18きっぷで東海道を巡る -3-

【75019】の続き、清水市内線の後半に移ります。
この日、昭和49年6月の一日は、とにかくよく回りました。まず豊橋へ向かい、市asy60908-076内線乗車・撮影、浜松でも浜松区・遠州鉄道を撮影、途中、磐田、金谷でEF18、大井川鉄道を撮影、吉原までワープし、岳南鉄道に往復乗車と富士岡車庫撮影、そして、16時ごろ、やっと清水市内線に入りました。ここで数時間撮影したあと、名古屋へ舞い戻り、夜行列車に乗って、塩尻から飯田線へ入るという、ハードスケジュールでした(ただし6月のため、普通切符での往来)。体力、気力があふれた若さがあればこそとの思いでした。           終点ムードあふれる横砂で、折り返しの電車が発車を待つ

asy60908-067新清水駅前から市内線電車に乗って、単線区間の袖師まで来た。以前の清見寺の項でも書いたが、かつて、この付近の東海道線にも、臨時駅の袖師があり、海水浴シーズンのみ営業を行っていた。ここから海は見えないが、かつて夏場に多くの下車客で賑わったことだろう。訪問した時でも、地元の人たちで結構の賑わいを見せていた。ベンチの人たちは、この電車が次の横砂からの折り返しを待っているところ。
asy60908-074線路上を歩いて、すぐの近くの終点、横砂にやって来た。島式ホームが一本のみの典型的なローカル私鉄の終端駅の構造で、左は折り返し電車、右の一線は、やけに細長い電車1両分の木造庫へと伸びている。
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緩くカーブした向こうから横砂止まりの電車がやって来た。狭いホームでは、子どもが遊び、折り返し電車を待つ乗客が待っている。asy60908-069やって来たのは62号、降車客は数人だった。6月と言えども、19時を過ぎると、さすがに薄暗くなってきた。

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り返しの発車まで数分、ホームで待っていた乗客は車内に乗り込んだが、子ども連れの家族は、まだホームで話に夢中だ。asy60908-078▲やがて発車、子どもたちは手を振って、別れを惜しんでいた。15分に一回、当たり前のように繰り返されている、何の変哲もない光景だろうが、今となっては、なんと懐かしい光景だったと思う。

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