新春の阪堺線で 新発見ふたつ

正月三が日も過ぎましたが、まずは、“デジ青”読者の皆さま、本年もよろしくお願いいたします。正月は、恒例の阪堺線もうでに行って来ました。電車は大増発、カメラを持った人間も多く、馴染みのファンとの出会いも正月の阪堺線ならでは。たしかKAWANAKAさんも車内から見たような‥‥。毎年のように行っているため、住吉鳥居前での撮影はサクッと済ませて、一日乗車券で、各所で降りて路面電車の旅を楽しんできました。昨年も書いたことですが、老いも若きも、金持ちもそうでない人も、みんな平等に電車に乗っています。改めて、鉄道ってエエなぁと思ってしまいます。今年のレポートは、世の中では先刻承知のことですが、私としては、初見参の二件について載せます。

4両残っている161形も大活躍、こうなったら製造100年目まで走り続けてほしい。

恵美須町が新駅に移転?
本線を単線化したうえ新しいホームの建設が進む恵美須町駅(左手奥の白いホーム)。▲▲初詣時期でもガランとした構内。

本来の阪堺線は、恵美須町を始終発として浜寺駅前へ向かう路線を指しますが、乗客数の減少により2019年7月改正から、昼間12~24分ヘッドから、24分ヘッドになってしまいました。いっぽうの天王寺駅前を始終発とする上町線は、あべのハルカスや、付近の再開発事業も奏功して乗客数が上向いてきて、本数も増発され、住吉以南の阪堺線の本数減少を補完するようになりました。ふだんの乗降数を見ても、恵美須町715人、天王寺駅前8543人と、10倍以上の開きができました。歴史的な経緯からしても、本線格は恵美須町~住吉~浜寺駅前の阪堺線ですが、その後の情勢の変化で、天王寺~住吉の上町線がメイン路線となりました。住吉~住吉公園の廃止以降は、より鮮明になった感があります。
それに歩調を合わせてか、恵美須町の新今宮方で、本線を単線化して、撤去跡に新しいホームを建設中なのが見られました。新ホームは単線の突っ込み式で、現在の天王寺駅前と同じ方式です。現在の三面二線から縮小されますが、現状のダイヤでは、問題は生じないとの判断なのでしょう。現在の駅構内は遊休地が生まれ、会社の中期経営計画でも「恵美須町駅の活用」についても言及しており、再開発が行われるのでしょう。

以下の写真は、まだ平野線が健在だった40年前、昭和55年の恵美須町駅です。

ラッチも設けられていて、阪堺線、平野線の多くの電車が発着していた。平野線は今池から分岐して、飛田、阿倍野、平野へと至る5.9kmの路線で、地下鉄谷町線と平行することから昭和55年11月に廃止されている。

恵美須町駅の全景。▲▲並ぶ平野行き(右)と浜寺駅前行き。

二面三線の当時のホーム。阪堺線は“雲電車”の全盛時代。

ホームは結構な賑わいを見せていた。

1番ホームは平野線が発着。▲▲構外には2両分の側線もあった。

 

浜寺公園駅が移転して再生

終点の浜寺駅前で降りて、ビックリ。目の前に、南海本線の浜寺公園の旧駅舎があるではないですか。南海本線の連続立体化事業で旧駅舎が、そのままの姿で曳家されて、西側へ移動、ギャラリーやカフェのある保存駅として再生したのでした。

移転・保存された浜寺公園駅、阪堺線を降りると、左手正面に見える。背後の跡地で高架工事が始まっている。完成後は、旧駅舎を通って、高架下の新駅舎へ通じるようだ。▲▲いっぽう仮駅も左手に出来ている。旧ポストもそのまま再利用されていた。

現役時代の浜寺公園駅舎、明治40年、南海鉄道の電化を機に改築された。東京駅を手がけた辰野金吾設計で、私鉄では日本最古級の駅舎だった。当時は、かなり痛みもあったが、キレイに修復されていた。

 

 

駅の周辺には、南海が開発した住宅街と海水浴場があって、行楽地として賑わっていた。撮影当時、駅前から阪堺線へ続く道沿いにも、旅館、食堂や土産店があって、賑わいを伝えていたが、再開発で姿を消していた。

 新春の阪堺線で 新発見ふたつ」への4件のフィードバック

  1. 今頃コメント書いて、段々痴呆が進むのではないかと心配します。丁度年始から多忙で書けなかっただけです。
    お会いはできませんでしたが特派員氏と同じように、初詣の教えに従って、確かに小生は阪堺の線路脇にいました。
    新発見というより、その後を今頃見たものがありました。住吉公園駅はどないなったかなあ、と誰もが知っているであろう物を見に行ったところ、細長い駐車場になって味も素っ気もなくなった景色になっていて、まだ追設工事をしているようでした。小生にとっては追加の発見でした。駅舎、線路のない鰻の寝床の空き地は寂しいものでした。
    老若車両とり交ぜ、ゲップの出るほど堪能した後、夜の提灯のついた景色を撮ろうと粘っていましたが、交通規制が解除され、電車の本数が急激に減り、うまく撮れなかったので、また来年住吉さんに詣でなければならなくなりそうです。
    KAWANAKA

    • KAWANAKAさま
      やはり、出動されていましたか、私は電車の中から、鳥居前で、佇んでおられる、お姿を見掛けました。降りてご挨拶をすれば良かったのですが、私も狙っていたものがあって、そのまま通り過ぎてしまい、失礼しました。住吉公園のその後も確認されたとのこと、たしかに、かつて線路があったことは偲べない状態ですね。正月だけは、廃線跡が、電車待ちの客の行列の場所になっていました。

  2. 恵美須町の駅も見納めですか…。日本橋の電化街へ足繁く通った頃、何度か阪堺電車を見に行きました。ド派手な広告電車がポツンと止まっているのを見て、興醒めしたものです。ですが、今となっては質屋の広告電車や、ピンクの電車も記録しておいて良かったと思うようになりました。
    浜寺付近をストリートビューで見ると、あまりの変わりように驚きました。駅舎は保存されても今風のビルに囲まれてしまうと、寂しくなってしまいます。しかし、地域の発展のためには致し方ないと割り切り、駅舎が末永く残ることを祈ります。
    駅舎の写真を見る機会は多いのですが、駅前を写した写真はあまり見かけません。駅を出て最初に見える駅前通りや商店街も、時代とともに変わってゆくのですね。
    電車がホームを埋め尽くす恵美須町駅を改札の外から撮影されたカット、浜寺駅の中から駅前を撮影されたカットが心に沁みます。
    新年早々、良い風景を見せていただきました。ありがとうございます。

    • 紫の1863さま
      阪堺線の思い出をお聞かせいただき、ありがとうございます。本日の鉄道ニュースにも報じられていましたが、恵美須町駅の新ホームは、2月1日から供用を開始するそうです。ずいぶん早い工事だと思いますが、現ホームの跡地利用については、何も述べられていませんでした。浜寺駅前の写真ですが、駅舎そのものの撮影は、よく行ないますが、私は、180度向きを変えて、駅前も撮影するようにしています。とくに地方では、駅前もどんどん寂れて行くことを写真から感じます。阪堺線のド派手な電車の撮影といい、選り好みせずに、何でもカメラを向けるべきですね。

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