昭和の電車 改訂版(39)ー近鉄ラビットカー6800系ー 投稿日時: 2020年1月8日 投稿者: 米手作市 鉄道雑誌に“ジェットシルバー”“ジェットブルー”のキャッチフレーズが出て阪神の5000型を見に甲子園にあった親戚の家に行きました。同じ頃に近鉄に“ラビットカー”なる新車が出たと聞きましたが見る機会はありませんでした。近鉄南大阪線はそれほど遠かったのです。 右奥の二枚窓の電車はなんでしょうか? この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(98)ー大阪市電3001型ー 昭和の電車 改訂版(96)ー都電5500型ー 昭和の電車 改訂版(84)ー阪神1001型ー 昭和の電車 改訂版(79)ー南海電鉄モハ1556号ー 昭和の電車 改訂版(41)ー京阪スーパーカー2000系ー 昭和の電車 改訂版(26)ー秋保電鉄モハ410型ー 昭和の電車 改訂版(20)ー阪和電鉄モタ303号ー 昭和の電車 改訂版(8)ー国鉄クハ86型ー
母の郷は近鉄南大阪線の土師ノ里駅が最寄り駅になります。だから、いつも阿部野橋から各停古市行で行くのでした。ラビットカーに乗った印象は鮮烈でした。走り出すときはうしろに身体がオットットットと傾きます。止まる時は前にオットットット傾きます。とにかく、加減速がすごいという記憶があります。窓が大きく、明るくて、いつも乗っていた66とはえらい違いでした。そういえば私の干支はラビットカー。右奥の電車はモ5801型ではありませんか。2013年1月29日の昭和の電車で投稿された電車ではと思いますが・・・ 返信 ↓
そんなに急加速・急減速でしたか。 記事にもありますが、あまりにも急すぎてスペックダウンしたそうですからよほどの事なのでしょうね。私も例の阪神に乗ったときは同じような経験があります。その後、国鉄の101が環状線に入ったときに乗ったらそれほど感じませんでしたから私鉄の方が性能は優れていたのかもしれません。 返信 ↓
中学生以降、南大阪線の北田辺に住んでいましたのでラビットカーには毎日のように阿部野橋まで2駅ですが乗っていました。特に朝の通学時は超満員で吊り革も持てません、「人の流れに身を任す」状態で前後 ・左右に振り回されていました。北田辺~河堀口間はカーブがあり、前後の加速に遠心力も加わります、ちなみに起動加速度4.0Km/h/s、減速度4.5km/h/sだったようです、停車時は確かに前にツンノメリます。 右側の2枚窓は5805又は5806で、5800シリーズの中でこの2両が湘南タイプの流線型でした。2色に塗り分けられていた時もあり子供の時の記憶で定かではありませんが、クリームと茶色の時もあったと思います。添付の写真は晩年の古市車庫で撮ったものです。 返信 ↓
米手さま恐縮です。思い返しますと、確かに近鉄沿線には長い間住んでいます。小学生から約60年以上南大阪線・大阪線の駅からいずれも10分圏内でした、あらためて驚きました、今もその「伝統」は変わっていません。 返信 ↓
米手作市様、どですかでん様 「待ってました!」ではなく「引っ込め」といわれそうな準特急です。どですかでんさんは技術系にもかかわらず歴史に強く文才に長けておられるといつも感心しています。ラビットはデビューが鮮烈で66(日本初の20メートル電車と聞いたことがありますが鈍重なイメージ)とはえらい違いと言われましたが対象的な車両で同感です。オットットットとはその通りの表現で各駅停車の性能向上、特に優等列車の邪魔にならないように高加速高減速を採用するよう開発され、そのライバル車の一つが阪神ジェットカーでした。エレベータが横に動いた感じがしました。昭和前半の製造年の30年の差は大きいと思います。ラビット後の30年は昭和の終わり平成の始まりの頃ですがその間ワンハンドル化、冷房化、シングルアーム化、LED照明、VVVF、ステンレス等々省エネ、バリアフリー、メンテナンスフリーなど安全対策や快適性がなされているとは思います。しかし、今もし151系こだまの新車とJRや私鉄の新型特急車を並べても見た目はそれほどの差、進歩を感じないのではないかとさえ私は思います。といいながら飛行機もあまり変わっていないように感じます。例えば新婚旅行の時に搭乗したボーイング737はバージョンアップしながらまだ製造しています。だからラビットカーなどはその後の基礎となったエポックメイキングな車両だったと思います。米手さん、「新感線キバル間に五里走る」と言って「何をアホなことういうとんのや」と扇子でひっぱたかれた漫才師がいましたね。新幹線0系もエポックメイキングでした。 返信 ↓
