お待ちかね!阪急P-6 投稿日時: 2011年3月7日 投稿者: 米手作市 いくら電車知らずの私でも阪急P-6だけは知っています。いかついニキビ面で地響きを立てて突進する姿は、轟音とともに記憶に中に深く刻まれています。怖かった!! でも、この塗色は印刷のせいかツートンカラーに見えるがそうなのでしょうか?ツートンの阪急電車て覚えがないのですが・・ 関連記事: お待ちかね、京阪・流線型1000系
毎度ながら関 三平さんのイラスト画の忠実さには感服します。 今回のP-6も、独特の架線と言い屋根上の母線カプラーと言い完璧ですネ。 外部塗色ですが、何せ1950(昭和25)年10月の事で小生は『ものごごろ』が付いた頃でしたし、京阪間は枚方の菊人形しか縁が無かったので全く知りません。 しかし、鉄ピクなどの資料によると当初オレンジとマルーンのツートンで、シルに銀色の帯を巻いていたようですので、このイラストは正解のようです。 特急板もこの頃は梅田には乗り入れてなかったからか、神戸線との識別の必要も無かったので2枚看板にはなってません。それにしても本当に忠実な描写には脱帽です。 返信 ↓
河様、 コメントありがとうございます。 本当にすばらしいイラストだと毎回感服しております。 しかし、関画伯はオリジナルをご覧になっていたのでしょうかね?すべてカラー写真を撮っておられたと言うことでしょうか?記憶だけで描かれたならそれも驚きです。当会にも、昨夜のおかずは忘れても半世紀以前に見た車両の車番や編成をすらすら言える方は多くおられるので。 返信 ↓
米手 作市様 貴殿がアップされたP6記事のコピーですが、残念ながら鮮明度が少々不足しており1行目~2行目にかけての記述で『・・・関西私鉄●●●御三家・・・』の●部分3文字が判読不能です。『関西私鉄で三・・・』と言えば思い浮かぶのはP6とモヨ100の他には今は近鉄となっている参急電鉄に在籍した片窓のデ2200なのでしょうか?(近鉄は合併の歴史が複雑なので、いまいちサッパリ判りませんが、ひょっとして大軌のデボ1000の方が正しいのかも知れません。) 何れにしても、『まずは阪急100系特急電車』とあるので続きが楽しみです。個人的には阪和が待ち遠しいです。 返信 ↓
河様、 失礼いたしました。 該当部分の記事は「関西私鉄“超弩級”御三家・・・」となっております。 ご存じでしょうが、写真部分(この場合、記事部分)にカーソルを乗せていただき、左クリックを一回していただきますと記事が拡大されますがそれでも見にくいでしょうか?拡大サイズに限界がありますが次回はもう少し大きくするように努力してみます。 返信 ↓
米手 作市様 そうでした。 いつも写真の場合はクリック拡大で見ているくせに、何を勘違いしたのかこのボケ老人は、これに限って写真と記事コピーは別物とでも思ったのか『%拡大』で見ようとして150%、200%で悪戦苦闘していました。(笑) PCには、そこそこ自信があるつもりで、今までこんなアホみたいな事したこと無かったのに・・・とドジ加減に落ち込みました。 その上、鮮明度が悪いなどと原因を他人のせいにするなんて! 以前の『関西急電』や『クハ79066』の時はちゃんとクリック拡大で見たのに。『いよいよアルツが入ったんかいな』と情けなくなります。 今回は大変ご無礼を致しました。ご容赦を。 返信 ↓
河昭一郎様 関西国電の数々の名シーンを発表されており、小生の如き若輩者の出る場面ではありませんが、関西超弩級御三家は新京阪デイ100(P-6)、阪和モヨ100そして河様最初に言われた片窓(便所の部分が正面になると片窓ですね)の参宮急行デ2200が一般的であると思います。これらの車両の特徴は①超重量級(当然車長も19~20mでP-6は52.4tと言う表示を見た記憶があります)、②200馬力(150KW)の大出力モーターと高速運転、③2ドアクロスシート等の共通の特徴が見られます。加えて④P-6は国鉄燕を追い抜く、モヨ100は日本最速、デ2200は省線2等車並みのシート等々の話題性があり、その結果、ファンの間では関西私鉄の御三家的な扱いになったものと思われます。尚、上記①~④の条件に当てはまる車両として南紀直通「黒潮」号を牽引し、また日本初の冷房電車となった南海モハ301を加えてもよいのではと個人的に思っていますが、架線電圧が600Vであったことなのか、難波から南に出ていて関西人でも目にする機会が少なかったのか、少しファンの人気は落ちる様です。このような話についてはJTBキャンブックス「近鉄特急」上巻(田淵仁著) に出ております。また、類似記事はプレスアイゼンバーン「P-6物語」や同じくプレスアイゼンバーン「参宮特急史」にも出ております。また、過去の趣味誌にもいろいろな形で出てきたかと思います。最後に大軌デボ1000及び1100につきましては御三家と同じ頃に製造された19M車で200馬力(150KW)の大出力車でしたが、3ドアで比較的近距離輸送を担っており、後に出た1200、1300、1400は同出力の20M車になりましたが、全体に地味な活躍であり、優秀な車であったもののデ2200の陰で目立たなかったものと思われます。御三家をはじめデボ1000系列の晩年の姿を見ることができましたが、それだけに小生も物忘れの多い高齢者に属しております。 返信 ↓
