ラッシュ時のローカル駅
ローカル線の旅客輸送を、今と昔を対比すると、昼の時間帯は、それほど乗客数に変化はないように思う。いつの時代も車内は空いていた。近年は編成の短縮化が進んでいるから、実感としては最近の方が混んでいるようにも見える。比較して極端なのは朝夕のラッシュ時だ。ローカル線に限れば、現在、ラッシュ時の乗客は高校生だけと断言しても言い過ぎではない。あれほどいた通勤客が今はごっそり消えてしまった。みんな自動車通勤に転移してしまったのか。車窓から見た交換列車の光景も、それを象徴している。▲西鹿児島駅の夕方のラッシュ時、C61のラストナンバーC6133が牽く鹿児島発川内行き226列車が入線して来る。時刻は18時50分、ちょうど退け時とあって、ホームは通勤客であふれている。地方の県庁所在の駅であっても、現在ではまず見られない光景だ。この乗客のほとんどがクルマ通勤に切り替えたのだろうか。考えると、空恐ろしい気がする(昭和45年)。
▲当時、DC化が促進されていたローカル線でも、ラッシュ時は輸送力のある客車列車に置き換え、それを蒸機が牽く例が多かった。ここ伯備線備中高梁駅も、岡山までちょうど50キロ圏の駅、朝は3本の蒸機列車が雁行した。岡山駅で駅寝して、一番列車で布原信号場へ向かう途中、この駅でD51837の牽く新見発岡山行き934列車と出会う。どこでも見られた、どう言うことのない写真だが、ローカル線の中核駅で通勤客が待ち受ける典型的な朝の風景だった(昭和46年)。▲いまは台風で家城~伊勢奥津間が不通になったまま5年が経過しようとする名松線、家城駅で交換する伊勢奥津発松阪行き431D。キハ3044+キハ20229の2両編成。ローカル線での高校生輸送は大きなウエイトを占めていた。朝は集中するが、夕方は分散するから、朝は1本、夕方は2、3本を高校生用に運転している超ローカル線もあるぐらいだ。沿線の主要駅に、それぞれ高校があったから、通勤のように片輸送でなく、両方向に高校生の輸送需要があった(昭和46年)。
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