北海道家族旅行(1)

以前から北海道へ行こうと家族で話していたのですが今回実現することができました。観光旅行がメインとなり「鉄分補給」は期待せずというスタンスで予備知識も全く無いまま出かけました。このためクローバー会諸兄からは「こんな事も知らんのか」とお叱りを受けそうですが、私としては「こんなんありました」ということでご容赦願います。出発は大阪/伊丹ANA20便(B777-200)で東京/羽田経由ADO65便(B737-700)で帯広に到着です。B737も形式は古いですが-700まであるとは思いませんでした。帯広のホテル近くを散歩していて見つけたのが「十勝鉄道蒸気機関車4号、客車コハ23号」です。

遊歩道に屋根つきのスペースで保存されていました。

保存状態としてはよく手入れされていることが分かります。塗装もきれいですしあまり埃まみれにもなっていません。

客車にしても鮮やかな色のままです。「十勝鉄道」については詳しい方もおられると思いますが、機関車は1920年製、客車は1925年製で当初は北海道精糖専用鉄道でしたが客扱いを始めた頃に製造されたようです。ネットで見ますと2010年代前半までDE10やDE15が所属していたとありますが…。営業距離100kmの会社だったようですね。機関車の銘板を載せておきます。1920年日車・名古屋です。帯広の「鉄分補給」はこの一箇所のみです。次は小樽の写真を整理中です。

 

北海道家族旅行(1)」への4件のフィードバック

  1. wakuhiroさん 十勝鉄道の機関車と客車がきれいな状態で残っているのはいいですね。私の持っている「日本の軽便鉄道」という本に4号機関車の写真がありました。写真には「ドイツ風につくられた日本車輛製Cタンク機関車」と書かれてあります。

    • 本当に常に手入れされているという感じがします。帯広市指定文化財として、平成6年に設置されたようですが10年以上経っているのに保存状態は良好です。「ドイツ風」ですか、そう言われると小さいながら何か武骨な気もします。

  2. wakuhiroさま
    鉄分補給を考えず予備知識も無かったと仰るのに、鋭い勘と嗅覚で保存車両を見つけられたのですね。何度も帯広界隈をうろついた小生ですが、全く気が付きませんでした。十勝鉄道は昔から気になっていた鉄道ではありましたが、如何せん貨物輸送主体で、時刻表にはわずかに起終点と分岐駅及び主要2駅、8往復の時刻しか掲載されておらず、殆ど情報がない未知の鉄道でした。須磨の大老や西村さんのように文献資料を漁る気もなかったので尚更でした。旅客輸送は昭和30年代初めに終了しています。
    最近まで在ったDE10・15は、柏林台~西帯広間にある帯広貨物駅と日本甜菜製糖工場との間の専用線5㎞余りの輸送用でした。貨物駅から大成駅の手前まで、根室本線の北側に沿って敷かれていました。今でも線路跡は車窓から確認できます。一度撮りたいと思いつつもいつも見逃していました。
    旅客営業は

    • 1900生さま、帯広では家族の希望もあり「ガーデン街道」なる「庭園」をレンタカーで回っていましたが、たまたま夕方にホテル(北海道ホテル)の近くを散歩していて見つけました。「思い出の小径」という一角にあるのですが十勝鉄道は地元では「トテッポ」と呼ばれて親しまれていたようです。北海道といえば「ニセコ」くらいしか知らなかったのですが、説明文を読んでいると、奈良や大阪の温暖な地方で育った者には計り知れないくらい、鉄道は北海道開拓には欠かせない本当に大切なものだったと思います。

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