目障りですし、ちょっと読みにくいと思います。ここでモノクロ変換を行います。これはPhotoshopで行います。モノクロ変換でもいろいろなスタイルがあります。ここでは赤外線を選びます。

上の図でわかるように変換後は茶色の部分が白くなっています。周辺の濃い茶色の部分はまだ黒くなっているのでコントラストを含めて調整します。そうすると下のようになります。

これできれいになりました。

これをビフォーアフター風にいうと「何ということでしょう!最初に印刷した時と同じぐらいにきれいになったではありませんか」ということになります。ところどころ黒いところがありますが、気になるのでしたら消すこともできます。これをPDFにしてデジタル保管ということになります。また、これを利用して新たに印刷することもできます。「補機」のサイズは約170mm×240mmです。製本後に裁断してもらっていました。1枚の紙に片面2ページの両面印刷ですので半分に折り製本していましたので多分B4の紙に印刷していたと思います。だから、「補機」「青信号」のサイズはB5サイズを少し小さくしたものです。デジタル化した一部のページをA4に印刷したものと比較すると

上の写真のようになります。紙面が白く、大きくなるので読みやすくなります。ところでモノクロモードでスキャンすると

まあ、これでもいいのですがやはり文字のない部分は白い方が読みやすいと思います。めんどくさい操作になりますがとにかく読めるようにするのが目的ですのでカラースキャンで赤外線モノクロ変換でデジタル化を行うことにしました。

 デジタル化するのですが約50ページぐらいの「補機」が15冊で、「青信号」はページ数の少ないものが90ページぐらいで多いものは200ページぐらいあります。それが11冊を所有しています。すべてをデジタル化が終了するのはいつになるかわかりません。また、今回はバラバラにする方法を紹介したのですが、バラバラにしても補修して復元できるようにバラバラにする方法や復元方法も考えていきたいと思っています。とにかく貴重なものなのでぼちぼちデジタル化をやっていこうかと思っています。

「補機」をデジタル化する」への8件のフィードバック

  1. どですかでん さま
    小生はPCなどのデジタル技術に疎いので、技術に関するご説明はよくわかりませんが、途方もなく手間と時間がかかる大事業をされようとしていることは理解できました。
    半年前にKAWANAKA氏と西村雅幸氏が当時は掲載し難かった写真や図表を大幅に追加して「寒中北海道見聞録」をデジ青にリニューアルUPされましたが、これからなさろうとしている原本の再録もたいへん価値ある事業ではないかと思います。これにより懐かしい青信号誌や補機誌がデジタル復活してくれればこんなに嬉しいことはありません。作業の進展に期待したいと思います。
    余談ですが’66年に小生が入会した頃は青信号誌だけでした。当時ガリ版切り(正しくは筆耕という)の上手(字が上手、筆圧が一定etc.)な会員が数名居られましたが、青信号発行の度に同じ人に負担がかかるのを避けるため、主に筆耕者の養成を目的として、ひいては青信号の質を高める目的で皆で相談して作ったのが「補機」でした。
    青信号誌の発行はほぼ一年毎でしたから、その中間にあたる半年目に発行することにし、内容も青信号誌の補完的性格を企図したことから、相談して「補機」という名称にしたことを憶えています。
    現在のデジ青についても「専門性や格調が高すぎて投稿しずらい」という声があるようですが、当時の青信号誌にも「学術誌」的な同様の雰囲気がつきまとっていたため、補機誌製作を通じてそういう尻込み様子見などを解消するとともに、製作に慣れることや新人作家(投稿者)の発掘をも狙ったものでした。
    現役時代のDRFCの活動には様々なものがありましたが、わけてもこの青信号誌の発行作業は大変ではあったものの、会員の協力体制の大切さと参加することの楽しさを肝に銘じた一大イベントでした。
    ところで小生の「1900のすべて」に触れていただき有難うございました。今読むと恥ずかしい限りで冷汗三斗ものの稚拙なものですが、当時の情熱みたいなものを感じ取って頂ければ幸いです。ご覧い頂ければ一目瞭然、筆耕を訓練したものの何を隠そう小生の筆圧は相変わらず弱かったため、このようなミミズが這ったようなものしか書けませんでした。

