前回、Part15の紀行記を投稿してから、ほぼ1ケ月を経過しました。国内の旅を優先して中断しておりましたが、再び投稿を続けさせていただきます。
訪問した地はこれからがシーズンを迎えます。行かれる方も多かろうと思いますので、できるだけ丁寧に案内を書いていきたいと思っておりますが、既に2ケ月を経過しています。果たして確かな記憶があるのかが不安です。
第10日目 2月24日
サラエボ10:46(396列車)→19:51ザクレブ
サラエボからご一緒させていただいたみなさんは帰国、または私とは違った地へと向かわれました。サラエボに残ったのは私一人です。今日からは言葉が分からず、経験したことのない初めての地での一人旅です。何かトラブルが起こっても頼る人はなく、自分一人で対応しなければなりません。不安一杯の朝を迎えました。
【 出発までの悩み 】
当初の予定ではボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボからセルビアのベオグラードに直接向かい、最終目的地は日本への直行便が飛ぶイスタンプールでした。
インターネットで調べると国際列車は、サラエボ11:49→20:06ベオグラードがあったのですが、運休状態でした。ハッキリとは分かりませんので、ひょっとしたら運行しているかもと、かすかな望みを持ってサラエボへきました。しかし切符売場で確認すると、もう運行していないと分かりました。従って、クロアチアのザクレブに一旦行ってからベオグラードに向かうしか方法がありません。切符は国が違うので、サラエボからザクレブまでしか買えません。後は着いた先での購入となりますが、インターネットで調べただけで本当に運行されているのか、運行されていても時刻は間違えないのか確認ができません。
こういった状況下は中国で慣れていますが、言葉の分からない初訪問の地です。かなりビビッていましたら、O氏から「ぶんしゅうさんなら大丈夫ですよ。いつもの調子で困難も乗りきれますよ。」と、背中を押していただけました。”案ずるより産むが易い”とのことわざもあります。グズグズと言っていても前には進みませんので、覚悟を決めて挑戦してみる事にしました。
サラエボ駅まではMotel Bejturanのおばちゃまにお願いしてTaxiを呼んでいただきました。鉄道駅までと何度も確認しておいたのですが、運転手は空港と思い込んでいました。向かう途中で道が間違っていると気づいて鉄道駅には着けましたが、トラブル一発目でした。
▲ 10:14 サラエボ駅の1番ホームに上がりますと、朝に到着した通勤列車がまだ回送待ちでした。
Čapljinaを6:30に発車して、9:46に到着したであろう720列車です。3番線には3連の国電も止まっています。
720列車は、1等と2等のコンパーメント車2両編成ですが、ボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄では2等扱いです。前に進むのかと思っていましたが、電気機関車が後部に連結されて後方の留置線へと持っていきました。撮ろうと後ろに行きましたが、駅員から制止させられました。やはりホーム上での撮影は難しそうです。
ホームではザクレブ行きの列車を待つ乗客が荷物を置いてお待ちです。
▲ ホームからの撮影が無理なら乗車してからです。入線してきたザグレブ行列車に乗りますと、3番ホームの国電が見えます。2月18日に走行中を撮った時はDLに牽引されていましたが、今日はパンタを上げています。自走できるのかな?
▲ 回送電車が出て行った後、4番線にはDL+2等車2両+コンテナ貨物車が入線していました。今までは見ていない編成です。事業車でしょうか?
