環状線103系引退をお嘆きの貴兄に」への12件のフィードバック

  1. 米手作市様
    大阪環状線に最後まで残っていた103系1編成が103にちなんで10月3日を最後に現役引退したというテレビニュースを見終わってデジ青を開くと、この記事が登場しており、速攻ぶりに驚かされました。ところでこの写真は103系でしょうか?101系ではないかと思うのですが・・・。せっかくの速攻に水をさすようなコメントでスミマセン。

  2. 米手作市様、西村雅幸様

    ロートルには新性能車導入時の『環状線=101系』が頭にこびり付いているため、写真には疑問を持たずにスル―していました。

    思えば103系には、後になって片っ端から蓋をした空気孔が前面にあったのが特徴でしたね。

    国電ファンとしては不覚でした。

  3. 西村様、
    ご指摘の通り101系です。これが引退する時はほったらかしで、103系だけを持ち上げるマスコミと鉄道ファンへの皮肉です。

    • 米手様
      そういうことだったのですね。そんな深い意味があったとは恐れ入りました。

  4. 米手作市様
    大学通学の一時期 毎日乗っていた大阪環状線の101系は初期軽量車体故 更新もされず早い時期にほぼ原形のまま姿を消していきました。懐かしい写真ありがとうございました。

  5. 米手作市様

    皮肉でしたか。 深~い話ですね。 

    最初に環状線に入った101系は、T、Tcが新車だったのにM、M‘は中央線で曰く付きでクビになった中古車でした。
    それでも初めての乗車体験ではブ―ンと言う軽快なモーター音と、コトン、コトンというレールの継ぎ目音に甚く感動した記憶があります。

    • 私の環状線は101系です。高加速・高減速を売りにしていましたが、同時期にお目見えした阪神のジェットブルーだか赤胴だかの5100には及ばないのでガッカリしたのを覚えています。でも中央線のお古だったとは知りませんでした。

  6. 米手作市様

    そうなんです。 環状線の101系は、全M方式で90系として中央線に投入されたものの、消費電力等の関係で変電所等の地上設備が追い付いて行けず、M車を間引きT車と差し替える事になった結果出た余剰車でした。

    なお、その中央線の余剰車の残余はどうしたのか?が疑問ですが、勉強不足です。 ひょっとして当時101系が走っていた山手線にも押し込まれたかも知れませんね。

    • オールMのつもりがTが入ったので、鳴り物入りだった高加減速が頼りない中途半端なものになったのでしょうか?それでも京橋から森ノ宮間の残骸が残る砲兵工廠あとを走る101系の明るさはとてもうきうきした気分にしてくれました。当時の環状線は城東線の生き残りのゲタ電にオレンジ色の厚化粧をさせた年増女郎ばかりでしたから”掃き溜めの鶴”に思えました。

      • 米手作市さま
        砲兵工廠とは懐かしい名称ですね。何十年かぶりに聞きました。小生もはっきりと憶えていますよ。その頃は東寺の西に住んでいたので、母の帰省時に西大路駅から普通セミクロス車で大阪へ、城東線経由で天王寺、関西線キハ17或いはD51の牽く客レで柏原のルートでした。当時の大阪市内は高いビルも無く、特に城東線の車窓のハイライトは大阪城でした。それを遮るように鉄骨だけになった屋根の骨組みが延々と(そう思えた)連なっていたのを今でも憶えています。電車はモハ63系だったと思います。
        下って昭和51年に枚方の山奥に転居しましたが、暫くして近くを走る片町線に環状線流れの101系が2編成だけ入ってきました。通勤に一時片町線を利用していたので、出勤時に運用を確認して帰宅時に数本待ってでも101に乗ったこともありました。63系の中にあって101はハキダメの鶴どころか急行・特急車ほどの輝きに見えましたね。普段は63系のモーター音や、付随車サハ78が組み込まれておればそれに乗り、目を瞑って客車同様の走行音を楽しんでいました。
        なおオールMで計画された編成にT車を組み込んだ例は当時京阪の2000系スーパーカーにもありました。増大する輸送量を賄うため、質より量の時代の産物だったのでしょう。その後大容量のモーターが開発され、MT同数で編成される103系や2200系へとつながっていきました。

  7. 米手作市様 1900生様

    環状線の101系は導入当初は在来の73系他との混在運用でした。
     
    実はこの73系は101系導入の前年に突然オレンジ化されたため、度肝を抜かれた記憶がありますが、それは101系導入を前にした用意周到なイメージ作戦だったようです。

    用意周到ぶりはまだ有って、それはその更に前に行われた2両のクモニ13を使った思わせぶりな塗装試験でした。
    それは、オレンジ色のベタ塗りと80系が湘南色に強制塗り替えされる前の関西急電の伝統色でした。
    ファンとしては当然急電色を期待したのに、結局叶いませんでした。

    それにしてもオレンジ色は101系のような滑らかな車体には合っていても車体に凹凸の多い73系をはじめ31や79の30番台車など、重厚な戦前形には仰せの通り厚化粧の年増女郎そのものでした。

    そう言えば片町線にも少数の101系が入ってましたね。写真を撮った覚えがあります。
    その意図は判りませんでしたが、編成両数が環状線とは合ってなかったので、『片町線用』の運用があったんでしょうね。
    ひょっとして当時の田舎路線の、せめてものイメージアップのつもりだったんでしょうか。

  8. いずれにしても環状線のエポックと言えば古くは”年増女郎”の73系と新しくは101系です。付け加えると323系が最新のイメージでしょうか。103系は101系の延長線上の車両であり、アコモ改造車に至っては年増女郎が整形手術をしたような物で、廃車されるからといって泣きながら見送るような代物ではありません。と、私は思っています。

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