18きっぷで東海道を巡る -8-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る①

国鉄時代に製造された185系で運転される特急「踊り子」の動向は、関西にいても気になる存在です。世代交代の激しい首都圏にあって、「踊り子」は登場から35年も経過しながら、ずっと185系で運転され、同時期に製造の117系と比べて、その健在ぶりは驚異的に映ります。ただ、後継車両も見えてきたようで、本腰を入れて記録しなければと思っているところでした。タイトルの“18きっぷ”のシーズンではありませんが、185系活躍の場である湘南・伊豆へ、あえて梅雨時を選んで行って来ました。
梅雨時とあれば、本欄でもよく紹介されている紫陽花に限る。改めて東国へ向かうと、線路端に多くの紫陽花が咲いている光景が見られる。もちろん関西でも見られるが、寺院の庭に限られているような感じで、線路沿いにも咲く光景は、新鮮に感じられた。

185系と紫陽花のコラボは、たまたま見つけた撮影地だった。伊東線網代駅下車、徒歩10分の歩道橋である。ちょうど見下ろす伊東線の線路端には、紫陽花が続いている。群生とまではいかないが、地元の方が育てられたそうだ。ある程度知られた撮影地のようで、行った時も、数人がカメラを構えていた。網代は、過去、クローバー会の面々と訪れたこともあって、その時は、左手の山手から、海を入れて撮ることができた。
今回、伊東線を訪れた別の理由は、大好きな伊豆急103号が、久しぶりに動くと聞いたからだった。当日は、「静岡プレDC特別企画 100系水族館でんしゃの旅」のヘッドマークを付けて、伊豆急下田~片瀬白田を往復した。片瀬白田では、30分ほどの折り返し時間があり、その間に、「踊り子」との交換も見られ、端正な昭和の顔が揃う、納得の一日となった。

片瀬白田を発車して行く伊豆急103号、以前はよくイベント列車で運転されていたが、集客が思わしくなかったのか、最近は、運転されることも少ない。今回は静岡デスティネーションキャンペーンの一環として運転された。HMに“プレ”と書かれているように、これからの運転も期待したい。

 

 

 18きっぷで東海道を巡る -8-」への6件のフィードバック

  1. 総本家青信号様
    関東荒らしも凄いですね。文中にクローバー会の面々とあり、その一人は私と思いながら、よく考えてみると総本家さんと行ったのはEF5861の踊り子で伊東あたりでしたね。185系は少し落ちる特急ですが、そろそろなくなるとなると人気者になり小田急LSE共々人出が多い様です。私も晴天の日ですがいつもの撮影地ですが井の頭線高井戸~浜田山の紫陽花です。

    • さっそくのコメント、ありがとうございます。はい、一緒にEF5861「踊り子」を撮りに伊東線へ行きましたね。どこで降りたか記憶も定かでなく、当時の撮影記録を見返しました。行ったのは2000年の暮れで、列車も「さよなら20世紀 踊り子」というネームでした。下車したのは伊豆多賀で、来宮寄りに歩いたところでした。ところが、私はフィルムを入れないまま写すという、恥ずかしい間違いを犯してしまいました。今となっては、フィルム時代ならではの懐かしい思い出です。この時は、準特急さんの勤務先の伊東の保養所に泊めてもらいました。記事にしたのは、もっと前で、昭和50年ごろだと思いますが、数人で、今度はTさんの湯河原の保養所に泊めてもらい、網代で降りて、山側から俯瞰撮影をしたことを覚えています。

  2. 総本家青信号特派員さま
    特派員さまも伊豆急100系電車がお好きでしたか。実は小生も好きな電車ですが、残念ながら余り縁がない電車ではありました。最近の伊豆急は東急からの転入車に置き換わって、観光路線用としてはいささか物足りないように思えますが、この100系はデザインをはじめ伊豆急に相応しい電車だったと思います。昭和37・38年頃に修学旅行で伊豆半島へ行くことがあり、開業直後の同線を見る機会がありました。当時でも地方鉄道の長距離路線の新設開業は珍しいことでしたが、どんな塗色の電車が走るのだろうと密かに期待していました。小生の中ではいつの間にか伊東線などに合わせて湘南色になるだろうとの想いが勝手にイメージされていき、ピク誌でブルーの濃淡を見た時は随分勝手にガッカリしたものでした。しかし考えてみれば国鉄とは乗り入れはしても何の関係もなく、しかも海沿いを走るとあってはこういうブルー系の色もありかなと後日納得したものです。単線の割に列車本数が多く、時刻表からダイヤを作ってみたり、下田から西海岸回りで修善寺や沼津までの新線を地形図に予定線として書いてみたりと遊んだ記憶があります。乗車は10年ほど前に一往復しただけです。

    • 伊豆急100系の思い出、聞かせてもらいました。ブルーの塗装は、当時「ハワイアンブルー」と呼ばれ、その柔和なスタイルとともに、私も憧れでした。当時は、ほとんどが伊豆急線内
      の運転で、熱海を通ってもなかなか見られず、より憧れを抱くようになりました。その後、熱海で、伊東線乗り入れの100系に初めて出会いました。当時の熱海駅は、3・4番ホームに切り欠きホームがあり、ホーム長いっぱいに停車した6両編成の姿に感激しました。また家族で熱海に泊まったのが、来宮駅近くの円形ホテルで、その時は、来宮駅に張り付いて、100系を間近に撮ったことを思い出します。

  3. 総本家青信号特派員さま

     北大阪地震での散乱書籍の片付けなどでお疲れのところを、185系の画像を投稿いただきありがとうございます。日光型157系が好きだったので185系が登場したときは嬉しかったです。斬新な車体塗装のデザインは良く採用されたものです。単純だが印象に残ります。社用車のバンを似た塗装にして185系を思い出し楽しんでいました。
     特派員氏の画像は、的確に表現されており見やすく何時も楽しみにしています。人物入りのも多くいいですね。最近では明知鉄道での「下車した子供と若いお母さん」よそ行き衣装の家族の動きと停車する列車、とても素晴らしい配置で良かったです。
     

    • 大阪通信員さま
      コメントをいただき、ありがどうございました。私の投稿写真もよく見ていただいて、感激しました。
      なんと、社用車を「踊り子」と同じ、濃緑の斜め帯にされているとのこと、ここまでお好きだったとは、恐れ入ります。鉄道車両の色帯は、水平であり、斜めにするのは、帯端に限ると言った不文律があったと思いますが、敢然と帯そのものを斜めにしたのは、斬新な発想でした。
      実は、昨日、大阪通信員さんがコメントされた、ほぼ同時刻に、大阪メトロ日本橋駅付近を徘徊していました。以前、ご案内をいただいた地下街の喫茶店の前を通り、“ここで、通信員さんと話しをしたなぁ”などと偲んでおりました。まさに、その頃に、パソコンをいじっておられたとは、虫の知らせ(失礼!)ですね。米手さんが介護に乗り出しておられると聞いていますが、何でしたら、乙訓老人と同じように、ダブル介護に伺いますよ。

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