▲ 乗車した客車(1等車)のコンパートメントです。6人用で清掃も出来ていて快適です。トイレもトイレットペーパーが整備されていてまずまずでした。
10:46 列車は、サラエボを定刻に発車しました。5分もすると車掌が検札にやってきました。
▲ 切符は皆さんと一緒の2月16日に手伝っていただき購入しています。
ご覧の通りの手書きの切符で、ホッチキスでとめてあり、航空券のチケットのようでもあります。
左に細長いのは、切符のレシートで、何やら明細金額が印刷されて、総額60.80KM(マルカ、約4,260円)となっています。
正確な乗車距離が分からないのですが、Google地図から辿って行くとおおよそ400キロで所要時間は、約9時間余りです。
左はザクレブ到着後に駅の案内所で購入したクロアチア国鉄時刻表に掲載されていた国際列車B396のダイヤです。
双方のイミグレは青文字にしました。
時刻表は、サラエボ駅の売店でも探しましたが売っていません。唯一見かけたのは、切符を買った窓口だけでしたが、1冊しかないとの事で売ってはもらえませんでした。
▲ 11:41 前回2月17日に皆さんとご一緒にこの列車に乗りましたが、構内に蒸気機関車を見かけました。稼動しているようには思えなかったのですが、今日乗った時には確認しておいてくれとの依頼がありました。Visokoを出て採炭場ヤードを見ますと貨車に隠れるように1両のC形タンクらしき蒸気機関車が見えました。煙突部分しか見えませんが、保存状態は良さそうです。動態保存されているかの確認はこの写真のとおり分かりませんが、興味をそそられます。
▲ 11:45 2月17日に皆さんと一緒に下車したKakanjiに到着しました。今日はZenica始発の2155列車と、時刻表どおりの交換がありました。この間は、降車客は我々だけでした。
ウィキペディアによると、ボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄は、内戦で甚大な被害にあって衰退した。営業キロは、わずか1,030キロ。内戦前の1990年からの復旧率は約20%に終わっているそうです。
見ていても利用客も極めて少なく、もう以前の繁栄には戻れないだろうと思っていましたが、2155列車からは多くの降車客はあり、サラエボへの家族連れの乗車客もありました。日本の赤字ローカル線のような高校生と年寄だけとは違った客層で、意外と活気がありました。
▲ 12:15 10分遅れでZenicaに到着しました。
サラエボ~ゼニツァ(Zenica)には、毎日4往復の区間列車があります。利用者はそこそこあるようです。
橋を渡ると貨物ヤードが広がっていました。
留置されているのはセキが殆どで、この国の貨物輸送は石炭がメインのようです。
▲ 12:54 12分遅れでZepceに到着。ホームと言っても高さはなく、単にコンクリート舗装されているだけです。乗降客はなく閑散とした駅ですが、無人駅ではなく駅長?さんが立っておられました。
▲ 13:05 同じく12分遅れでZavidoviciに到着。側線には錆びてはいましたが、保線用作業車と木造有蓋貨車がずらりと留置されていました。
▲ 13:27 駅名は見えませんが、Maglajに到着。サラエボ以来初めて屋根があるホームを見ました。Zavidoviciと同様にわずかですが乗降客がありました。
▲ 13:49 ボスニア・ヘルツェゴビナ最古の都市であり、現在でも重要都市であるドボイ(Doboj)に8分遅れで到着。地図でお分かりのように交通の要所で分岐駅です。
北に上がるとクロアチアに入ってベオグラードに向かう最短コースになります。出かける前に大津の86さんにお聞きしましたら、以前はここを経由してのサラエボ~ベオグラードには6往復もの列車があったそうですが、現在旅客列車は運行されていません。
約10分間の停車の間に電気機関車の付け替えがありました。前方へと撮りに行きたかったのですが、車内にある荷物が盗られないかと気になって、ホームには下りられません。一人旅での大きなデメリットで、仕方ありませんね。
駅の貨物ヤードは非常に広く、多くの貨車が留置されていました。これらが稼動していたかつてのボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄の繁栄ぶりが偲ばれました。
