西村雅幸さんが初めて沖縄を訪問された記事を読みました。事情は少し違いますが、私は、日本一規模の近鉄のなかで、養老線(現・養老鉄道)だけ乗ったことがありませんでした。離れ小島的で行きにくいのと、沿線にも目ぼしい名所もなく、何となく避けていた嫌いがありました。縁あって近鉄の本の編集を進めるにあたって、取材も兼ねて18きっぷを使っての大垣行きとなりました。一日フリー切符を手に、大垣から揖斐へ往復し、待っていた桑名行きに乗り換えます。濃尾平野のど真ん中を走り、眠気を誘うような車窓が続きますが、中間の要衝駅、養老でやっと目を覚ましました。▲養老鉄道 養老駅
養老駅でのひととき
現在の養老鉄道は、2007年に、近鉄養老線の運営を引き継いだ。鉄道施設、車両は近鉄が保有し、子会社の養老鉄道(近鉄100%出資)が運営に当たる上下分離方式で、近鉄は第3種鉄道事業者となっている。
桑名から大垣、揖斐へ至る57.5キロ、1067mm軌間、大垣が起点で、桑名方を養老線、揖斐方を揖斐線と呼んでいる。車両は共通運用だが、両区間の直通運転はない。大垣と桑名を最短で結ぶことから、国鉄時代には貨物の短絡ルートとして重宝され、電気機関車も多数在籍していた。
▲養老駅に入線する600系606F、もと南大阪線ラビットカーのモ6850形で、それに因んでラビットカーの復刻塗装になっている。養老鉄道では、近鉄から譲渡された南大阪線、名古屋線の車両が、マルーンレッドに塗られて活躍しているが、一部はこのようにリバイバルカラーをまとっている。
▲中間の要衝駅、養老は大正8年の開業で、駅舎は約百年前の姿をよく残している。ドイツ風のドーマー窓があるかと思えば、鬼瓦を載せた入母屋屋根の車寄せがあって、和洋とりまぜた造作が面白い。鬼瓦には、Y字型の初代・養老鉄道の社紋も残っている。駅前には桜の老木が一本、春はさらに情緒を添えてくれるだろう。
▲鬼瓦に残る初代・養老鉄道の社紋
▲訪れた日は養老と関ケ原を結ぶ、養老町の無料連絡バスが運転を開始、町関係者が総出で歓迎行事を行っていた。▲養老線の中核駅だけに、駅員も常駐し、有人窓口もあって、待合室もゆったりしている。以前はカフェや売店もあったが、いずれも閉鎖されてしまったのが残念だが、自動改札もない、貴重な駅の原風景を見せている。▲交換する606F編成と514F編成、運転台の丸い黄色ステッカーは、サイクルトレインを示す。昼間の列車には無料で自転車の持ち込みができる。
▲乗車した列車から養老駅を見る 駅は集落とは離れていて周辺には自然が多い。二面三線の典型的な国鉄式の構内。
最近、養老鉄道の事業形態をさらに変更する方針が立てられた。今後、事業環境はますます厳しくなる見通しを踏まえ、県、沿線市町、近鉄、養老鉄道で検討を重ねた結果、平成29年中をメドに、沿線市町等が出資して設立する法人が、近鉄に代わって第三種鉄道事業者となり、養老鉄道が引き続き第二種鉄道事業者として鉄道事業を営む体制へ移行させることについて合意した。近鉄が一線から引き下がるわけで、近くでは、四日市あすなろう鉄道と同様の経営形態となる。
総本家青信号特派員様
養老鉄道は近鉄時代にマルーンさんの友人である女性社長の経営する大垣のホテルに泊まり、翌日揖斐まで乗ったことがありますが、桑名方面はまだ乗車経験はありません。趣味的には魅力的な車両が次から次へとやってきた大変面白い路線ですが、モニ6201形に始まる伊勢電タイプ半月型飾り窓のいわゆるニコニコ顔は撮っておきたかった電車です。機会があれば養老の駅舎もゆっくりと見に行きたいと思います。
準特急さま
“女性社長”とは、帽子がトレードマークで、やたら出たがりの大手ホテルチェーンの社長のことでしょうか。マルーンさんとは県下トップの高校時代の同級生と聞きました。さて、養老線は、近鉄の源流となる会社の名車たちが余生を送っていました。お書きの、もと伊勢電モハニ201、養老線でのモニ6201は、半月型の飾り窓で、ひときわ優雅な電車でした。乙訓老人は、まだ狭軌時代の名古屋線で同車を撮られており、その歴史の厚みには敬服しました。
養老線は例の北勢線上笠田に行くときに乗りました。急行たかやまで大垣へ、そして養老線で桑名へというコースです。養老線には高さ32mの日本の滝100選である養老の滝があります。「養老乃瀧」ではありません。しかし、お酒には関わりがあって、孝行な息子が年老いた父親に酒を飲ませてやりたいができなかったので、滝のところでこの水が酒であったらと思っていたら酒になったという有名な伝説があります。そして、この養老線に乗った時に南大阪線で走っていた特急かもしか号だった電車を見たことがあります。あれから行っていないのでいつかは行ってみようかと思っているのですが実現していません。ラビットカーも懐かしくぜひ行ってみたいと思っています。
どですかでんさま
コメントありがとうございます。養老線は大垣・岐阜と、津・四日市・桑名を短絡しますから、どですかでんさんのような利用もあったことと思います。貨物もこの短絡を利用して国鉄からの直通が結構多かったようです。養老駅から、養老の滝へは少し距離があるようですが、その酒伝説は聞いたことがあります。もと「かもしか」号の5820形は、とくに複雑な転属、改番をして、最後は養老線で一生を終えました。今回、近鉄の本を編集した際には、Fさん、Iさん、Wさんから各時代の写真を寄せてもらいました。