河様、 ありがとうございます。 電車の大家でおられる、河昭一郎様にご覧いただいていることは誠に光栄であり、緊張感を持って投稿いたしております。今後とも、お気づきの点はご指摘いただければありがたい限りであります。 ところで、上記準特急氏の記事中にあります「近鉄特急 上下巻」の作者は、当会の会員であり近鉄の研究者でもある田淵仁氏の作品です。ご覧いただければ彼も喜ぶのでは、と存じます。 返信 ↓
毎度ながら関 三平さんのイラスト画の忠実さには感服します。
今回のP-6も、独特の架線と言い屋根上の母線カプラーと言い完璧ですネ。
外部塗色ですが、何せ1950(昭和25)年10月の事で小生は『ものごごろ』が付いた頃でしたし、京阪間は枚方の菊人形しか縁が無かったので全く知りません。
しかし、鉄ピクなどの資料によると当初オレンジとマルーンのツートンで、シルに銀色の帯を巻いていたようですので、このイラストは正解のようです。
特急板もこの頃は梅田には乗り入れてなかったからか、神戸線との識別の必要も無かったので2枚看板にはなってません。それにしても本当に忠実な描写には脱帽です。
河様、
コメントありがとうございます。
本当にすばらしいイラストだと毎回感服しております。
しかし、関画伯はオリジナルをご覧になっていたのでしょうかね?すべてカラー写真を撮っておられたと言うことでしょうか?記憶だけで描かれたならそれも驚きです。当会にも、昨夜のおかずは忘れても半世紀以前に見た車両の車番や編成をすらすら言える方は多くおられるので。
米手 作市様
貴殿がアップされたP6記事のコピーですが、残念ながら鮮明度が少々不足しており1行目~2行目にかけての記述で『・・・関西私鉄●●●御三家・・・』の●部分3文字が判読不能です。『関西私鉄で三・・・』と言えば思い浮かぶのはP6とモヨ100の他には今は近鉄となっている参急電鉄に在籍した片窓のデ2200なのでしょうか?(近鉄は合併の歴史が複雑なので、いまいちサッパリ判りませんが、ひょっとして大軌のデボ1000の方が正しいのかも知れません。)
何れにしても、『まずは阪急100系特急電車』とあるので続きが楽しみです。個人的には阪和が待ち遠しいです。
河様、
失礼いたしました。
該当部分の記事は「関西私鉄“超弩級”御三家・・・」となっております。
ご存じでしょうが、写真部分(この場合、記事部分)にカーソルを乗せていただき、左クリックを一回していただきますと記事が拡大されますがそれでも見にくいでしょうか?拡大サイズに限界がありますが次回はもう少し大きくするように努力してみます。
米手 作市様
そうでした。
いつも写真の場合はクリック拡大で見ているくせに、何を勘違いしたのかこのボケ老人は、これに限って写真と記事コピーは別物とでも思ったのか『%拡大』で見ようとして150%、200%で悪戦苦闘していました。(笑)
PCには、そこそこ自信があるつもりで、今までこんなアホみたいな事したこと無かったのに・・・とドジ加減に落ち込みました。
その上、鮮明度が悪いなどと原因を他人のせいにするなんて!
以前の『関西急電』や『クハ79066』の時はちゃんとクリック拡大で見たのに。『いよいよアルツが入ったんかいな』と情けなくなります。
今回は大変ご無礼を致しました。ご容赦を。
河昭一郎様
関西国電の数々の名シーンを発表されており、小生の如き若輩者の出る場面ではありませんが、関西超弩級御三家は新京阪デイ100(P-6)、阪和モヨ100そして河様最初に言われた片窓(便所の部分が正面になると片窓ですね)の参宮急行デ2200が一般的であると思います。これらの車両の特徴は①超重量級(当然車長も19~20mでP-6は52.4tと言う表示を見た記憶があります)、②200馬力(150KW)の大出力モーターと高速運転、③2ドアクロスシート等の共通の特徴が見られます。加えて④P-6は国鉄燕を追い抜く、モヨ100は日本最速、デ2200は省線2等車並みのシート等々の話題性があり、その結果、ファンの間では関西私鉄の御三家的な扱いになったものと思われます。尚、上記①~④の条件に当てはまる車両として南紀直通「黒潮」号を牽引し、また日本初の冷房電車となった南海モハ301を加えてもよいのではと個人的に思っていますが、架線電圧が600Vであったことなのか、難波から南に出ていて関西人でも目にする機会が少なかったのか、少しファンの人気は落ちる様です。このような話についてはJTBキャンブックス「近鉄特急」上巻(田淵仁著) に出ております。また、類似記事はプレスアイゼンバーン「P-6物語」や同じくプレスアイゼンバーン「参宮特急史」にも出ております。また、過去の趣味誌にもいろいろな形で出てきたかと思います。最後に大軌デボ1000及び1100につきましては御三家と同じ頃に製造された19M車で200馬力(150KW)の大出力車でしたが、3ドアで比較的近距離輸送を担っており、後に出た1200、1300、1400は同出力の20M車になりましたが、全体に地味な活躍であり、優秀な車であったもののデ2200の陰で目立たなかったものと思われます。御三家をはじめデボ1000系列の晩年の姿を見ることができましたが、それだけに小生も物忘れの多い高齢者に属しております。
河様、
ありがとうございます。
電車の大家でおられる、河昭一郎様にご覧いただいていることは誠に光栄であり、緊張感を持って投稿いたしております。今後とも、お気づきの点はご指摘いただければありがたい限りであります。
ところで、上記準特急氏の記事中にあります「近鉄特急 上下巻」の作者は、当会の会員であり近鉄の研究者でもある田淵仁氏の作品です。ご覧いただければ彼も喜ぶのでは、と存じます。