列車は、①Stanari 14:29、②Dragalovci 14:35、③Ukrina 14:55、④Cekinac 15:20 と10数分遅れで各駅に停車しながら進行します。
▲ 14:55 Ukinaでようやく貨物列車との交換がありました。牽引は、Koncar製の441形(25 kV/50 Hz)。
対向列車は数回ありました。旅客列車はわずか客車2両編成ばかりですが、貨物は石炭満載の長編成でした。石炭輸送で生き残っているとの印象でした。
左は架線用の作業車ですね。
▲ 15:34 ボスニア・ヘルツェゴビナの第2番目の都市、バニャ・ルカ(Banja Luka)に11分遅れで到着しました。
乗降客の多くがあり、ここで2回目の電気機関車の付け替えも行われました。それほどの走行距離とは思えません。なぜに頻繁な機関車交換が行われるのでしょうね。
客車区もあって、カラフルな客車が留置されていましたが、冷房設備はないようです。
▲ 15:49 ようやく車内販売が回ってきました。飲み物とスナック類ですが、温かいコーヒーがありましたので注文しました。一応、例のボスニアコーヒーでした。
▲ 16:25 23分遅れでOmapcka到着。この鉄道駅には改札口はありませんが、駅員宿舎兼用と思われる駅舎はあります。統一された設計ではなく各駅によってデザインは違っています。
▲ 16:42 夕暮れが迫ったPrijedorに到着しました。駅前広場には蒸気機関車が1両、展示されていました。その前には、十字架と44名の写真と名前がレリーフになっていました。駅舎の写真と何やら説明書きが書いてあります。内戦時に何かエピソードがあったようです。
▲ 17:16 国境まで1駅となったノビグラード(Novi Grad)に到着しました。駅舎は外装色が違うだけで同じ設計に見えます。同じ駅舎は初めて見ました。この駅は分岐駅で、これよりクロアチアへと国境を越えます。
国境の駅はどうなっているのだろうと楽しみにしていましたが、同じコンパーメントに同席しておられるおばちゃまから、写真を撮ると捕まるよとのアドバイスを英語でいただきました。19年前には戦争をしていた国への移動です。イミグレを撮るのはやはり難しそうです。
[googlemap lat=”45.18928105114835″ lng=”16.482689380645752″ align=”center” width=”600px” height=”280px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]ザクレブ[/googlemap]
【 ボスニア・ヘルツェゴビナからクロアチアへ、列車での国境越え 】
17:32 まずボスニア・ヘルツェゴビナ側の国境Dobrija駅で停車。車内で出国審査を受けました。係官と銃剣を持った兵士もコンパーメントに入ってきますので緊張感が立ち込めます。荷物検査はなく、すんなりと済みました。 位置→ 45.151819, 16.477353
審査が終わればすぐの発車。途中で川を渡る鉄橋が国境線で、約8分でクロアチア側の国境Volinja駅に着きます。同じように車内でパスポート提示と切符の検札を受けました。位置→ 45.203641, 16.486563
▲ 19:03 5分遅れで、Sisak Capragに到着。向かい側ホームには電車が入線してきました。
▲ 20:08 終点手前で徐行が続いて17分遅れでザグレブに到着。9時間22分の所要時間でした。
同じホームの反対側には、Koprivnica行きの列車が発車待ちをしていましたが、とても綺麗な客車です。ボスニア・ヘルツェゴビナと比べると、活気もありますし車両も整備されているようです。
▲ サラエボから乗車してきたわずか3両編成の国際列車です。車内はゆったりとしていて、何よりも窓が開けられたのは最高でした。
▲ 細いホームです。まあ、ホームで並んだり待ったりはしないでしょうから通路と理解したら良いのでしょうね。ホーム移動は地下道ですが、橋上駅と違って階段数が少ないので荷物を持った旅行者には助かります。1番ホームは屋根付きのドームになっていました。
