2014年 遥かなる東欧の旅 Part16 バルカン諸国一人旅 サラエボ→ザクレブ列車移動

前回、Part15の紀行記を投稿してから、ほぼ1ケ月を経過しました。国内の旅を優先して中断しておりましたが、再び投稿を続けさせていただきます。
訪問した地はこれからがシーズンを迎えます。行かれる方も多かろうと思いますので、できるだけ丁寧に案内を書いていきたいと思っておりますが、既に2ケ月を経過しています。果たして確かな記憶があるのかが不安です。

01地図第10日目 2月24日
サラエボ10:46(396列車)→19:51ザクレブ

サラエボからご一緒させていただいたみなさんは帰国、または私とは違った地へと向かわれました。サラエボに残ったのは私一人です。今日からは言葉が分からず、経験したことのない初めての地での一人旅です。何かトラブルが起こっても頼る人はなく、自分一人で対応しなければなりません。不安一杯の朝を迎えました。

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part7 戦火の癒えた町、サラエボへ その7 ボスニア国鉄を撮る、サラエボトラム、セルビアへ

第4日目 2月18日 その2
パシュチャルシア (Taxi)→15:20 サラエボ空港
サラエボ空港 15:35(チャーターBus)→20:04 Mokra Gora

今日は、ドイツからの本隊、そして日本からの3名の後続部隊と午後3時にサラエボ空港にて合流します。それまでは時間が十分ありますので、朝食後は昨日乗車したボスニア国鉄の撮り鉄もしようと出かける事にしました。

9時前にパシュチャルシア電停前からTaxiに乗車して向かいますが、運転手は英語があまり分かりません。市内地図を出して指さしで目的地を告げますが、地図自体をあまり見たことがないようで、分かってもらえません。とにかく空港への大通りを走ってもらってから、右の国鉄線方向へ曲がるのはこちらから指示を出しました。

[googlemap lat=”43.851999271388266″ lng=”18.359463214874268″ align=”left” width=”250px” height=”180px” zoom=”15″ type=”G_NORMAL_MAP”]国鉄 横断歩道橋[/googlemap]9:15 何とか目指す国鉄線を跨ぐ歩道橋にたどり着きました。問題は、撮りたい9:32着と9:46着の定期列車が何時に通過するかです。
まず時間通りには来ないだろうと気長に待つ事にしました。眼下には3線がありましたが、左側は錆びています。真ん中と右側は光っていますが、さてどちらに来るものか分かりません。どちらに来ても良いように左側から狙う事にしました。
0304
9:37 何とDLに牽引された3両編成の電車がやってきました。電車は自力走行ができないようです。

サラエボから西へ約80キロ先のゼニツァ(Zenica)からのローカル2153次(7:47→9:32)です。

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part6 戦火の癒えた町、サラエボへ その6 朝のサラエボのトラム 

第4日目 2月18日 その1

6:40 同室のHGさんと朝のサラエボのトラムも撮ってみたいと、夜明けにホテルを出ました。
撮影ポイントは、旧市内の古い街並みが続く一方通行のループ線。撮影するにも車と重なる日中よりは早朝の方が撮りやすいだろう、また朝の街を行くトラムが撮れればとの希望でした。
0102▲ 6:42 ホテル前のパシュチャルシア電停では、朝のラッシュが始まろうとしていました。チェコのブルノ(Brno)からの中古車、真っ白なSatra-Ⅲ(K2)型601号は最後部の大きな曲面ガラスが素敵で上品に見えるトラムです。

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part5 戦火の癒えた町、サラエボへ その5 サラエボのトラム

第3日目 2月17日 その2

14:25 Kakanjiからはバスに乗ってサラエボに戻ってきました。着いたバスターミナル(BT)は、国鉄サラエボ駅に隣接していました。ここで初めてBTの場所が分かりました。
バスを降りられた方がトラム電停へと向かわれます。市内移動はトラム利用が定着化しているようです。我々も一緒に向かいました。
0114:30 サラエボ駅前電停に停車するのは、サラエボトラムの過半数の勢力を誇るTatra社製K2YU型258号200形は80編成余り?が在籍しています。
全長20,400㎜、全幅2,500㎜、出力40w×4、最高速度は不明ですが専用軌道区間が多く、実感では60km/h前後で走行していました。