準特急さん、待ってました! 『エレベーターが横に動く』か、うまいことを言いますね。これから使わせて頂きます。 『151系と新型特急車と比べ』たら、断然151のほうが高級に見えます。この間の進歩はコスト削減が一番、安全性が二番、スタイルや快適性は番外になっているようです。証拠は山陰線を走る「食パンマン」特急“やくも”などで、包丁でたたき切り、切り口にパテを詰めたようなものに特急料金が払えるかッ! 返信 ↓
wakuhiroさんの写真を見て、ちょっと勘違いをしていたようです。右奥の電車は湘南タイプの電車と思っていました。たれ目のような窓に見えましたので。湘南タイプは2両しかなかったのですね。以前の「近鉄南大阪線モ5805」に書かれている関三平さんの文にはちゃんと書かれていました。ただし、今回の右奥は湘南タイプなのか、違うのかようわからんですね。ヒントになるのはヘッドライト周りのぬりわけですが、これも確証がないので・・・ところで今も準急阿部野橋発長野行が走っています。終点長野までどうして行くのでしょうか。吉野口で和歌山線経由で長野へ? 返信 ↓
どですかでんさま、右奥の絵はおでこを見ると5801~5804ですね。湘南タイプは正面が張り上げになっていますので、5805・5806ではなさそうです。ところで阿部野橋発河内長野行きの準急ですが、どうしました?河内長野まで約40分で走っていますが? 返信 ↓
wakuhiroさん、おでこの所が張り上げでないから塗分けが違うように見えたことがよくわかりました。ありがとうございました。年季のはいった近鉄愛好家ならではの眼力、恐れ入りました。河内長野行ですが、近鉄と言えば子供の頃の思い出で、以前にも書いたことがあるのですが阿倍野駅のアナウンスで「長野行き準急が発車します。」とあるとパッと浮かぶのが信州の長野へ行く電車かということです。長野というところはとんでもなく遠い所だと思っていました。長野線に乗ったのは昨年のことです。それまで乗ったことがなかったのです。それでこんな写真を撮りました。河内長野に行く電車は「河内長野」と「長野」と二つの行先表示があるのです。 返信 ↓
母の郷は近鉄南大阪線の土師ノ里駅が最寄り駅になります。だから、いつも阿部野橋から各停古市行で行くのでした。ラビットカーに乗った印象は鮮烈でした。走り出すときはうしろに身体がオットットットと傾きます。止まる時は前にオットットット傾きます。とにかく、加減速がすごいという記憶があります。窓が大きく、明るくて、いつも乗っていた66とはえらい違いでした。そういえば私の干支はラビットカー。右奥の電車はモ5801型ではありませんか。2013年1月29日の昭和の電車で投稿された電車ではと思いますが・・・
そんなに急加速・急減速でしたか。
記事にもありますが、あまりにも急すぎてスペックダウンしたそうですからよほどの事なのでしょうね。私も例の阪神に乗ったときは同じような経験があります。その後、国鉄の101が環状線に入ったときに乗ったらそれほど感じませんでしたから私鉄の方が性能は優れていたのかもしれません。
中学生以降、南大阪線の北田辺に住んでいましたのでラビットカーには毎日のように阿部野橋まで2駅ですが乗っていました。特に朝の通学時は超満員で吊り革も持てません、「人の流れに身を任す」状態で前後
・左右に振り回されていました。北田辺~河堀口間はカーブがあり、前後の加速に遠心力も加わります、ちなみに起動加速度4.0Km/h/s、減速度4.5km/h/sだったようです、停車時は確かに前にツンノメリます。
右側の2枚窓は5805又は5806で、5800シリーズの中でこの2両が湘南タイプの流線型でした。2色に塗り分けられていた時もあり子供の時の記憶で定かではありませんが、クリームと茶色の時もあったと思います。添付の写真は晩年の古市車庫で撮ったものです。
訂正します、よく見ると右奥の電車はどですかでんさんのおっしゃる5801~5804ですね、失礼しました。この写真もありました。
wakuhiroさん、待ってました!
