三江線 小ネタ

全線廃止表明以降 地元のテレビや新聞には三江線ネタが急に増えています。今朝はこんな記事が載りました。

平成28年9月23日 中国新聞朝刊

平成28年9月23日 中国新聞朝刊

三江南線の初列車に乗務したOBの回顧談です。当時は「2両編成で機関士2人、車掌2人」とは 写真に写っているキハ02の2連のことでしょう。気になるのはそのキハ02の下の写真です。明らかにキハ02ではないので、当時の配置表を見てみると 三次区にキハ41500(後のキハ06)が1両配置されていたことがわかりました。また三江南線開業時にはまだキハ02(当時はキハ10000)は配置されておらず、どうもキハ41500 1両で三次、口羽間を往復していたようです。キハ02の写真は後年のもののようです。このOB氏が最初に配属されたのが備後十日市車掌区だそうですが、昭和28年当時は三次機関区ではなく、備後十日市分区と呼ばれていたようです。昭和28年には8620が19両、C58が14両配置されています。芸備線の三次以南をC58、三次以北や福塩線に8620が活躍していた時代だったようです。

 

三江線 小ネタ」への2件のフィードバック

  1. 西村雅幸様、
    ニュ-ス配信、ありがとうございます。
    毎回、どうなることかと手に汗握って読んでいましたが、JR西日本の企み通りになりそうですね。
    ところで読んでいて思いだしたことがあります。
    それは祖母が三次のことを「とうかいち」と呼んでいたことです。すでに三次となっていましたからどんな字を書くのだろう?と考えていました。「東海地」だろうかと想像していましたが、「十日市」だと気づいたのは中学に入ってからのことでした。
    懐かしい思い出です。
    木次線計画、楽しみにしています。

    • 米手作市様
      ローカルニュースの読者がおられるのは励みになります。ところで木次線計画ですが、来月ぶんしゅう氏と2人で木次に乗り込んで直談判してきます。今月初めに木次へその旨の果たし状を送ったのですが未だに何の返事も来ないので クローバー会に恐れをなしたのかといぶかっております。11月のホームカミングデーには朗報を持参したいと思っていますが、果たして先方の出方やいかに。

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