【97963】大阪市電1001型

しばらく(約一ヶ月)このシリーズの新聞掲載がなかったので、関三平先生のお身体に故障が発生したのか、交番検査で入場かと心配のあまりお電話したところ、先生はお元気で安心しました。しかし、新聞社の勝手で掲載が4週間に一回となったとか!けしからん!!と怒りまくっております。

閑話休題

大阪市電は京都市電と違い、全く分かりません。知りません。
ご存じなのは「大阪特派員」氏でしょうか。同じ特派員氏でもこちらの方は全くアナログで、貴重な写真も投稿できないそうなので、また介護に行かねばなりません。介護士不足が身にしみます。

大阪市電1001型” への13件のコメント

  1.  久々に登場の大阪市電。1001型は、シングルルーフなのに端部は蒲鉾断面のようなダブルルーフの形状でアクセントを付け、窓は二段で側面の上部窓には上が曲線に飾ってあるなど、大正ロマンを漂わせる三扉の木造車体でした。製造の始まったのは関東大震災の前年で、震災被災者の流入などで人口も日本一となった大大阪時代の足となりました。輌数も多く戦後も市内いたるところを走りまわっていました。大阪駅前などお客の多い停留所にいた切符売り(回数券をばら売りする)のおばちゃんの割烹着姿と良く合う市電でした。関先生の絵は、寝そべるきれいなお姉さんの看板の前を、日の丸掲げて走る1001型の晴れ姿、いいですね。
     市電最盛期に3001型(大きな前面窓の左右に狭い縦長窓を配する大阪独自のデザイン)が登場し、間接制御・弾性車輪などで静かで乗り心地が良く好評を博しました。気を良くした交通局は、古くなった1001型の機器や台車を使い、3001型の車体を乗せた一見新車風の2601型を走らせました。
     関先生の絵には阪急東口停留所付近とありますが、阪急東口は天神橋六丁目(大阪風には天六)・守口方面からの系統を、多系統で混雑する大阪駅前へ乗り入れないよう、ひとつ手前で折り返えさしていた停留所です。絵にもありますように近くにはOSミュージックホールという文化施設がありました。興行会社東宝が女性が見ても上品なエロティシズムを楽しんでもらおうとキタに作ったものです。ミナミには同じく東宝が高島屋百貨店の北側の南街会館に南街ミュージックホールを昭和30年に作りましたが、こちらは上品な・・・というのが何故かミナミの土地柄に合わず三年で撤退。OS・南街ともこういう興行ではあるものの宝塚劇場の流れをくむ東京宝塚ですから、演目プログラムを発行していました。南街は近所なので親父が時々行っていたらしく、隠されていたプログラムを盗み見て綺麗なお姉さんの写真を見て世の不条理を感じたのは、関先生と同じです。なお当時のプログラムは東京有楽町の日劇ミュージックホールのものなどと共にヤフーオークションに出展されることがあり、なんでも残したはる人がいたはるんやなあと、中学生の頃が思い出されます。
     さて、大阪市電は昭和44年(1669)3月31日に廃止されましたが、当日の阪急東口停留所には大阪市長も最終電車の見送りに参加しました。1001型を種車とした2601型は広島や鹿児島で今でも活躍しています。なお、OSミュージックホールも何故か全く同じ日に幕を閉じました。きれいなお姉さんはどこへ行かれたのでしょうか。翌年はEXPO70大阪万博だったので、コンパニオンになられたかな。
    大阪メトロは万博会場目指して延伸できるかな。なにわ筋新線はボーリング地質調査が沿線で始まっています。

    • 「大阪通信員」様、ありがとうございます。
      貴兄は実物を見た数少ない生存者です。私には京都市電の500型に見えます。お手持ちの1001型の写真をぜひ見せてください。写真はあるが技術が無い!と言われるなら、今とりかかっている乙訓の長老の仕事を後回しにしてもすぐに参上いたします。ご一報ください。
      ついでながら、私が人生で撮った二枚の大阪市電写真から厳選した一枚をご覧に入れます。