タトラ(Tatra)は、チェコで生まれ世界各国の共産圏へと輸出されました。ライセンス生産した国もあり、各種10,000両余りが製造されています。

20【サラエボトラム】
当初は760㎜(ボスニアンゲージ)の馬車鉄道として運行されていましたが、1885年にトラムが導入されて開業しました。
60年代に1,435㎜に改軌され、現在10.7キロの本線と、0.4キロのサラエボ駅支線が運行されています。
在籍編成は、2両連接車と3両連接車を合わせると150編成あまりあるはずですが、勃発したボスニア紛争(1992年~1995年)で被災した車両もあり、確認できていません。

しばらくサラエボ駅前でトラムを撮ってからは、各自別々での撮影ポイントとなりました。当初は分岐電停からループ線側を狙っていたのですが、ちっとも走行してこないので何かあったのかと頻繁に走るイリジャ側に場所を代えました。
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2014年 遥かなる東欧の旅 Part4 戦火の癒えた町、サラエボへ その4 サラエボからの国鉄初乗車

第3日目 2月17日
① パシュチャルシア 10:46(国鉄396次)→11:41 Kakanji
② Kakanji BT13:30→14:25 サラエボBusBT

当初今日は、サラエボ市内を観光する予定でした。しかし来て見たサラエボは思っていたほど広くはなく、昨日にだいたい歩きました。団長のO氏から今日は、国鉄線に乗ってみようかとの提案が出されました。
ザグレブに向かう私以外は、国鉄線の乗車予定は皆さんありません。駅を見たのだから乗っても見たいなあと、賛同されました。
01宿泊していますMotel Bejturanの朝食時間は観光地とあって遅く、8時からです。こじんまりとまとめられた食堂で朝食後、徒歩5分もかからないパシュチャルシア電停からトラムに乗ってサラエボ駅へと向かうことにしました。

029:30 電停で待っていますと、昨日見なかった真っ白な3連接車の601号が来ました。
シュコダŠkoda Transportation製のTramway-Satra-III (K2)です。

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part3 戦火の癒えた町、サラエボへ その3 サラエボのトラム、サラエボ駅、サラエのグルメ

第2日目 2月16日 その3
① イリジャ12:03(トラム)→12:29分岐電停(徒歩)→12:43国鉄サラエボ駅
② 国鉄サラエボ駅(徒歩)→分岐駅の次の駅(トラム)→14:30パシュチャルシア

乗車するトラムの系統を間違えて終点のイリジャまで行ってしまいました地球の〇〇方をみていただいたO氏のご内儀より、「3系統はサラエボ見学には丁度良い」と書いてあるとご指摘を受けました。3系統は、本線全線を走るのにサラエボ駅に行くと逆に読み違えたようです。最近は老いたせいもあって思い込みが激しくなってきました。いけません。

3712:03 折返しのトラムが発車しました。上の写真の左側の掴み棒に設置されています緑のボックスが車内改札機です。車両のドア付近にありました。
右側に立っておられるのは、サラエボのお嬢さんです。彫の深い目鼻立ちがしっかりとした色白のアラブ系で何といってもスタイルが抜群です。皆さんウットリと見とれました。でもこの地の女性は、歳をいくとなぜか
ボッテリさんになっておられます。

片運転台のトラムの後部は、まさに鉄ちゃん向きです。これで窓ガラスが綺麗でしたら言う事はないのですが・・・。車内にも落書きが多いのもいただけません。
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2014年 遥かなる東欧の旅 Part1 戦火の癒えた町、サラエボへ その1

今回の旅は、いつも海外に行かれる時はお誘いを受けていますO氏より紹介をいただきました。昨年6月に南アフリカのジンバブエに行かれた折にお知り合いになられたドイツ人の鉄ちゃんからボスニア・ヘルツェゴビナに残る現役SLツアーを考えている。参加してみないかとお誘いを受けられたそうです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ? 聞いた事はありますが、どこにあるのかがよく分かっていません。早速Google地図で確かめますと、1984年の冬季オリンピックが開催されたサラエボのある国です。
01お聞きしますとサラエボ周辺には国を挟みますが、現役SLがまだ走っているそうです。地図を見ても、中々行ける所ではありません。そして、費用もリーズナブルです。
O氏が薦められる所にハズレはなし、きっと新しい発見にも会えるのだろうと参加を表明しました。
参加される方は、インドネシアでもご一緒していただきましたK島さんと、ミーシャさん、弘南鉄道の雪飛ばしで地吹雪の中運転していただいたSGさん、初めてお会いするC12208さん、KKさん、HGさんの海外鉄ちゃん軍団、そしてO氏のご内儀を含めての9名となりました。これにドイツからの参加者が加わります。

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