近鉄と言えばwakuhiroさんです。これからも近鉄が出てきますのでよろしくお願い致します。
米手さま恐縮です。思い返しますと、確かに近鉄沿線には長い間住んでいます。小学生から約60年以上南大阪線・大阪線の駅からいずれも10分圏内でした、あらためて驚きました、今もその「伝統」は変わっていません。
米手作市様、どですかでん様
「待ってました!」ではなく「引っ込め」といわれそうな準特急です。どですかでんさんは技術系にもかかわらず歴史に強く文才に長けておられるといつも感心しています。ラビットはデビューが鮮烈で66(日本初の20メートル電車と聞いたことがありますが鈍重なイメージ)とはえらい違いと言われましたが対象的な車両で同感です。オットットットとはその通りの表現で各駅停車の性能向上、特に優等列車の邪魔にならないように高加速高減速を採用するよう開発され、そのライバル車の一つが阪神ジェットカーでした。エレベータが横に動いた感じがしました。昭和前半の製造年の30年の差は大きいと思います。ラビット後の30年は昭和の終わり平成の始まりの頃ですがその間ワンハンドル化、冷房化、シングルアーム化、LED照明、VVVF、ステンレス等々省エネ、バリアフリー、メンテナンスフリーなど安全対策や快適性がなされているとは思います。しかし、今もし151系こだまの新車とJRや私鉄の新型特急車を並べても見た目はそれほどの差、進歩を感じないのではないかとさえ私は思います。といいながら飛行機もあまり変わっていないように感じます。例えば新婚旅行の時に搭乗したボーイング737はバージョンアップしながらまだ製造しています。だからラビットカーなどはその後の基礎となったエポックメイキングな車両だったと思います。米手さん、「新感線キバル間に五里走る」と言って「何をアホなことういうとんのや」と扇子でひっぱたかれた漫才師がいましたね。新幹線0系もエポックメイキングでした。
準特急さん、待ってました!
『エレベーターが横に動く』か、うまいことを言いますね。これから使わせて頂きます。
『151系と新型特急車と比べ』たら、断然151のほうが高級に見えます。この間の進歩はコスト削減が一番、安全性が二番、スタイルや快適性は番外になっているようです。証拠は山陰線を走る「食パンマン」特急“やくも”などで、包丁でたたき切り、切り口にパテを詰めたようなものに特急料金が払えるかッ!
wakuhiroさんの写真を見て、ちょっと勘違いをしていたようです。右奥の電車は湘南タイプの電車と思っていました。たれ目のような窓に見えましたので。湘南タイプは2両しかなかったのですね。以前の「近鉄南大阪線モ5805」に書かれている関三平さんの文にはちゃんと書かれていました。ただし、今回の右奥は湘南タイプなのか、違うのかようわからんですね。ヒントになるのはヘッドライト周りのぬりわけですが、これも確証がないので・・・ところで今も準急阿部野橋発長野行が走っています。終点長野までどうして行くのでしょうか。吉野口で和歌山線経由で長野へ?
あっ、残念ながらつながっていませんでした。行けると思っていたのに。面白くない!!
どですかでんさま、右奥の絵はおでこを見ると5801~5804ですね。湘南タイプは正面が張り上げになっていますので、5805・5806ではなさそうです。ところで阿部野橋発河内長野行きの準急ですが、どうしました?河内長野まで約40分で走っていますが?
wakuhiroさん、おでこの所が張り上げでないから塗分けが違うように見えたことがよくわかりました。ありがとうございました。年季のはいった近鉄愛好家ならではの眼力、恐れ入りました。河内長野行ですが、近鉄と言えば子供の頃の思い出で、以前にも書いたことがあるのですが阿倍野駅のアナウンスで「長野行き準急が発車します。」とあるとパッと浮かぶのが信州の長野へ行く電車かということです。長野というところはとんでもなく遠い所だと思っていました。長野線に乗ったのは昨年のことです。それまで乗ったことがなかったのです。それでこんな写真を撮りました。河内長野に行く電車は「河内長野」と「長野」と二つの行先表示があるのです。
どですかでんさま、二種類の行き先表示があるとは知りませんでした。「文才」に惑わされて吉野口からどうやって名古屋へ出て、長野に行こうか?考えてしまいました。今年も愉しい記事をお願いします。