こんなんもあるで、とばかり言っていると現役生や後輩諸氏から「古いヤツや!」と言われるのではないか、との強迫観念にさいなまれます。
そこで奮起一発!最新の話題を
9月30日9時頃から10月1日払暁に掛けて梅小路新駅になる七条通をまたぐ山陰線の高架橋の架け替え工事がありました。人生前代未聞空前絶後の大イベントを見逃すわけにはいきません。その現地レポートを!
長老方は工事が始まる時間にはイビキをかいておられますが架け替え工事は8時半ごろから始まりました。
30日の山陰線は9:30頃には運休となり、翌日の始発用なのか下り回送の211系4連×2の8連が3本続いて行って、上りの特急と211系が過ぎると線路が切断されました。
▲鉄橋の架け替えというと、昔はソ300などの操重車を使いましたが今はないようなので、クレーン車でつり下げていくのかな、と思っていました。でもこんな車両に乗せられました。どこが運転席なのかどちらへ動くのか見当も付かない車です。新しい橋梁には複線の両側にホーム用のデッキが付いていますがこれで持って行って下ろすのです。
▲現橋梁を撤去する油圧ジャッキ車が橋梁の下への移動準備完了。
▲七条通が通行止め。山陰線も20:30頃に下りが運休、上りは特急が通るのを待って運休になりました。
▲二台のジャッキ車が本線下へ移動開始。二階のように見える台上に運転者が乗って操縦しているようだ。無数の車輪が180°曲がるらしい。
▲所定の位置に設置される。高架上は丹後鉄道の下り「丹後の海」(最終列車)
▲いよいよ新橋梁をのせた油圧ジャッキ車が動き始めた。
▲動いているのが分からないほどの微速前進だが七条通を突ききった。
▲進む度に係員が地面からの高さと停止位置への誘導を巻き尺と水準器で計りつつ指示していた。実に精密。地面に書かれた停止位置にピタリと止まったまま全車輪が90°回転した。
▲恐ろしいほどの車輪の数。七条通に直角に進んできた車列は西へ進む。ジャッキ車は二台が固定されている。
▲線路が切断されて旧橋梁撤去用ジャッキが上がり始めた。銀色に光るシリンダーが二本見える。
▲持ち上げ完了。移動開始。持ち上げたまま、左方向(南側)へ移動する。
▲移動中。新橋梁は横断歩道の手前で待機。
▲撤去完了。新橋梁が据え付け位置へ移動開始。この時間でも野次馬が山陰線の両側で固唾をのんで見ている。
▲設置位置まで進み、微調整をしながら降ろしている。なんだか祇園祭の宵山と山鉾巡行を同時に見ているような感じがした。
撤去された鉄橋はもう一度引き出して、組み立てた場所まで移動するのだが、明日(厳密には今朝)7:30から舞鶴へ行くのでここで引き上げました。工事は始発が通るまでに完了します。
▲できました。
▲信号機はすでに付いていました。レイアウトのブロックのようです。この向こう側に旧引き込み線のガードがありますが、なんでも駅の誘導路に使うとかで残っています。
以上報告終わり。あーしんど
米手作市さん、ご苦労さまでした。30日深夜に工事をしていたとはビックリしました。その日16時45分ごろに市バス205系統でJRの線路下をくぐっていました。貴兄から大規模の線路工事があるようだとしらされていましたので、ガードを潜るときに窓から南方を注視していましたら、仮設塀越しに巨大鉄工物が見えました。いよいよ工事が始まるのか、これで山陰線が改良されるのかと思いました。ふと思い出したのは京阪電鉄が東福寺~三条間で地下線工事をしていました。高橋博さんの誘いで2人は最終列車に乗車、東福寺で下車して線路沿いの道路を歩き、東海道線をくぐったところで工事区間となるので、市道の東端を歩き七条道に出てタクシーで帰宅したことを思い出しました。あれから何年経過したのでしょうか。
沖中さま
