【89420】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -12-

飯田線③   E地点 伊那福岡~田切

飯田線、しばらく続けます。一昨日行われた三条京阪イベントに参加すると、1900生さんや、どですかでんさんから、飯田線への思いをたっぷり聞かせてもらいました。車両だけでなく、飯田線独特の車窓風景や線形が魅力を持った線区であることを改めて思いました。
今回は5万分の1地形図「赤穂」の最南端、伊那福岡~田切の撮影地を見て行きます。この区間は、例のオメガカーブの線形で、飯田線北部では、いちばん有名な撮影地でした。鉄道ファンの撮影地ガイドにも初期の号に紹介済みで、私も初めて訪問の時は、ファン掲載の地図を自分で書き写して持参しました。
オメガカーブの頂点、中田切川を渡るED195の牽く貨物列車。建設費が安い短い鉄橋で済むよう、上流にさかのぼって川を渡り、また元に戻る。

五万分の1地形図「赤穂」の伊那福岡~田切。等高線に朱入れして、高低差を確かめていた。

伊那地方では、天竜川に流れ込む支流が、扇状地や段丘面を激しく侵食し、急崖によって分断された「田切地形」と呼ばれる独特の景観を作っている。河川と段丘面の高低差は50m以上の断崖を形成する場所もある。ここに鉄道を敷設する場合、現在の橋梁技術なら高い長い鉄橋でひと跨ぎするところだが、初期に敷設された飯田線では、数100mほど上流側へ急カーブで迂回して、最短の鉄橋で渡り、また戻って来る。
田切という地名は、日本各地に存在する。由来は、流れが“滾る”(たぎる)であり、傾斜地を流れる河川で、両側が崖状になっている場所を水が激しく流れる様子のことを言う。伊那福岡~田切の中田切川は、その典型であり、地形任せの急カープ、急勾配が続く撮影地だった。南アルプス甲斐駒ケ岳を望んで、鉄橋前の90度カーブを行く。ED18トップナンバー機の牽く貨物。
大垣発上諏訪行き急行「伊那2号」602M。大垣~名古屋は普通列車、名古屋から「伊那2号」となり、飯田線を全線走り通して上諏訪まで行く。湘南電車にとっては、かなりの長距離を強いられる。
1228M、こちらは上諏訪発豊橋行きで、普通列車でも飯田線全線を通す。当時の時刻表を見ると、下りで5本、上りで7本が、7時間前後を要して飯田線全線通し運転していたとは驚きだった。

(以上撮影、昭和46年2月、昭和49年6月)

 地図を携えて線路端を歩いた日々 -12-” への4件のコメント

  1. 最下段の写真キャプションに「当時、飯田線全線を通し運転していたとは驚き」と書いたのですが、改めて現行の時刻表を見ると、本数を減らしたとは言え、今でも通し運転があることが分かりました。てっきり昔になくなり、すべて区間運転かと思っていました。案外、JR東海も慈悲深い?ことをするものだと感心しました。

  2. 古き良き時代の写真を拝見してたいへん懐かしい想いです。
    JR東海が慈悲深いかどうかは別にして、現在はまた直通運転の形態に戻っていますね。
    119系の最晩年に、昼間時に乗客の少なくなる本長篠~天竜峡間を単行運転とするため、半数近くの列車がブツ切になりましたが、単行運転可能な同系が消え、2両以上でしか運転できない213・313系に置き換わってから通しが復活しました。
    昔は伊那松島に機関区が置かれていたものですが、現在は機能が縮小されて殆ど留置線程度になったため、数日に一度は検査の為に豊橋へ戻す必要があり、そんな運用上の理由からも復活したものと思われます。

    参考までに現在の運転は上記両系による2両が基本となっていて、豊橋地区の朝夕ラッシュに4連運用がわずかにあるものの、豊橋地区の夕ラッシュと諏訪地区の朝ラッシュ及び昼の松本直通用に313系3連が2編成だけ運用されています。
    ・3連運用
    豊橋18:49発天竜峡行549Mで出区、翌日は天竜峡6:16発松本行213Mで伊那地区のラッシュをこなしながら松本へ向かい、松本13:04発飯田行216M~1510M~237Mで飯田の夕ラッシュ~岡谷20:36発230Mで天竜峡泊。3日目は5:17発上諏訪行211M~上諏訪9:19発544Mで豊橋へ16:16に戻ります。2時間半の間に検査とWCの汚水抜きなどを済ませて再び549Mで出区します。運用行路は3日間ですが、実質は検査期限2日間(48時間以内に要検査)ぎりぎりの運用です。
    面白いのは544Mです。時間帯からもわかるようにとても3連が必要な乗客数の列車ではありません。よしんば土曜日の飯田の昼下がりの多客用だとしても、12:19発では学生も間に合わないでしょう。ということはまさに検査のために飯田線を一日かけて南下しているものと思わざるを得ません。実際に乗ってみると18きっぷのシーズンにはさすがに1両に10人ほどの人が通して乗りますが、それ以外は新城辺りから数人づつが乗り込んでくる程度です。
    これらから現在の伊那松島は留置線と化していると推測しています。そういえば中部天竜にも電車が配置されていましたね。

  3. 1900生さま
    詳細なコメント、ありがとうございます。そうですね、たしか飯田線は通し運転がなくなり、ブツ切りになったと思っていたのですが、通し運転は、のちに復活したのですね。その理由が、18きっぷ族への配慮ではさらさらなく、部内の理由であることも分かりました。たしかに、以前は、豊橋、中部天竜、伊那松島と3ヵ所に車両区があった訳で、検査目的の長距離運転も必要なかったのですね。
    ほかの線区ですと、車両そのものは通しだが、途中の主要駅で長時間停車し、その間に列車番号が変わり、時刻表上では、別の列車に見える例が多く見られます。飯田線で該当例がないのは、沿線に乗客が入れ替わるような大きな駅がないからでしょうか。

    • おそらくそういう都市が無いからでしょね。唯一飯田が該当しそうですが、すぐ南方に天竜峡があるため、そちらが運転上の基幹駅になっているようです。
      なお豊橋8:10発の天竜峡行213系は天竜峡で後発の特急に追いつかれ、一旦留置線へ退避して特急を先に通した後、半時間後の別列車となって辰野方面へ直通する数少ない列車です。

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