塩江温泉鉄道

この我国唯一の非電化で軌間1435mm鉄道に関しては、デジ青でも何回か話題になった。たしかぶんしゅう氏の中国長春記事にもあった筈。で、再度か、再々度かの講釈を。標準軌間の琴平電鉄の仏生山から、塩江(しおのえ)温泉のある塩江まで16.1km、免許1927年12月15日、開業1929年11月12日。当初軌間1067mmで計画され、免許もそうだったが、1928年6月7日起業目論見書を変更し、標準軌間に変更した。これは高松から貨車を直通―仏生山までは琴平電鉄の電車に連結し、自社線ではガソリン機関車で牽引、旅客はガソリンカー、というものである。有蓋貨車、有蓋緩急車各1輌を備える計画であった。最急勾配は33‰ときつい。

1929年8月28日瓦斯倫自動客車設計認可。川崎車輌最初のガソリンカーで、両端を絞り、妻面は1枚窓、側面も変わっていて、窓2個セットが3組だが、セットの窓2個の間=通常なら間柱だが、その部分にもガラスが嵌め殺されている。足回りは片ボギーで、機関はブダDW-6。ともかくは旅客だけで開業したが、川崎車輛製車輌が大欠陥品で散々な幕開けであった。その期の営業報告書には次のようにある。

「不幸ニシテ車輌機械部分ニ不備ノ点アリ故障頻発製造者川崎車輌会社ノ熱心ナル修復アリシニモ拘ラス著シク運転状態ヲ乱シ大ニ人気ヲ阻害シタリ其ノ後11月下旬ニ至漸ク故障原因ヲ発見修繕ニ努メタル結果無事平常運転ニ復スルヲ得タルモ時既ニ閑散季ニ入リ予期ノ成績ヲ挙ケ得サリシハ誠ニ遺憾トスル処ナリ」

「車輌ニ関シテハ其ノ設計、製作、組立共全部神戸市川崎車輌会社ニ委託シ営業開始前入念試運転ヲ行ヒ其ノ完全ヲ図レリトモ納期稍遅延セル為長期ニ渉ル試練ヲ経サリシニ依リ開始後幾何ナラスシテ故障頻発セシハ甚タ遺憾トスル処ナリシモ鋭意故障ノ原因ヲ調査シ改良ヲ加ヘ今ヤ殆ト完成ノ域ニ達セシハ欣幸トスル処ナリ」

要は川崎車輛がガソリンカー第一作なのに技術を過信して、軽量化を図り過ぎたようで、輪心が車軸から抜け出すという、聞いたことのない不始末が連続した。価格も5輌5万円ときわめて高価だったが、後々まで4,000円の支払残があり、支払拒否であろう。

貨物の方はトラックの隆盛に勝ち目がなく1931年貨物運輸は起業廃止断念した。このため1435mでのガソリンカーという珍物になったのである。1933年5月1日琴平電鉄に合併し、1941年5月11日廃止。車体を生かし、足回りをブリル2軸台車に代え、当時満州国の首都であった新京(敗戦後長春)の路面電車に化けた。

なお先述のように車体両端が絞ってある為、正面からの写真ではとんでもなく車体幅が狭く見え、従前「標準軌間の軽便」とか「車体幅と軌間がほぼ同じ」などと無責任極まる記述が大手を振って横行し、かつ引き写された。しかし車体実幅は2,250mmである。

塩江温泉鉄道」への2件のフィードバック

  1. yuguchi先輩様、
    瞬間的なご投稿は整理ができていないと不可能です。口癖の「余命幾ばくもない老人・・」とは正反対の瞬発力には甲を脱ぎます!
    何度目かのご投稿との由、申し訳ありません。気がつきませんでした。しかし、よく読めばおもしろい成り立ちの鉄道ですね。標準軌のガソリンカーなんて見たかったです。ありがとうございます。

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