▲ 1番線ホームから駅舎に入りますと、パン屋や食料品店が両側に並んでいます。中央には古本屋のワゴンが並びます。広過ぎて殺風景なサラエボ駅と比べると、小さいですが明るくて活気があります。
明日の乗車時刻の確認と切符を買わなければいけないのですが、まずは予約していますホテルへチェックインです。ホテルは駅前のホテル・セントラルを選びました。駅正面玄関を出ると右手直ぐに見えました。これほど近いと移動が楽です。ほっとしました。
▲ 20:38 ホテル前から見たザグレブ中央駅。重厚な見事な駅です。駅前にはトラム電停もあってとても便利そうです。
▲ 20:41 切符売場に行って見て、メモに書いたザグレブからベオグラードまでの時刻を確認していただき、切符を購入しました。ほっとしました。これでベオグラードまでは大丈夫です。
ついでに案内所に行って時刻表があるかどうかお聞きしますと、机の引き出しから出してくださいました。
言葉も分からず、初めての国での列車乗車は、ハラハラドキドキで始まりましたが、致命的なミスはなく乗り鉄旅を楽しめました。
駅では大きなペットボトルに入ったビールを買い求めました。夕食はパン屋でサンドイッチを仕入れました。
ビール下が時刻表です。
明日は朝食後、少し街にでます。ベオグラードに向かうギリギリまで、トラム撮り鉄予定としました。 Part17へ続く
ぶんしゅう旅日記さん覚えておられますか。ウルムチでお別れして私一人雪の中をタクシーで空港に行き、ぶんしゅうさんに教えられたとおり北京のターミナルも無事移動して帰国したことを。あの程度でも若し、タクシーの運転士が場所を間違えたらえらいことになると心配でした。それに比べると同行の諸氏と別れて一人旅、しかも内線の傷跡の残る国。陽気なぶんしゅうさんでもさぞ心細かったと思います。ヨーロッパの国境越えは今はかなりフリーに近いと聞いておりましたが、ボスニアヘルツェゴビナとかクロアチアは物々しい感じですね。銃を持った兵隊か検察官のような人は昔ドイツとポーランド国境駅、中朝国境駅で見ました。それにしても緊張する旅ですが、羨ましい面もありますね。
準特急様、コメントをいただきましてありがとうございます。
今考えてもこれからどうなるのだろうと不安が一杯で寂しいものでした。冒険だ、挑戦だと割り切る以外には気持ちの持っていき方がなかったですね。
列車での国境越えは2度目の経験で、初めては約35年前にタイのバンコクからマレーシアのバターワースに向かう途中でした。海外は新婚旅行以来でよく分かっていなくて、パスポートの有効期限は1週間しかありません。有効期限までに帰国予定だったので大丈夫と勝手に思っていました。
タイ出国手続きは列車内で無事終わり、入国手続きはマレーシアに入ってから停車したジャングルの中にポツンとある駅でした。1時間の停車時間内にホーム中央のイミグレに並んで手続きをするのですが、私の順番になりパスポートを出すと担当者は、見た途端に後方へ放り投げてしまいました。唖然としている内にはカウンター窓を閉めてしまいどうする事も出来ません。一瞬に凍りつきました。
他の乗客は入国手続きが終わり列車に引き上げていきます。ホームに残る乗客は私一人で、後は機関銃を持った国境警備の兵隊達です。時間が過ぎていきます。真っ青で車内の同行者のもとに戻って相談しますが、解決策などありません。このまま乗車した場合は不法入国になりますが、残っても次の列車は翌日です。考えれば考えるほど不安感はより増して絶望状態になった発車10分前に二人用コンパートメントへ現地人が入ってきて、どうしたと聞いてきます。そして30,000円を出せば何とかしてやると持ちかけてきました。追い詰められて、他には方法がありません。渡して後ろをついていくと、イミグレの裏口からそっと中に入りました。中では先ほどの窓口担当者がニコニコと笑いながらパスポートに入国印を押して渡してくれました。そして車内に入ると待っていたかのように列車は発車しました。
二人はグルだったようです。こんな最悪の経験をしていましたので、列車での国境越えは終わるまで心配でたまりませんでした。齢をとってきますと、一人旅は期待感より不安感の方が
大きくなってきました。次回は、不安の少ない旅にしたいと思いました。