  2. 米手作市 さま
    先日は、介護士一号として大阪メトロ日本橋駅まで介護認定においでいただき有難うございました。電子複写の勉強を始めておりまりすので、これぞという画像がありましたら投稿させていただきますので、乙訓の長老の作業にお励みください。先に介護されました湖畔のヒマ人の介護はその後いかがですか。今、話題の京都市電600型など生家の前の四条通りをひっきりなしに走っていたのを憶えているか聞いてあげてください。
    大阪市電3007守口行きの写真をおおきに。3001型は巻きバネを使った台車で、ほんまに乗り心地の良い電車で、市内中心部の運用が多かったです。周辺部は車体はおなじでも板バネの旧式釣り掛け台車の2601型がやかましく使われていました。ともに運転手の右後方の席は特等席でした。これは両端二扉の京都市電では味わえない、大阪市電の楽しみでした。

    • 大阪通信員様、
      ご安心ください。私の介護技術はミシュランの三つ星を頂いております。湖畔のヒマ人さんは、いまや、無印不用品と名を変えてご活躍でございます。乙訓の長老様も、現在コイルの巻き直しが済めば動き始めると思います。大阪特派員さんにおかれてもOSミュージックの記憶ばかりではなく、鉄道の記憶も甦らせてご投稿ください。ご要請があれば、不肖・介護士が上がり込み「泉屋のクッキー」缶に入っている写真を引っ張り出して投稿のお手伝いを致す所存です。

  3.  一瞬ここはどこか?と思いました。
     「阪急東口」ありましたね。今のナビオとOSビルの間の大通り、「阪急東通り商店街」の入り口辺りになるのでしょうか。
     OSビルは、確かシネラマのOS劇場の跡地、ナビオは北野、梅田劇場、スカラ座の跡地、歓楽街でしたね。そこに守口駅前行きとか市電が走っていたのは記憶があります。
     OSミュージック、行ったことはありませんが、その響きはどこかに記憶があります。昭和ですね。懐かしい!

    • マルーン様、
      私は中学生の時にシネラマの大作「アラモ」を見にOS劇場に行った記憶があります。ジョンウエインのデイビークロケット、カッコよかった!
      ブラザースフォーの「遙かなるアラモ」のレコードも買いました。

      • マルーンさん、米手さん 大阪市電最終日ごろの(実は本当に最終日かあいまい)阪急東口で撮ったものです。「アラモ」ではありませんが「アポロンの地獄」の映画看板が見えます。自動車にじゃまをされましたが、今となれば懐かしい形です。停留所にいているテッチャンらしき生徒さん が二名いますが、ちゃんと学生帽をかぶっています。そこが昭和ですね。

  4. 大阪通信員様
    乗り心地の良い台車とは この台車のことでしょうか?もしこれなら今でも広島で体験できます。

    • そうです。車軸を左右のコイルバネで支えるウイングバネ式で枕バネもコイルという台車で大阪市電型と言われたものです。見ただけででも、ふわふわ押さえてみたくなるようです。ホイールベースも長く乗り心地に寄与していたでしょう。大型車の1601型などに使われていて足回りに空間がなく、車両全体が重厚に見えて、走る姿は巡航という表現がぴったりでした。その雄姿は元祖青信号特派員さん編による「JTBキャンブックス大阪市電が走った街今昔」の表紙を飾っています。ウイングバネの重厚な台車はTR47でスハ43系客車が思い出されます。
      西村様の写真の台車はまだ現役ですか。乗り心地を思い出すべく広島を訪ねたいものです。しかし昔のものは手入れすれば永く使えるものですね。名古屋駅で一週間ほど留まっていた台車は何なんでしょうね。

  5. 1001型はさすがに見たことがなく、かろうじて大阪市電が廃止になった1969年3月に阪急東口で撮った写真がありました。高3になる春休み、こちらも車に邪魔された写真ですが、この時の上映は「ファニーガール」でした。また、市電の後ろに写っているのはトロバスのようですが、同じところをトロバスも走っていたのでしょうか?

    • あっ、トロバスの上、すなわち右上に問題の縦向きで「OSミュージック」の看板が写っていますね。

      • そうですね。17歳の春ですから「OSミュージック」が何たるか多分まだ知らなかったでしょう。大学入学後でしたら向学のため見に行っていたかもしれませんが、市電と同時になくなったんですね。残念!

        • 時代の生き証人、大阪特派員氏に聞きましょう!きっとAsahiPentaxS2で隠し撮りしたマル秘写真が“泉屋のクッキー”缶にあるはずです。

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