信号場(1)
幹線の単線区間を旅していると、駅でもないところで、突然、列車の交換がある。信号場である。「もっぱら列車行き違い、または待ち合わせを行なうために使用する停車場」と定義されている。停車場は、駅、操車場、信号場に分類され、駅と同じ括りとなるが、駅を設置しても旅客が見込めない立地の場合、信号場の設置となる。人里離れたところに設置されることも多く、通常は乗り降りできないため、趣味的な興味は尽きない。
信号場の代表例は、単線区間における行き違いのためだが、複線区間で追い抜き専用の待避線を設けた信号場や、駅と駅の中間で線路が別方向へ分岐する地点、また単線から複線に変わる地点も信号場と呼ばれる(例外もあり)。運行形態の変化により、信号場の必要性がなくなり、改廃された例も多い。
▲日豊本線の南霧島信号場、霧島神宮~国分間に昭和41年に設置された。撮影当時は、まだ設置から間もないことが写真からも伺える。列車は、西鹿児島発門司港・広島行き「青島」、列車交換のためには構内は直線になっていることが望ましく、全体がカーブした信号場は珍しい。電化後の現在も活用されている(昭和45年)。
▲篠ノ井線では、列車本数の増加により、昭和40年前後に4ヵ所の信号場が新設された。うち3ヵ所はスイッチバックとなった。稲荷山~姨捨間にある、写真の桑ノ原信号場もそのひとつで、引上線に入った列車の窓から、善光寺平をバックにDD5137の牽く長野発甲府・名古屋行きの446列車が上がってくるのが眺められた。塩尻で、中央本線両方向へ分割される列車だった。JRのなかで、実際に列車交換を行っている、唯一のスイッチバック式信号場として、現在も使用されている(昭和43年)。
▲日本海縦貫線のなかて、直江津~糸魚川間は、山が海岸に落ち込む難所で、単線非電化のままで鉄道輸送の隘路だった。そのため各駅間ごとに信号場が設けられた。能生~筒石間に設けられた百川(ももかわ)信号場もそのひとつ。平坦な場所に設けられた、ごく平凡な配線の信号場である。直江津~糸魚川間は、その後、長大トンネルを含む複線電化となり、ほとんどの区間がルート変更になり、区間内の信号場はすべて廃止となった(昭和44年)。