客車廃車体訪問記内地編7 京都府-3

【加悦SL広場】 35.481148, 135.092510

↑キハ08 3(2-4位側) 2019年4月5日撮影
台車はDT22AとTR51A、乗務員扉は1・4位側にしかない。後位側(画像手前)にあった便所・化粧室は加悦鉄道入線時に荷物室にした。外妻に銘板が3枚あり、右上は「日本国有鉄道」、右下は「昭和30年盛岡工場鋼体化改造」、左は「昭和37年苗穂工場」である。
◆ナハ24972(大正11年汽車新製)→(昭和3年改番)ナハ22459→(昭和30年盛岡工鋼体化改造)オハ62 130→(昭和37年苗穂工気動車化改造)キハ40 3→(昭和41年改番)キハ08 3→昭和46年廃車→昭和47年加悦鉄道で営業運転開始
オハ62 130はオハ62のラストナンバーである。

↑車体はホーム寄りに傾いている。振り子装置が作動しているのではない。

↑加悦  1972年6月21日撮影

↑車内  2重窓のままである。両端がロングシート。 加悦  1980年10月9日撮影

※RM LIBRARY81『キハ08とその一族』に、山科の人間国宝の写真が多数(というより殆ど1冊全部)掲載されていて詳しい。
そういえば昨日(16日)の7ch「開運なんでも鑑定団」に山科の人間国宝撮影の写真(EF10が牽く特急「かもめ」)が出演した。

ハブ3

この車両の履歴は、讃岐鉄道から山陽鉄道に在籍していたという説もあるので省略し、加悦鉄道の説明板の紹介だけにする。

↑加悦  1972年6月21日撮影
この時は三等の標記と赤色等級帯がない。既に廃車になっている。

↑加悦  1980年10月9日撮影

ハ4995

↑湯口さんの『丹波の煙 伊勢の径』(レイルNo.40)p.63に掲載されている廃車体の倉庫がこのように復活するとは驚きである。展示用として復元したので、当車はこんな姿だったのだろうかという雰囲気は味わえる。
この車両も履歴は省略し、説明板の紹介だけにする。

↑加悦  1972年6月21日撮影

 

2 thoughts on “客車廃車体訪問記内地編7 京都府-3

  1. 井原 実様
     もう5~6年前になりますか、OB会で当時の北近畿タンゴ鉄道を訪ねたことを思い出しました。加悦SL広場にも連れて行ってもらいました。
     キハ08の内部に入って座席に座ったことやラッセル車の運転席、それに湯口大先輩から直々のご案内やご説明を頂いたこと、その時の大先輩の嬉々としたご表情は忘れられません。
     キハ08も随分傷んできたようですね。維持は大変でしょうね!

  2. このスレとは直接関係がないが、本日(7月18日19:30~)のNHKテレビで名前に関するバラエティー番組が放送された。その中で同志社中学校の地歴部で活躍された須田寛さんが国鉄時代に『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンを成功させた苦労話をされていた。当時のテレビCMが流れたが、なんと当時の流行の最先端を行く女性(現役時の海原万里やモーレツの小川ローザ風味)が列車に乗って旅を満喫するシーンが出てきた。その車輌がオハ61系の板張り背ズリだったというお話。

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