お待ちかね、京阪・流線型1000系

折しも、準特急氏の「流線型」シリーズが始まったばかり。当会にもファンが多い京阪の1000系が登場です。
ついでに近鉄京都駅に停車中の1000系もご覧に入れます。

お待ちかね、京阪・流線型1000系」への4件のフィードバック

  1. 米手作市様
    関連写真付きのご説明有難うございます。足回りが見えないのが残念ですが、横から撮られているので1100系の特徴がよく出ています。まず、運転室扉と客用扉の間に2枚の窓があるのが1100ロングシート車で、1枚の窓があるのが1000元クロスシート車でした。1000よりも1100が先に製造されたのを不思議に思っていましたが何故なのでしょうか。運転室が両側にあり両運車であったことがよくわかります。省電モハ52と京阪1000、1100が比較的似ているなと思っていましたが、当時の京阪の役員の方々は召電モハ52を研究されたいたのですね。

    • 準特急さま
      早速のご解説有難うございます。小生もなぜ1000型より1100型が先行したのかよく知りませんでしたので、この謎を解き明かすべく何十年か振りに、昭和35年12月に発行された京阪電車の社史誌「鉄路50年」をひも解いてみました。
      まず国鉄モハ52の歴史ですが、第1次車が昭和11年3月竣工5月営業開始、第2次車が翌12年3月に竣工しています。
      京阪1000・1100型はこれを受けて(対抗して?)翌12年8月に1100型8両、9月に1000型10両の新造認可申請を行っています。竣工時期はそれぞれ12年12月と13年3月(6両)10月(4両)です。余談ですが1100型は申請から4か月後の12月に、また1000型も6か月の翌年3月月に竣工していますが、この理由についてはよくわかりません。現在と異なり手続き時期が厳密でなかったのかもしれません。
      従って両形式の登場時期の差異については、その認可申請が一か月違いであることから、計画段階ではほぼ同時に進んでいたのではないかと推測され、たまたまの事情か設計上の事情などから(想像ですが例えば先にロングシート車が欲しかった、或いは豪華なクロスシートの設計に手間取った等)時期が前後した可能性が大きいと考えられます。これは丁度本州向けキハ58が基本設計であったのに、営業開始を急いだ北海道向けキハ56と横軽アプト対応のキハ57が先行製造された事情と同様のように思います。
      このあたりの事情は乙訓のご長老さまならご存知かもしれません。

  2. 米手さま
    近鉄京都駅での京阪1000系のアングル、初めて見ましたよ。これは、当時の京都駅6・7ホームの西端から撮られたのですね。こんなところから、撮れるのですね。さすが京都駅周辺を我が家のようにされておられた米手さん、新幹線ホームもできたばかりですから、遮るものがなく、すっきりしていますね。いい写真を見せてもらいました。

  3. 準特急様、1900生様、総本家青信号特派員様、
    過分なお褒めを頂きまして恐縮いたします。
    ご存じの通り電車、とりわけ私鉄の車両にはトンと知識と興味が無かった当時の私は、何の考えも無く撮ったのがこの写真です。それをかくのごとく褒めちぎられては知らん顔もできず、上記の通り自白する次第です。

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