朝日新聞デジタルにこんな記事が出ていました。
「昭和初期の12年間だけ高松市の仏生山―塩江間(16キロ)を結んだ「塩江温泉鉄道」。当時走っていた「ガソリンカー」の写真や資料を紹介する企画展が、市香南歴史民俗郷土館で開かれている。23日まで。」
仏生山といえば乙訓の長老様の縄張り、ガソリンカーと言えば須磨の先輩の縄張り、なのに今まで聞いたことがありません。記事には写真も出ていますが“駅馬車”のような物です。
両先輩様、ご記憶が残っていればご説明下さいませんか?
朝日新聞デジタルにこんな記事が出ていました。
「昭和初期の12年間だけ高松市の仏生山―塩江間(16キロ)を結んだ「塩江温泉鉄道」。当時走っていた「ガソリンカー」の写真や資料を紹介する企画展が、市香南歴史民俗郷土館で開かれている。23日まで。」
仏生山といえば乙訓の長老様の縄張り、ガソリンカーと言えば須磨の先輩の縄張り、なのに今まで聞いたことがありません。記事には写真も出ていますが“駅馬車”のような物です。
両先輩様、ご記憶が残っていればご説明下さいませんか?
温泉が好きな老人なのですが、話として聞いたことがあっても見たことがない鉄道に付きご指名をいただきながら手も口も出せずで、須磨の大人から紹介がありほっとしております。老人は大人から紹介があったことを教えられ、仏生山工場の工場長にお尋ねしたところ、工場の東側の留置線がその昔の駅その他の施設跡で、それから南に延びる空き地が旧線跡だという話だ、との回答を得た。旧線跡は田圃に化けた姿が県道と交差する地点からよく見えたが、追ったことがない。7年前だったか、ぶんしゅう氏の車に乗せられ県道の交差点から東に入った地点にあった風呂で朝風呂を楽しんだが、この時は跡地を観察することなく終わった。