昭和の電車 改訂版(38)ー高松琴平電鉄クハ11000型ー

前回掲載時には写真をはじめ投稿がありました。
2011年9月のバックナンバーをご参照下さい。湯口徹先輩、藤本さんの解説と共に貴重な写真が見られます。
さて、今回はいかが!

14 thoughts on “昭和の電車 改訂版(38)ー高松琴平電鉄クハ11000型ー

  1. 湯口、藤本先輩の写真を見ました。まるでバラックですね。バラックなんて言葉は若い人にはわからないと思います。最近はTVドラマで終戦後の家のシーンやドキュメンタリーでの昔の映像で見ることができるようです。それもさることながら、関三平さんの文に「ロボット三等兵」がでてきて、この漫画本のことを思い出しました。少しばかりの小遣いを持って、この漫画を近所の貸本屋に行って借りたものです。この漫画はなかなか面白く数巻あったので順番に借りたことを思い出しました。

  2. 食いつくところがそこですか!
    確かに「バラック」や「三等兵」は死語になりました。
    死語ついでにもう一つ
    「あなたと私はバラックの屋根よ、かわらない(瓦ない)のを見ておくれ」by 砂川捨丸・中村春代

  3. 当会お二人の記事・写真も貴重ですが、琴電ワフ改造のクハについては、乙訓の老人みずからが発掘・発表された第一人者です。(旧)掲示板2007年1月17日の「変なもの探検隊その11」に写真付きで詳しく書かれています。それによりますと、昭和29年、洛北高校1年の時、善通寺に嫁がれたお姉さんの家を拠点に琴電を探検、瓦町、仏生山の車庫で11000形を撮影されています。その時は、もう使われておらず、放置状態でしたが、その前の年までは、多客時には、関先生の絵のような編成で走っていたと車庫長から聞いたとのことでした。添付の本は、JTBキャンブックス「琴電100年のあゆみ」に書かれた老人の原稿で、ワフ改造電車の写真も載っています。

    • 総本家青信号特派員殿
      貴重な資料をありがとうございます。
      前回の投稿から9年も経ちますと記憶が怪しくなります。また、見る人々も変わるので新しい投稿と同じようになります。その意味から乙訓の長老様や湯口先輩の資料なども何度も出てくるようにしたいと思っております。写真を含めて何回でも見せて頂けると嬉しいです。

  4. 懐かしい、と言っては戦災に遭われた方に大変失礼ですが、敗戦となり疎開先から引き上げて来るとき、開け放しの扉に転落防止の板が1枚取り付けられただけのワムに乗っていた記憶が鮮明に残っています。もう空襲の恐怖から(幸運にも一度も身近に落ちたことは無かったのですが)解放された安心で、気分は遠足気分だったのかと(これは想像)思いますが。未だ学齢前の私の、鍋山街道を内燃機関車に牽かれて走るトロッコと共に残る鉄道記憶(趣味?)の始まりでした。

  5. 小学校低学年の頃、父と共に我が家のルーツである高岡に行った時、これとそっくりの電車?を見た気がします。
    何しろ『大昔』の幼小時の事ゆえ、観察眼と共にその記憶も『アテに成らない』部分がありますが、実は長じて以降ず~っと気になっていた事でした。
    遭遇の状況としては、乗っていた列車と『すれ違った』時、車内から見たもので、真っ黒のワフにパンタ?と『驚いた』記憶があります。
    そう言えば福井、富山には福鉄、北鉄が有ったような。
    しかし、この記憶がアヤフヤな事も事実で、すれ違った位でパンタが付いていた事まで見付ける事ができるかどうか?です。(もっとも、駅構内なら可能かも。)
    そんなに気に成ったのなら文献等で調べたらいいのに……ずっとそのまま……
    この際、どなたか教えていただければ……と、チャッカリとコメント欄に潜り込む次第。

    • 河 昭一郎様
      武生付近で見える福井鉄道の電動貨車「デワ1形」ではないでしょうか? 京福の「テキ6形」の可能性もありますが、『パンタ』を装備していたのは「デワ1形」の方です。1923年に梅鉢工場で製造された木造単車で、ネットで画像が見つかりました。

      • 紫の1863さんへ
        ご教示いただき、ありがとうございました。
        ネットでググって見て、成~るほどと合点しました。
        何しろ当方自身が『曖昧だらけ』の事だったため、『ちょっと無責任な質問だったかな』と反省していた矢先のご教示に感激です。
        仰せの通り『デワ1』(後のデキ10)が該当濃厚ですが、ネット上には『デワ2』なる車も居たとの記載があり、前者と後者ではボギー車と単車の違い等が有る様ですネ。
        それにしても、自分では『ネット』でチェックする発想が無かったのを恥じ入っている次第です。今後共よろしくお願い致します。

        • 河 昭一郎様、紫の1863様
          デキ11の写真がありました。
          2005年にDRFCで福井へ行ったときに撮っていたものです。単車では無くボギーですがご覧になった思い出のよすがになれば幸いです。

          • 米手作市様
            何でも持っておられますネ。
            黒から、洒落た緑青に変身したデキ11ですネ。ボギー台車も白にお化粧?
            さすがDRFCの活動はキメが細かいですネ。『北陸研修旅行』?だったんでしょうか。
            小生などは『一匹狼』でしたので、目的の車以外には見向きもせずの『一人研修』ばかりで見過ごしが多く、後になって『もったいない』思いをする事が多々あります。
            さっそくの写真添付、ありがとうございました。今年もよろしくお願い致します。

  6. ご両所様、
    前にも書きましたが、当時のこと、それも北陸地方となると「乙訓の長老様」が詳しいのですが今ちょっと聞けません。
    鍋山街道を走る鉄道とはなんでしょうか?北関東の鉄道には詳しくないのでどなたかご存じですか?

  7. 米手さま、鍋山街道とは栃木市内から北上する道路で、山中に石灰鉱山がありました。山を隔てて葛生の(住友セメントのナロー専用線で有名ですね)石灰鉱山がある地帯です。戦争末期に疎開先の家から畑の先の街道を通る(併用軌道であったに違いありません、見に行ったわけではありませんが)トロッコ列車を鮮明に覚えています。牽引は蒸機ではなかったと思いますが記憶曖昧です。その後中学時代に現地を尋ねたことがあるのですが、跡形もありませんでした。山一つ隣の葛生の石灰鉱脈は規模が大きく東武の専用線が奥深く迄敷かれていました小さかったのだと思います。

    • 村樫四郎様
      ありがとうございます。
      調べたらありました。「鍋山人車軌道」ですね。
      昭和16年に人車から内燃機関車に変更、昭和36年廃止、と出ています。貴重なお話、ありがとうございました。

      • 鍋山人車軌道については存じませんでしたが、村樫様のコメントにある葛生の住友セメント唐沢鉱山の日立製13号機、鉱車、人車は撮っています。平成13年6月 佐野市葛生町旧会沢小学校跡です。現在はこの校舎も車両も姿を消したようです。このDLはHOナローのエッチング板が発売されていました。

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