昭和の電車 改訂版(40)ー阪神ジェットシルバー5201系ー

近鉄の話をしているうちに阪神ジェットシルバーの登場です。
探したら一枚だけ有りました。昭和34年頃の撮影ですから登場直後という事になります。場所は阪神鳴尾付近です。へたくそで何の価値も無い(準特急氏ならこう言うはず)写真ですがお許しください。

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 思い出の 京都雪景色 【4】

山崎で撮る、雪を載せた列車

昨日は、会社時代の仲間と、愛宕山へ新春登山に行きましたが、雪はありません。例年なら、雪の少ない季節でも、頂上付近では積雪が見られましたが、全く見られないのは、改めて暖冬ぶりをひしひしと感じます。さて、つぎは、近くで写した国鉄・JRの列車です。阪急京都線と同様で、東海道本線も山崎に近づくと、積雪量は、京都市街地より、やや増えることが多く、近くでもあり、雪が降るたびに何度か撮影に行きました。普段なら、自転車で行くところですが、安全を期してバス、徒歩で出掛けました。
雪の山崎で見る列車のなかでも、やはり北陸方面から来る列車は雪の付着具合が違う。前面に雪をたっぷり、こびりつかせたEF81のコンテナ貨物が通り過ぎる(平成6年2月)。

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 思い出の 京都雪景色 【3】

阪急電車編

つぎは、阪急へ参ります。京都線は、西山に沿って走りますから、京阪と比べると、雪が降ることが多かったように思います。家からすぐ駆けつけられることもあって、以前は毎年、写していた記憶がありますが、この数年は出動することもなく、これを見ても暖冬を感じます。通勤で利用していた時、大阪方面に乗ると、大山崎までは一面真っ白なのに、JRを潜って大山崎のホームを通過すると、とたんに雪は無く、晴天のなかを走ったことを何度か経験しています。やはり、天王山が気象の上でも分け目になっていることを感じたものでした。
その大山崎、この日ばかりは、もの凄い雪だった。ダイヤどおりなら、大山崎のホームでは見ることができない特急同士の交換シーンが実現した(以下、2008年2月9日)。

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客車廃車体訪問記 内地編54 群馬県-2

【昆虫のやかた三凱堂】 36.433722, 139.248727 2019年12月14日撮影
スロフ12 827
スロフ12 828
前回と同じジョイフルトレイン「やすらぎ」の1号車「神流」(スロフ12 827)、6号車「碓氷」(スロフ12 828)である。「やすらぎ」編成6両はJR廃車後、わたらせ渓谷鐵道に譲渡され、わ01-827、わ01-828になり、この2両(後に中間車1両追加)が「サロン・ド・わたらせ」として営業した(残り3両は部品取り用)。
2両は南北方向と東西方向にL字形に並んでいる。設置後も塗り替えが行われ、大事にされている。三凱堂は、桐生市の「群馬県立ぐんま昆虫の森」の南にある昆虫の店で、昆虫販売と直接関連が無さそうな客車を2両も(2両ワンセットが売却条件だった)引き取って維持保存されている篤志家である。
◆スハフ12 130(1978年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)スロフ12 827→2001年廃車
◆スハフ12 131(1978年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)スロフ12 828→2001年廃車
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 思い出の 京都雪景色 【2】

京阪地上線 最後の雪
京阪は、京都市内の南部を縦断しているだけに、雪は降ることはあっても、積雪することは滅多にありません。それだけに、昭和62年3月のこの日ことは、よく覚えています。土曜日で仕事も休み、午前中は曇り空で、とくに何も無かったのに、午後になって、急に雪雲が広がり、雪が舞ってきました。止む気配もなく、たちまち家の周りも積雪しました。こうなると、行く先は決まっていました。あと二ヵ月後には、地下に潜ってしまって、永遠に雪景色など見られない、京阪の地上線でした。
前面を白く化粧して、鴨川沿いを行く三条行き特急。五条駅の仮ホームから撮影、五条の下りホームは、地下線工事中は五条通南方に仮ホームができて、その端部から、鴨川バックの撮影ができた(以下、昭和62年3月7日)。

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行先板ひっかけ続行

Sさんより続行の話があり追加させていただきます。Sさんは昨年のホームカミングデイでのJR東海社長(旧制同志社中学入学)現鉄道友の会会長須田寛様講演にも参加されております。

例によって原文そのままです。私はよくわかっていません。

阪急板に関する件、青信号でもご紹介くださり恐縮です。
この話にしても、レイルロードのT・Tさん(面識なし)とかであればもっと具体的に
ご存知かと思うのですが、せっかく「実物部品」がありましたので、ご連絡しました。u後、レイルロードの新刊「阪急3300 Vol.1」なども読み返してみたところ、

いくつか追加の発見・自分なりの新たな仮説が出て来ました。

幸い、いずれもデジ青に転載いただいた内容をひっくり返すものではありません。

以下、実車写真は同書より転載。

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昭和の電車 改訂版(39)ー近鉄ラビットカー6800系ー

鉄道雑誌に“ジェットシルバー”“ジェットブルー”のキャッチフレーズが出て阪神の5000型を見に甲子園にあった親戚の家に行きました。同じ頃に近鉄に“ラビットカー”なる新車が出たと聞きましたが見る機会はありませんでした。近鉄南大阪線はそれほど遠かったのです。

右奥の二枚窓の電車はなんでしょうか?

