窓から写した駅・列車 -番外編ー

総本家青信号特派員さんの「窓から写した駅・列車」シリーズに私も参加させていただく。1964年3月31日早朝のことで日記風の記録が手元にある。それによると前夜宝塚からDF5062[米子]牽引の731列車で福知山に向かい、京都発下関行き817列車に乗りかえて米子に向かった。817列車はC5785[福知山]牽引で到着したが、DF5043[米子]にバトンタッチして残念と記録している。満員の列車なので最後部の便所の近くに陣取ったが、回送と思われるD51254[豊岡]が豊岡まで補機に着いた。

早朝5時30分に米子到着。米子機関区ではD51530、D511044、D511129、C5712、C5763、C57101、C57120、C57165、C51260、48697、78637、C119等を撮影。30分間でそこそこの収穫があった。この頃はとにかくできるだけ沢山の蒸機をカメラに収めるのが目的であった。

米子を6時14分に発車する123Dキハ58系に乗車。この列車は松江から折り返し急行「白兎」大阪・京都行きとなる車両で既にヘッドマークが掲げられていた。

※6時21分荒島駅 1回目の交換列車 松江発122D上井(現倉吉)行きキハ0613単行

木次にはキハ07やレールバスもいたが本線にもこんなのがいて山陰地方は面白かった。▼s-64.3.31荒島キハ0613

松江で乗り換えた6時57分発125Dはこれまた大社で折り返し伯備線・赤穂線経由京都行き急行「大山」となるキハ58系であった。

※7時3分乃木駅 2回目の交換列車 大社発大阪行き714列車C5180[米子]        松江を出て次ぎの乃木駅で思いがけないことが起こったと記録している。C51が米子にいることは配置表等でわかっていたが、どの列車に充当されているかなどの情報に疎かったので原形に近いC51を始めて見て喜びもひとしおであった。▼s-64.3.31C5180その1

 

※7時22分来待駅 3回目の交換列車 木次発松江行き412列車C11261[木次]     木次線はC56が有名であったがC11も使われていた。▼s-64.3.31C11261
米子の次は浜田に向かった。途中ヘッドマーク付きの準急「やくも」も撮影した。また、この時の最大の目的は浜田に残るC54の撮影であったが、現地で3ケ月前にいなくなったと聞きがっかりしたことを覚えている。この後、津和野のD60を撮り、湯田温泉に宿泊。翌日は小郡、鳥栖に行っている。

窓から写した駅・列車 -番外編ー」への2件のフィードバック

  1. 淳特急さま
    貴重な写真の数々、惜しげもなくご披露いただき、ありがとうございます。
    キハ06は、ちょうど同じ年の昭和39年に米子区に配置されていること、私も山陰地方を旅行中に確認しています。キサハ04もいました。私はてっきり境港線で使用されているとばかり思っていました。まさか、山陰本線でも使用されていたとは衝撃の事実でした。貴重な写真、ありがとうございます。
    C5180は、「鉄道ファン」の見開き口絵に紹介された、原型のC51として有名です。私も、逆光で真っ黒になった同機を撮っています。ただ、火の粉止めがなんとしても残念です。最近、ある方のC51ネガを整理する機会がありました。しかし、パイプ煙突などの改造が多く、化粧煙突でも、火の粉止め付きが多く、C51がまだ多く見られた時代でも、原型機との遭遇率は、かなり低かったことが分かりました。

  2. 総本家青信号特派員様
    年齢的には私の方が4~5年先に生まれていますが、目覚めの早い、遅いで趣味歴は同じようなものでして総本家さんとは同期生の気分でお付き合いさせていただいております。あれもこれもとやっているうちにどなたかよく言われる余命幾許も無い歳になりました。関西も関東も海外もできるだけデジ青に発表なりコメントさせていただきます。とは言え陰陽連絡の芸備線、姫新線、因美線等は乗ったことがなく、前回の特派員さんの投稿に対してコメントもできず申し訳ございません。尚、発表した3枚のうちキハ0613とC11261は共にハーフサイズカメラでの撮影です。

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