18きっぷで東海道を巡る -1-

今週末で今年夏の青春18きっぷのシーズンも終わります。JR各社からは、とりわけ老人向けの格安企画きっぷが出始めて、以前ほどの価値はなくなりましたが、それでも元祖格安きっぷの王者であることに変わりはありません。
syoP111079818切符の使用途はいろいろですが、私の場合、東の京都へ行く場合でも、一日掛けて行くこともあり、昼間の東海道線を上下することが多くありました。誰でも考えることは同じで、18シーズンは老若男女で混み合い、決して快適な旅ではありません。でも、直行するだけではなく、たとえ一時間でも途中下車して、成果を求める。これは、乙訓の老人さま、準特急さんからの有り難い教えに他なりません。
やはり京と江戸を結んできた東海道、他にはない歴史の積み重なりがあり、鉄道、歴史、地理と絡めて、たいへん興味深い地域と言えましょう。東海道に挑戦する、と言えば準特急さんが有名ですが、不肖、私も京都から東京まで、鉄道で行き来する間に、散在する鉄道関係の遺構や現況を見聞してきました。過去、直近に渡って、紹介しましょう。      目的地は興津駅下車、徒歩15分                                     

東海道線で分断された清見寺
ことし春に行ったのが、静岡市清水区の清見寺だ。寺の名前は知らなくても、東海道線で分断されていると言えば、ピンと来る方も多いだろう。

東京と京都を結ぶ鉄道計画が、中山道経由から東海道経由に変更されて、東海道五十三次の宿場町、興津でも熱心な誘致運動が展開された。明治22年に興津駅が誕生し、東海道線は興津の街の山沿いを横切ることになった。ちょうど清見寺の境内が予定地と重なり、鉄道敷地として召し上げられることとなった。南側に総門、北側に山門、本堂に分断され、syo煉瓦積みの陸橋で結ばれている。この姿は、明治時代とも変わらず、当時の絵葉書にも、いまと同じ風景を読みとることができる。社寺が鉄道建設によって分断されるのは京都でも見られるが、こんな地域でもあったのは、さすが東海道と言う感じがする。
清見寺は、臨済宗妙心寺派の寺で、徳川家康が幼少の頃、人質として預けられてsyoP1110755いたと言い、徳川家康の手植えと伝わる臥龍梅や、池泉庭園や梵鐘、宋版石林先生尚書伝など数多くの指定文化財がある。
東海道が目の前にあることから、朝鮮通信使の接待も行われた。朝鮮通信使が書いた、漢詩、扁額、絵画などが残されている。   清見寺前の東海道線、明治22年の開業時と現在
syoP1110776▲ 「東海名區」の扁額を掲げる総門、この門だけが海側に分断されてしまった
syoP1110769▲ 海側と山側を結ぶ煉瓦積みの陸橋は、東海道開通時に造られたものだろうか、意匠のある手の込んだ造りだ。

syoP1110752▲ 小高い丘にあり、山門を通して、興津の街から三保の松原まで眼下に見ることができる景勝の地に建つ。観月の名所地でもあったと言う。

この付近には小さい頃の思い出が残る。昭和36年だったと思うが、客車に乗って東海道線を東上していた。季節は真夏、窓を全開しても入ってくる風は生暖かい。当時、この付近には袖師と言う海水浴専用の臨時駅があった。その後に廃止されたが、ホームかあったことを覚えている。京都を出て数時間、いくら好きでも、疲れ切ってイヤになりそうなころ、袖師を出て、すぐに清見寺の白い石垣・壁がふとよぎった。京都ならわかるが、こんなところに不似合いなほどの歴史を感じさせる佇まい、それ以来、自分のなかで気になり続けた光景を、やっと、この足で確かめに行くことができた。
syoP1110791▲ 駅への戻り、2、3本撮ってから引き上げた。天下の東海道線だけに、昼間でも貨物の通過も多い
syoP1110795▲ ロングシートでも国鉄型の211系が来るとホッとする       

 18きっぷで東海道を巡る -1-」への4件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    東海道五十三次徒歩の旅は近鉄伊勢朝日駅の踏切の所で止まったままです。清見寺はこれまでの旅では最も印象に残るお寺で現代の旅人も必ず立ち寄る名刹です。先般三条大橋に到達した私の会社同期で最も親しい友人もこの寺のことを盛んに語っておりました。風光明媚な清見寺のことについてご報告有難うございます。

  2. 準特急さま
    暖かいコメント、ありがとうございます。徒歩の旅は、それでも近鉄伊勢朝日まで行かれているとの由、全体の四分の三ぐらいは完歩なのでしょうか。蒸機と同じく、これからの鈴鹿越えは、苦しいことでしょうが、前進を祈っております。私も、この清見寺を見学のあと、由比から蒲原まで、旧東海道を歩いてみました。東海道のなかでもハイライト区間だけに、いろいろな史跡が残っていて、有意義なものでした。歩きにしろ、鉄道にしろ、つまみ食いばかりですが、しばらく連載を続けます。

  3. 準特急様
    東海道を下られたのですね。既に伊勢まで来られたなら、もう500kmも歩かれたことになりますね。とても小生らには真似ができません。それに加えて『今夏の撮影』に見られるような東奔西走でお元気振りは大変なものです。旅の時々のスナップに鉄道も沢山登場するのでしょうね。機会あればアップ願います。最近お願いが多いようです。

    筆者も少しばかり歩きました。準特急さんにとても及びませんが、さわりを少し。
    梅新から三宮まで。国道2号線を歩く目標がほんの入り口止まり。阪神間の山手幹線は入り口の尼崎から終点三宮まで、都会の歩きはあまり面白くありません。武庫川はデジ青に書いた、途中の福知山線廃線跡を挟んで河口から源流まで。今、西国街道ですが伊丹を通過中です。この他高野山町石道は丹生都比売神社まで。涼しくなればお山を目指します。恥ずかしいですが良ければこれらのブログをご覧ください。鉄道はあまり登場しませんが。
    http://minamitsukaguchi.blog22.fc2.com/

  4. tsurukame様
    歩くことは原点のような気がします。東海道はまだ300kmを越えたくらいで鈴鹿峠越えが残っています。ところどころで鉄道が気になり撮影しながらの旅ですのでなかなか前に進みません。特に近鉄の名古屋線、四日市あすなろう鉄道(元近鉄内部八王子線)等々魅力的な路線、車両があると徒歩の旅も停滞しがちです。tsurukame様のブログはまだ最初の部分しか見ておりませんが、東海道もこの通りでして宿場町、本陣跡、一里塚などを見ると何かほっとします。お近くの西国街道の名前も懐かしく、昆陽の地名や自転車で武庫川にかかる甲武橋を渡って福知山線伊丹まで行ったことなどを思い出します。見たい所が一杯ですが足腰が弱ってきたのも事実でとても見尽くせませんが歩けるうちに主な所はまわりたいと思っております。ご覧になっている皆さんに東海道の推薦箇所はどこかと言われれば、小田原-三島間の箱根越えで特に芦ノ湖から三島にかけての急坂と雲助が出そうな狭くて暗い道です。これが東海道かと感心するはずです。総本家さんの歩かれた蒲原-由比あたりも風情のあるところです。

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