 思い出の 京都雪景色 【1】

京都市電編

暖冬で明けた2020年、京都でも雪の降る気配は全くありません。四条大橋から見ると、北山の連山には少し雪が見えましたが、いつもは冠雪している愛宕山や比叡山にも雪はありません。京都市内では、叡電沿いならさすがに積雪も多かったものの、市街地では、積雪するのは年に一、二回でしたが、“寒波が到来、明日は朝から雪”と天気予報を聞くと、もうワクワクして、翌朝に起きると、果たして外は真っ白、勇んでカメラを持って外へ出掛けたものでした。それも今となっては懐かしい気持ちです。今回は、もう思い出になろうとしている(?)京都の市街地での積雪シーンを集めてみました。

京都に市電があった時代、まだ雪は多く降った。家庭裁判所前の葵橋を渡って行く、雪の日の河原町線。

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客車廃車体訪問記 内地編53 群馬県-1

【梣(とねりこ) 跡】 36.292790, 138.895353 2019年12月14日撮影
オロ12 854
オロ12 854は、JR東日本高崎支社のジョイフルトレイン「やすらぎ」の3号車「利根」で、お座敷車であった。廃車後、わたらせ渓谷鐵道に譲渡され、部品取り用に留置されていたものである。腰板裾の帯に「危険ですので電車の下に入らないでください」と書いてある。ユニットクーラーの前位寄りの1基が新製時のものと違う古いタイプ(AU13A)である。梣は安中市の山にあるダチョウ料理店で、多数の人の往来などまず無さそうな場所である。営業休止らしいが10年位経つのではないか。それでも食べログ等には今でも中途半端に載っている。
敷地に雑草が生い茂っているわけでもなく、経年の割には荒れた印象はないが、雨晒しで露天なので行く末が心配である。
◆オハ12 320(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 854→2001年廃車
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 新春の阪堺線で 新発見ふたつ

正月三が日も過ぎましたが、まずは、“デジ青”読者の皆さま、本年もよろしくお願いいたします。正月は、恒例の阪堺線もうでに行って来ました。電車は大増発、カメラを持った人間も多く、馴染みのファンとの出会いも正月の阪堺線ならでは。たしかKAWANAKAさんも車内から見たような‥‥。毎年のように行っているため、住吉鳥居前での撮影はサクッと済ませて、一日乗車券で、各所で降りて路面電車の旅を楽しんできました。昨年も書いたことですが、老いも若きも、金持ちもそうでない人も、みんな平等に電車に乗っています。改めて、鉄道ってエエなぁと思ってしまいます。今年のレポートは、世の中では先刻承知のことですが、私としては、初見参の二件について載せます。

4両残っている161形も大活躍、こうなったら製造100年目まで走り続けてほしい。

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行先板ひっかけ

昨年暮れ「阪急京都線急行のちょっとした思い出」を投稿し、その文末に東京在住の大京阪ファンの方からは行先板のひっかけ金具が阪急京都線と京阪は同じ型だと興味ある話を聞いたことがあり、それならこれも一度ご説明していただければと締めくくったところ、早速その内容について送信いただき原文のまま掲載させていただいた。

1970年代前半まで、京都線は京阪と同じく「車体が雄、板が雌」でした(その後、神宝線タイプに変更)。
一方、神宝線は現在の「ヘッドマーク掛け@貫通扉」(1985年頃設置)に至るまで、一貫して「車体が雌、板が雄」です。

興味深いのは京都線が神宝線と同じ仕様に変更されつつあった時期のあれこれで、

1)雌雄両タイプの板に対応出来るように、京都線車両のサボ掛けには汎用タイプがありました。
2)この汎用タイプに「雄サボ」を掛けると、妙に位置が高くなったようです(サボ上端が、前面窓下端より高くなる)。

以下、添付写真の説明です。

4274・4275番:上が京都線車両の汎用(雌雄具有)金具、下が神宝線標準の雌金具(Sコレクション)。

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昭和の電車 改訂版(37)ー国鉄モロハ50型ー

この記事を読んでモロハ50なる車輌が実在なのか、それとも関先生の想像の産物なのかがはっきりしません。終戦直後の国鉄は、復興事業と人員輸送と進駐軍の横車に四苦八苦していた時期です。いろんな車輌がうたかたのように出ては消えていたのかもしれません。モロハ50が実在か幻かを判定願います。