市内線地下切替工事をご見学されていたとは知りませんでした。昭和62年ですからもう30年になりました。今年5月に30周年記念式典があったそうです。
この線路切り替え工事の特徴は、位置的に上下にある線路を切り替えるというちょっと特殊なものでした。通常の線路切り替えは左右に振り替える、つまり切り替え先の新線を現在線の横に敷設しておき、工事に入ると現在線を切断して準備した新線に繋ぎ替えるというものですが、この工事では場所的条件や地下化という工事内容から通常工法が採れませんでした。そこで東海道線をアンダーパスして疎水に至る上り勾配の地上線の下に地下線を築造するしか方法がなかったようです。
工夫を要したのは地上線と地下線との接続部分でした。地上線を仮受けして地下構造物を築造しますが、最後の接続部分は左右振り替えのようにすぐ傍に準備することが出来ず、仮受け資材が支障する部分の地上線レール10数mを切断撤去、更に仮受け資材も撤去し、改めて他所で準備した軌道を挿入して地上線~地下線を繋ぐというものでした。
因みにもう記憶が薄れましたが、前夜23時頃から深草以北を運休してバス代行し、翌朝は8時頃からの開通だったと記憶しています。京阪の通常の複々線化や高架化工事では滅多に運休することはありませんでしたが、やはり手間暇をくう工法であったために時間を要したようです。
米手作市さま
お疲れさまでございました。レポート有難うございます。「わしは寝る!」と仰っていましたので当夜は白川夜船でお過ごしかと思っていましたが、やはりDRFC魂が見学を促したようですね。かなりの長時間を粘られたようですね。夜間は冷え込んだので気付け薬を飲みながらだったのでしょうか。持病持ちの小生にはとても真似はできません。
線路の付け替えは都市部でもまま見られますが、これほどの鉄道橋の架け替えはそう滅多に見られない貴重なものだと思います。臨場感溢れた写真でその場に居合わせたような気持ちになれました。
いやーホントに疲れました。
でも驚いたのは見物人の多いこと!それらが口々に解説をすること!中にはなんの工事か分からずに見ているおばちゃんもいます。「あそこの線路をこれに換えるんや」おっちゃんが説明していました。また「何時から始まるの?」とまるで映画か何かのように思っているおねえちゃんもいます。なんだかんだで最盛期は数百人が取り囲んでいました。町内の住人や!と言って最前列で見ました。
米手作市様
原住民ならではの現地取材、お疲れさまでした。ひと晩で見事に架け替える技術はすばらしいと感心しました。山九運輸機工さんともう1社の共同作業だったようですね。あの超重量物輸送特殊車両は、ドイツのショエル社製のユニットドーリという車両のようです。積載荷重160トンの3軸車、220トンの4軸車、330トンの6軸車とあるそうで、これらのユニットを縦に連結したり、横に並列に連結したりいろいろな組み合わせで使うようです。20:49の写真では7軸のように見えますので、4軸車と3軸車をつないでいるのでしょうか。驚いたのはタケノコ状の油圧シリンダ(テレスコシリンダ)です。何段のテレスコか判りませんが、さすがドイツ製だと感心しました。実車を見てみたかったです。しかしこの梅小路の一夜作業は彼らにすれば「口笛を吹きながら楽々できる」レベルのようで、例えば明石海峡大橋の橋桁とか東京湾レインボーブリッジなどを手がけているようです。いずれにせよめったに生で見られる作業ではなく、子々孫々に語り継がれる貴重な体験をなさった米手様がうらやましい限りです。
西村さん、解説ありがとうございます。
初めて知りました。いまも近所の方と話していましたが、みんな初めて見る機械で驚いて居ましたが、解説をして頂くとよく分かりました。
DRFCの人材の厚さには感心致します。
米手作市様
歴史の記録!。 貴殿の使命感に脱帽。
恐縮です。