第14日目 5月31日
① 天津 15:00(C2044次)→15:30北京南
② 北京南21:21(D321次)→7:15上海虹橋
京滬高速鉄道の開業は開業は、6月中旬と昨年12月に発表した鉄道大臣は汚職で解任され、南京南站完成が遅れていたため、この時期まだ未発表状態が続いていました。開通によって、在来線の列車本数の激減は必死で、昼間の列車は壊滅、夜行もほぼなくなるとの情報を得ていましたので、開業前に何回も乗車した夜行電車寝台に最後に乗っておきたいと北京に戻って上海へと向かいました。
▲ この時間になりますと、高速列車専用駅の北京南駅からは上海方面に向けて5分ヘッドで夜行列車が発車していきます。D300番台の列車はすべて動車(電車)寝台で、ボンバルディア社からのCRH1と「はやて」CRH2の寝台車設計変更タイプEの2種類が運用されていました。
上海虹橋駅開業までは、上海駅まで乗り入れていましたが開業後は、すべて上海虹駅となりました。客車寝台も特快2本と普通が1本ありますが、こちらは北京発上海着と分けられていました。
【京滬線の歴史】
京滬線は首都北京と中国経済の中心都市上海を結ぶ中国鉄路の大動脈で、日本で言えば東海道本線に位置づけられています。中国の最初の鉄道で紹介いたしました北京まで延伸された京山鉄路が最初の路線です。その後に津浦鉄路と滬寧鉄路(上海~南京)をレールで結ぶばれ、全線が開業したのは、鉄道連絡線で結ばれていたこの間に南京長江大橋が完成した1968年となりました。意外と遅かったのです。路線延長1463キロの複線で、現在では交流25kv50Hz電化されています。
【中国鉄路高速化の歴史】
私が始めて中国鉄路に接しましたのは、26年前の1985年1月に勤務先の研修旅行で、天津西駅から上海まで京滬線の夜行寝台列車に乗車した時でした。当時はまだ全国的にも列車本数は少なく、走行速度も遅く、乗車した直快123次が上海に到着は19時15分、1315キロに21時間8分も要しました。表定速度は、62.22km/hでした。
▲ 当時の京滬線(北京~上海)直通列車は夜行の3列車だけでした。特快(特別快車の略)は、停車駅が5駅と少なく表定速度も夜行列車としてはまずまずですが、荷物車、食堂車を入れての14両編成で、中々入手困難なプラチナ切符でした。そして運賃は外国人加算が適応され約2倍でした。
貨幣も友誼商店(当時は、免税店で外国製品が購入可能)で買物や両替のできる兌換券と人民元の2種類がありました。
▲ 10年後には、市場調査を命じられて訪中しました。この時は幾分所要時間の短縮が行われていました。特快は直特快(直達特別快車の略)と改称されていました。兌換券は1994年1月に廃止されていましたが、外国人運賃はまだ残っていて、廃止されるのは1996年になってからでした。
まだ幹線でも蒸気機関車が見られ、路線拡大に躍起だった中国鉄路でしたが、ようやく中国鉄路国家を挙げてのスピードアップ化が1997年4月1日から始まりました。10年間に6回の高速化・時刻改正が実施され、主要幹線の路盤改良と機関車・客車の高速対応が進みました。
▲ 第一次高速化で2時間強もの所要時間短縮が実施され、直特快はKに改称されています。”K”は快速列車として、中国語”快”の発音”kuai”の頭文字です。
▲ 第2次高速化。手持ちの時刻表は翌年版になりますが、約1時間の所要時間短縮が実施され、発車時刻が00分と分かりやすくなりました。直快461は”直快”が消え、発車時刻も繰り上がっていました。
▲ 第3次では所要時間は変らずでしたが、杭州行きのT31が新設され上海西に停車しました。”T”は特快旅客列車として、中国語”特”の発音”to”の頭文字、列車番号が改称されています。
▲ 第4次ではT103とT109が新設されて本数が増えました。この頃より夕・夜発翌朝着のダイヤが確立されていきました。
▲ 第5次になると、京滬、京广、京哈、京九、隴海の5大路線で160km/h運転区間が延長され、また始発駅から終着駅まで無停車で走行する”Z”列車(直達特快列車)が全国で19往復、京滬線でも12時間を切る2往復が新設されて所要時間の短縮と増発が行われました。”Z“は、”直”の発音”zhi”の頭文字です。
2007年1月28日は、中国鉄路に初めて日本から輸出された「はやて」型CRH2が、春節の臨時列車として営業運転を開始した記念すべき日でした。独自技術で160km/h以上の高速運行を進めていた中国でしたが、高速車両製造にいずれも失敗し自国開発を断念、日本、ドイツ、カナダ、フランスからの車両の輸入及び製造の技術供与をもって高速化を目指すことになりました。その中でもいち早く完成したCRH2が、最高速度は160km/hに抑えられてはいましたが上海地区の「春運」に登場しました。
第6次高速化が実施された4月18日には、カナダからのCRH1とフランスからのCRH5も加わり在来線の一部区間では最高速度200~250km/hでの走行を開始しました。京滬線にも昼間運行としては初めての列車としてCRH2による1往復が設定されました。所要時間は10時間を切る走行で、今まで夜行列車でしか行けなかった上海が近くになったとの実感がありました。
夜行列車も約30分の所要時間短縮が実施されました。杭州行きが上海西に停車していましたが、今回の改正で通過となり、替わって上海行きのZ列車が1本増えました。この頃が上海行きの客車寝台列車の全盛期で、2008年12月21日からCRH2Eの電車寝台が登場すると、次第にシフトされていきました。
以前に第6次高速化関係について投稿した記事がありますので、ご覧ください。
■ はやて初乗車は、こちらへ
■ 中国鉄路 和諧号 続編 Part1は、こちらへ、Part2は、こちらへ
■ 中国鉄路 2007年4月18日改正は、こちらへ
■ 上海~北京間CRH2初乗車記Part1は、こちらへ、Part2は、こちらへ
2007年以降から7.23事故後の現在の京滬線については、その2で投稿させていただきます。 Part22 へ続く