半世紀前の長崎電軌(2)-併せて街の新旧対比-

長崎電軌第2回目、図は南部方面、今回紹介の路線図です。蛍茶屋から公会堂前を経由して一旦長崎駅前に戻ります。再び同所を出発、西浜町経由で思案橋に、その後石橋に向かいます。グラバー亭を訪ね街を見下ろして、最後は築町、出島経由で長崎駅に戻りました。
▼【旧】211型212 蛍茶屋車庫  1963.4.3撮影  07900    ▼【旧】蛍茶屋車庫入り口から停留場を望みました。車高の違う2形式が停車していました。遠くて車番は読めませんが、車高から左360型、右500型の様です。同日 07901▼【旧】終点蛍茶屋停留場に並ぶ2形式
(左)360型363 1961年日本車両製、3系統小川町経由赤迫行き
(右)370型377 1962年日本車両製、2系統西浜町経由西町行き
辺りは静かな住宅街という雰囲気です。商店も大きなビルもまだありませんでした。同日 07902
▼【新】(左)現在の終点蛍茶屋駅、屋根付き島式ホーム(右)終点の反対・山側を望みます。奥に見える四角の黒いトンネル状建物が現在の蛍茶屋車庫です。▼【旧】150型153 旧玉川電鉄→東急玉川線→東京都電→箱根登山鉄道小田原市内線→長崎電軌道と長い変遷車歴を誇る。4系統思案橋から西浜町経由蛍茶屋行き。緩やかな坂、閑静な住宅街を通り、間もなく終点蛍茶屋。同日 07903
▼【旧】370型377  2系統蛍茶屋を出発西町車庫に向かう、右後方は300型307 新中川町停留場付近 同日 07905 ▼【旧】211型211 1950年日本車両製 新中川町 同日  07907▼【旧】150型155 新大工町 07908▼【新】(左)現在の新中川町、(右)現在の新大工町 緩やかな坂をを下って諏訪神社前を過ぎ、公会堂前に着きました。
▼【旧】370型372 4系統思案橋発蛍茶屋行き、電車は左手に進み蛍茶屋に向かいます。07931▼【新】現在の公会堂前三叉路 (左手)西浜町を経て思案橋、築町方面へ。(右手)今通ってきた新大工町、新中川町経由蛍茶屋方面へ(正面)奥に進むと現在の桜町(旧・小川町)経由長崎駅前方面に向かいますので、一旦駅前に戻ります。以下第3回で紹介します。さん

5 thoughts on “半世紀前の長崎電軌(2)-併せて街の新旧対比-

  1. 部外者が失礼いたします。
    新大工町の155、後ろに写っているバスは長﨑電軌バスです。規模が小さく営業不振で数年後にバス部門廃止し軌道一本になりました。塗装は電車と同じく濃緑と淡緑塗り分けです。

    • 村樫四郎 様
      コメントをありがとうございます。長崎電軌にもバス部門があった事知りませんでした。長崎県は長崎バス(長崎自動車)と長崎県営バスですよね。1956年兵庫県立高校の修学旅行の時、大分・熊本県内は亀の井バス、長崎県内は長崎バスだったことを思い出しました。

  2. 村樫四郎様
    いつもお世話になっております。そう言えば長崎は村樫様の職場があった所で第二のふるさとでしたね。喜々津-大草の名場面登場の数々の蒸機列車をよく拝見しましたが、路面電車は如何でしたか。

    • 準特急様
      応援コメントありがとうございます。近頃サボっていまして、久々の投稿です。
      村樫四郎様とは、関東で交流されているお仲間ですね。関西だけでなく、関東にも『朋有り亦楽しからず也』ですね。次に、神戸市電を考えています。その次が鹿児島市電、大分交通別大線です。これで半世紀シリーズが終りそうです。

  3. 身近すぎて長崎電軌にカメラを構えることはしませんでしたが、今回tsurukame様の写真の背景を見て、一気に50年余前の自分を思い返すことが出来ました。ありがとうございます。

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