18きっぷで東海道を巡る -2-

sy60908-051_r東海道のなかで静岡県の占める割合は3分の1以上あります。東西に長く、その中央を東海道線が横断しているため、県下には、南北両側を結ぶフィーダー路線が多く存在していました。路面電車あり、軽便鉄道ありで、最盛期は東海道線各駅から枝分かれしていました。しかし、天下の東海道沿いだけに、モータリゼーション化も早く、昭和40年代の前半までに、あらかた廃止に追い込まれ、私自身は、記録はもちろん、東海道線の車窓から見ることすら無く終わっています。そんななか、何とか生き残っていた静岡鉄道清水市内線だけは間に合って滞在約3時間だけの記録を残すことができました。短い路線ながら変化に富んだ沿線だった。

 

清水市内線
いまは合併して静岡市になってしまったが、清水市内にも路面電車が走っていた。三保の松原に近い港橋から、静岡鉄道新清水駅前、国鉄清水駅前を経て、東海道線と並行して、横砂までの4.6キロ、京都なら、御所一周分より少し長いだけの路線だった。  sy60908-033_r

新清水駅前に到着した62号、ここからだと終点まで乗っても3キロほど、歩いても行けるような距離に、これだけの乗客がいたのには驚かされる。

昭和3年に港橋~新清水を皮切りに開業し、翌4年には終点の横砂まで開業したが、東海道線を跨ぐ陸橋が未開通で、踏切を介しての連絡だった。陸橋が完成し直通運転が始まったのは昭和8年だった。戦後、地方鉄道に変更され、一時は、新静岡から、本線を介して、三保の松原方面へ行く海水浴電車も港橋まで運転されたと言う。昭和30年代以降、国道1号の併用軌道の混雑が激しく、安全地帯さえない危険極まりない状態が続いていた。sy60908-030_r

東海道線を越えて新清水駅前に到着する。電車もさることながら、この写真のミソは左のバス後部、特徴あるスタイルから車体は西日本車体工業製と分かる。同社の供給先は文字どおり西日本限定で、東限が京都市と言われる。ただ、東日本の数社だけに、1年程度のごく限定的な期間だけ供給されたと言われ、この静岡鉄道バスにも供給されていたことを示す、貴重な?シーンとなった。

sy60908-060_r港橋~西久保の2.6キロは国道1号上の複線併用軌道、西久保~横砂2.0キロは単線の専用軌道だった。運転系統はおもに、港橋~横砂の全区間系統、複線区間の港橋~西久保系統の2系統があり、いずれもラッシュ時10分、閑散時15分だった。
専用軌道は途中で東海道本線と平行したり、小さな鉄橋などもあり、短いながらも 変化に富んでいた。

新清水駅前で降りる乗客たち、手前の線路は、本線と接続する引込線、市内線は鉄道線規格なので、本線との行き来ができた。検査や夜間留置で、本線の長沼にある車庫・工場まで日常的に回送が走っていた。

そんな時、昭和49年7月の静岡県下の集中豪雨で、鈴木島~袖師の庵原川橋梁が流失、港橋~西久保間で折り返し運転を行っていたが、不通区間が復旧されることが無いまま、昭和50年3月22日に全線が廃止となった。
静岡県では最後となった路面電車は、こうして姿を消すことになった。

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その廃止要因となった庵原川鉄橋を行く。訪問の1年後の豪雨で鉄橋が流出、長期不通のまま、結局廃止されてしまう。下はそこから見た東海道線、ちょうどEF65貨物が通り過ぎた。単線のこの区間は、ほぼ東海道線と並行していた。sy60908-065_r

つぎに車両を見てみよう。

55形 4両(56、57、58+59)

60形 4両(60、61、62、63)

65形 3両(65、66、67)  計11両がすべてだった。sy60908-058_r

sy60908-063_r 55形は、単車70形を切断し1m余り車体を延長し。窓2コ分を増設したホギー車、昭和37年の静岡市内線の廃止で移ってきた。58+59は固定編成でラッシュ時専用、ほかはすべて単行車で終日の使用、
60形、65形はいずれも木造車の鋼体化で、60形は木造車30~35(34欠)のうち4両を改番、鋼体化して60~63とした。sy60908-055_r
65形は、西武鉄道新宿軌道線(のちの都電杉並線)の木造車38~40を譲受、80~82として使用、さらに改番、鋼体化して65~67とした。
これらはすべて自社長沼工場製である。sy60908-059_r

 

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4 thoughts on “ 18きっぷで東海道を巡る -2-

  1. 特派員様
    なつかしい写真をありがとうございます。私も昭和46年11月に清水駅周辺を短時間ですが歩いて 56号、60号、63号の3両だけを写しています。路面電車というものは 京都市電のように次々と走ってくるものと思い込んでいたところ、なかなか走ってこないので 3両だけ撮って引き上げたような印象があります。65号は市内線とは無縁の国鉄清水港線跡巴川口付近に保存されているようです。余談ながら飾磨港線、舞鶴港線、尼崎港線など港に向かう盲腸線に魅力を感じて乗ってみたいと思いながら、列車本数の少なさも手伝って全く乗らずじまいで終わりました。清水港線もそのひとつです。では続編を楽しみにしております。

    • たかおかと申します。65は保存していた博物館が展示替えするので解体の危機にさらされましたが、有志がレスキューし、新湊で保存されているとのことです。

      • たかおか様
        65号の最新ニュース、ありがとうございます。新湊、と言うのは、富山県射水市の新湊ですか? ずいぶん関係のない遠くへ行ってしまったのですね。

  2. 西村様
    コメント、ありがとうございます。昭和46年に、もう行っておられたのですか。さすがです。確かに、割りと頻発はしていたのですが、国道1号線の上を走っているだけに、ダイヤはよく乱れていたようです。
    港へ向かう線、よくありましたね、私も盲腸線、もうこれ以上行けない終点のある線には興味はあったものの、それほど乗らないままに終わってしまいました。理由は本数の少なさと、結局通り抜けができず、またもとに戻って来る、効率の悪さもあったかもしれません。
    余談ですが、今日、神戸の趣味人の会で、福山市在住のUさんにお会いして、いろいろ話を聞く機会がありました。お近くのHさんの思い出話も聞かせてもらいました。

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