    • 1900生様 コメントありがとうございます。ところで私がDRFCに入会した時は「青信号」は7月頃、11月頃の発行で1年間で2回発行していました。私が在籍中で「青信号27号」が最大のページ数で本文208ページです。その次の28号は本文96ページでした。28号は前回のページ数が多かった反動なのでしょうか。記事を集めるのが大変だったような記憶があります。筆耕も大変なようですが、印刷の方が難しかったように思います。裏表印刷ですので、両面の原紙合わせのテクニックや刷るときのインクローラーを原紙に強くなく、弱くなく適当な圧力をかけることとインクの量、それにローラーの送るスピードと熟練が必要でした。その練習として「補機」があったように感じました。「補機」にも貴重な記事があり、また表紙も「青信号」に劣らぬ出来栄えでした。また、「補機」には鉄道だけでなく、“おんがくのぺーじ”とかがあって鉄道に関係ないが皆さんなかなかのウンチクを書かれていました。なかなか多趣味であったことがわかります。ところで「京阪1900のすべて」にも書かれていた日本最初の空気バネ台車KS50台車はいま京都の鉄道博物館にあるようです。学生時代に京阪三条からわざわざ1951に乗りに行きました。この車両はKS50台車をはいていましたので、その乗り心地を味わったものです。特に四条と七条の市電とのクロスを通過するとき乗り心地は絶品でした。

      • KS50が京都鉄道博物館に在るのですか。知りませんでした。壬生川ご在住のM手特派員さまに確認してもらわなければなりませんね。同台車は長らく寝屋川車庫の前庭に鎮座していましたが、京都鉄博にとはこれ如何にですね。国鉄が同時期にキハ17で試した空気バネ台車はもう無いのでしょうか。
        国鉄・私鉄を問わず鉄道技術史上の遺産であることを理由としてならどこで保存されてもいいような気もしますが、なんとなく違和感を感じますね。

        • 実は京都鉄道博物館が開館する前に弁天町の閉館した交通科学博物館所に行くと、多分展示するものを一時保管するような形でKS50台車もありました。見覚えあるのですぐに分かったのですが、交通科学博物館には展示していなかったのになぜあるのか不思議に思っていました。ネット上でKS50台車について調べていると展示してあることが分かった次第です。私はまだ京都鉄道博物館に行ってはいませんが。たぶん展示してあるのでしょう。

  2. どですかでんさま
    投稿100回おめでとうございます。
    補機のスキャン原本と遜色ない位きれいにできるのですね。これだと保存の値打ちありますし、読むのにも十分耐えられるかと思います。但し、ここまで至るには大変な手間をかけられているようで1冊仕上げるのにどれだけかかることでしょうか?現役生による青信号スキャンの話が出ていますが、どのようにやるのか少々気になるところがあります。最近のものはともかく、昔の謄写版印刷で、紙も黄ばんだものについてどのようにスキャンするのか、どですかでん様の経験を現役生にも伝えてもらえればと思います。

  3. 「補機」は現在のところ3冊をデジタル化しました。「補機」は1冊50ページぐらいで、PDF化までは1日でできます。一層懸命にやれば意外と早くできるかもしれませんが、生身の人間ですの疲れたり、おなかが減ったりしますし、家の用事があったりするので進み方は一様ではありません。国立国会図書館もデジタル化を進めているそうです。これは公立の図書館でも同じです。図書館などでは本を分解せずにできる設備で行っているようです。かなり高価なものだと思います。ところで謄写版印刷の「青信号」は製本がホッチキス綴じですので十分に開くことが出来ません。ネットで本のデジタル化方法について公立図書館が公開しているのを見るとデジタルカメラで斜め方向から撮影しているようです。「青信号50号」が本の背を糊で固めた無線綴じですので開いてフラットベッドスキャナーでもスキャンできます。紙の質もいいのでシートフィードスキャナーでもうまくスキャンできると思いますが、これは裁断分解する必要があります。現役生の青信号スキャンが具体的なことを知りませんのでわかりませんが、謄写版印刷の青信号はどのように考えているか知りたいものです。私は所有している青信号を分解してデジタル化し、原本は補修して無線綴じで復元したいと思っています。閲覧はデジタル版で、原本は保存という考え方です。そうしないと見ることもできなくなってしまいそうです。現役生のスキャンについては一度聞いてみたいものです。

    • 持っている青信号がバラバラになりつつあるので何とかせなあかんなあということで始めました。いまで補機を4冊デジタル化しましたが、作業中に記事を読んでいると貴重な内容の記事が多くありました。気軽に鉄道に関係ないことも書かれているので面白いものです。いま時にいうと鉄道同好会のブログみたいなものではと思うのですが、違いは世間に公開されていない所が違います。いまでも公開できる代物ではありませんが。

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