塩江温泉鉄道

朝日新聞デジタルにこんな記事が出ていました。

「昭和初期の12年間だけ高松市の仏生山―塩江間(16キロ)を結んだ「塩江温泉鉄道」。当時走っていた「ガソリンカー」の写真や資料を紹介する企画展が、市香南歴史民俗郷土館で開かれている。23日まで。」

仏生山といえば乙訓の長老様の縄張り、ガソリンカーと言えば須磨の先輩の縄張り、なのに今まで聞いたことがありません。記事には写真も出ていますが“駅馬車”のような物です。
両先輩様、ご記憶が残っていればご説明下さいませんか?

 

塩江温泉鉄道跡を訪ねて

湯口先輩の20981「長春の旧塩江温泉鉄道気動車」を拝見して、2009年の年末に塩江温泉鉄道跡で少し写真を撮っていたので、ご紹介します。徳島県側から山越えし 塩江を通ったときのスナップです。線路跡は「ガソリン道」と呼ばれているようですが、知らない人には何のことかわからないネーミングですネ。
ガソリンカーの漫画がよく描けている

ガソリンカーの漫画がよく描けている

塩江温泉駅跡に建つ食堂と香東川の橋台跡
塩江温泉駅跡に建つ食堂と香東川の橋台跡
香東川の橋脚と橋台跡
香東川の橋脚と橋台跡
道路として使われているトンネル
道路として使われているトンネル
手前は鉄道橋の橋脚、向こうに見えるのは沈降道路橋
手前は鉄道橋の橋脚、向こうに見えるのは沈降道路橋

以上のように 塩江温泉から香東川沿いに線路跡はよく残っていましたが、谷が開けて平野部に入ると高松空港もあって道路が整備され、琴電仏生山駅付近も殆ど痕跡が見れませんでした。昭和4年から昭和16年までの短い生涯の鉄道だったにしては、よく遺構が残っているほうだと思いました。撮影は平成21年12月29日ですから、今は少し変わっているかもしれません。