会員諸氏にお尋ねするが、よもや大畑ループ、姨捨スイッチバックと木次三段スイッチバックに行ったことがない、などという者はいないだろう。
ところがいたのである。だれあろう我がDRFC会長のマルーン氏である。
ことの始まりは今年四月の木次線旅行でのこと。突然の崖崩れで予定の備後落合から木次へ行く列車が運休になり、JRが代行バスをだしたことで肝心の三井野原-出雲坂根のスイッチバックに乗れなくなった。マルーン会長様は当該区間は齢七十にして初めてのスイッチバックであったそうで、密かな期待で胸をときめかしていたそうな。ところが代行で乗れなくなったため泣きたくなるのを堪えながら「代行バスに乗ったからスイッチバックを通ったことと同じやな」と風呂につかりながら独りごちたのを居合わせた会員に聞かれてしまったのだ。
「夜行列車で通っても、寝ていたら乗車距離には入れてもらえない鉄の掟も知らぬ会長よ、三段スイッチバックも乗ったことのない会長よ」と後ろ指を指されるこれからの余生思うとき、マルーン会長様の屈辱はいかばかりか。
そんなこんなで、マルーン会長様をお助けして”おとこ”にしてさしあげよう、ということになり三人のお助けマンが立ち上がった!
私こと米手作市とS市選挙管理委員氏、それと島根県については猫が産まれたことも知っていると豪語するワラクロ屋氏である。当然すべての計画はワラクロ屋氏がしてくれた。
11月14日、一番のスーパーはくとで鳥取へ行って、遠目はいいが乗ったらガタガタのキハ126で宍道へ。かつてC56の引く混合列車が待っていたが今はキハ120が一両だけ。
そのキハ120が意外と混んでいた。老人が多いのだが、身なりは沿線の住民のようであるがカメラを持っていたり、i-padを駆使していたり、車内を動き回ったりして行動が不審である。ワラクロ屋がたまらず聞くと、三次から三江線で江津へ出て、昨夜は温泉津で一泊して今日は木次線に乗って備後落合から芸備線で三次へ帰るという。立派なテッチャングループであった。
今夜の宿はワラクロ屋推薦の出雲横田にある秘湯である。怪しげな地酒を飲んで星空を鑑賞して寝た。天気予報は曇りであったが明日も快晴だそうである。
さあ、いよいよマルーン会長様が男になる日が来た。
DE15が押し上げるオハ12改造のトロッコ列車に乗ったが、寒い!
なんでも出雲坂根の売店も車内販売も今日は月に一度の定休日だそうだ。しかし、さすがはワラクロ屋、八川駅のそば屋に出前を注文してくれたおかげでそば弁当にありつけた。ちなみにS市選挙管理委員氏は立場もあってか一言の文句も言わず従っている。さすが特別職公務員だ。
いよいよスイッチバックにさしかかる。
{動画を入れようとしたがわからないのでヤメタ!だれか教えてくれ!それと縦位置の画像を入れると横位置になる。どうして?}
備後落合では二時間の待ち合わせがあるので名物のおでんうどんを食べに行った。味は食べた人だけの秘密だ。
芸備線上下と木次線の三列車が並ぶ様は、「ちどり」時代を彷彿とさせる一瞬だ。
やがて布原を過ぎると新見、架線柱を見たら帰ったような気がした。
特急「やくも」は満員である。
暖かいシートに身を任せて、これでマルーン会長様は押しも押されもしない大会長様となった、と思ったら、「ワシは山陰線がどこまで行っているのかようしらん。乗ったことがない」と言い出した。こんなことが他大学の鉄ケンに知られたらDRFCの大恥は間違いない。
やっと今夜は家で寝られると思った矢先の青天の霹靂であった。
急遽三名で検討した結果、来年の五月にでもマルーン会長様を連れて山陰線を完乗させよう、ということになった。それまで会長様は男ではないことをお伝えする。
まずは素直に木次線三段スイッチバックにリベンジする機会を頂いた三名の皆様に心よりお礼を申し上げます。
天候に恵まれたのは何よりで、有り難かった。しかし寒かった。特に「おろち」号のトロッコは。島根を第二の故郷といわれる方のご推薦、簸川酒造の「七冠馬」のお陰でなんとか持ちこたえ、備後落合に到着。春のリベンジ達成!感涙にむせび、「八川そば弁当」を駅舎で頂いたのだった。それに足して「おでんうどん」まで。
ところで、正直、今まで山陰線の山口側に縁がなく、乗車したことがない。そしたら、米手氏よりまたしても、いわれなき攻撃が始まった。私はいじめられっ子だろうか?
今回ご縁を頂いた斐川温泉、かたくりの里民宿「たなべ」の岩魚は絶品であったことを思い出し、ショックを和らげようとしても、これからの厳しい攻撃に耐え忍ぶ毎日を想像すると・・嗚呼 でも、連れてってね。旅行は素敵!
マルーン会長様、
無事に帰られましてお疲れ様でした。
ワラクロ屋さんのおかげで楽しい旅行でした。でも、今から考えるとワラクロ屋さんの「島根は第二の故郷、まかしとけ!」はなにかうさんくさいモノがありましたな。行ったことのない旅館を勧めたり、前の川でとれるイワナだといいながら、聞くと倉吉から取り寄せてるだとか、駅前の喫茶店・プレスリーのマスターは友達だが今日は休みでいない、だとか。でも彼がいなければこんな楽しい旅行はできなかったでしょう。ワラクロ屋さん、ありがとうございました。次回は下関からの山陰線の旅、各地のお友達に休業しないようによく言っておいてください。
あんまり会長をイジメないで!火中の栗?を拾って下さった大オジンいや大恩人ではないですか。
察するに会長さまは一途に阪急命だったのでしょう。誰だって何かに集中すると周りが見えなくなることはあるでしょう。たまたま阪急にスイッチバックが無かったのか、山間部を走っていなかっただけなのでしょうから。
近いうちに山陰線を乗り通されるとか。門司発福知山行824列車なら朝5時過ぎに出て深夜零時前に着きますよ。一日で踏破できますが、残念ながら40年ほどまえだったら出来たのにねえの話ですが。
それにしても長距離旧客鈍行のあった頃が懐かしい。
そういえばワラクロ氏ご指定旅館の女将が、かつて京都へ行くときに夜行の客車列車で行った、と言っていましたがこれでしょうか?寝台車がついた各停だとか言っていましたが・・・