思い出の 京都雪景色 【4】

山崎で撮る、雪を載せた列車

昨日は、会社時代の仲間と、愛宕山へ新春登山に行きましたが、雪はありません。例年なら、雪の少ない季節でも、頂上付近では積雪が見られましたが、全く見られないのは、改めて暖冬ぶりをひしひしと感じます。さて、つぎは、近くで写した国鉄・JRの列車です。阪急京都線と同様で、東海道本線も山崎に近づくと、積雪量は、京都市街地より、やや増えることが多く、近くでもあり、雪が降るたびに何度か撮影に行きました。普段なら、自転車で行くところですが、安全を期してバス、徒歩で出掛けました。
雪の山崎で見る列車のなかでも、やはり北陸方面から来る列車は雪の付着具合が違う。前面に雪をたっぷり、こびりつかせたEF81のコンテナ貨物が通り過ぎる(平成6年2月)。

定番の撮影地、小泉川の鉄橋で待つ。サントリーのビール工場の山崎寄りで、背後に天王山が入り、当時、一番知られた撮影地だった。上り「あかつき4号」の回送、EF65PFの牽引だが、この時代はヘッドマークは無く、人気も無かった(以下、昭和59年1月)。EF666の牽く下り貨物、上と同じ場所から逆を見ると、このアングルになる。まだ原色、弁当箱(冷房機)もない、原型のロクロクだった。

165系は定期列車の運用から外れていたが、団臨用として残っていた。▲▲大阪発着の「しなの」、当時は381系で運転されていた。北陸本線からの特急「つるぎ」、山崎は早朝の通過だが、この日は約2時間30分遅れでの通過で撮影できた。時代変わって平成の時代、快速運用では115系が先頭に立つシーンが見られた。113系の不足を補うため岡山配置の115系が転属したもので、岡山へは余剰気味の117系が送られた。京阪神区間の高速運転のため、ブレーキの110km/h対応化を施工、車番はプラス5000となった。クハ115-6080先頭(以下、平成6年2月)。581系「きたぐに」回送、向日町の581系は、「シュプール」「シャレー」などの臨時列車の運転に合わせて、平成4年度からライトブルーに紺緑ラインの塗装に改められたものの、不評なため、平成9年からは、順次その後の「JR西日本特急色」に再変更される。思いも掛けず、上り「さくら」が約3時間遅れで通過。当時、関西発着ブルトレは、まだEF65だったから、ピンク色の「さくら」ヘッドマークを付けたEF66牽引の姿に小躍りしたものだ。続いて急行「たかやま」が、独特の塗装、でっかいヘッドマークで通過。「雷鳥11号」。“上沼垂色”と言われる、白地に青緑ラインの481系は、なかなか好きな塗装だった。連結器カバーがはずされ自連がむき出しになっていた。

2 thoughts on “ 思い出の 京都雪景色 【4】

  1. 雪の写真が無くてくやしい~!!
    ある事件がきっかけとなって雪化粧の写真は苦手となりました。
    大学に入って二年目の冬に合宿で「鹿渡館」から信越線へ転戦しました。場所は大阪通信員先輩に聞かねばなりませんが雪原で急行を待っているとき、突然I波先輩の姿が消えました。探したら、なんと雪に隠れたノツボ(ノツボが変換できない、死語か方言か?)に落ちていたのです。それから私の雪の写真はないのです。これホント!
    そのきっかけの写真をご覧下さい。

    • 再確認の結果、I波さんがノツボにはまったのは昭和40年3月1日からの合宿で「関山」付近だったと確認できました。

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