また北海道に戻って、《区名板》を続けます。C58は、D51、9600と並んで北海道には多くいた蒸機で、昭和40年代前半には、五稜郭、苗穂、鷲別、北見、釧路区に配置されていました。その本場は道東地方で、石北本線、釧網本線、根室本線では多くの客貨を牽いていました。石北本線・釧網本線の北見~網走~釧路は、両端にある釧路、北見区のC58が一体で運用されていて、釧路区は28両配置で、日本一のC58配置区であり、北見区も10両配置でした。まずは、石北本線、釧網本線のC58の活躍を見ていただきます。
▲初めて北海道を訪れた昭和43年、釧網本線のC58の牽く混合列車に乗って、ゆっくり車窓の旅を楽しんだ。当時は、列車本数も多く、ほとんどの駅では、列車交換があって、例によって“窓から写した”だけの撮影を続け、初秋の一日、たっぷり北海道の良さを感じたものだ。釧路原野のなかにある細岡で交換する、C58 127〔釧〕の牽く混合628レ (昭和43年9月、以下同じ)
▲この日は、釧網本線北浜にあったユースを朝早くに出て、6:10発の623レに乗車、海沿いの駅は今は観光客で賑わうが、当時は寂れた寒駅だった。C58 83〔北〕+貨車+客車4両
▲最初の要衝駅、斜里で31分の停車、623レを改めて撮影する。当時の国鉄は労使闘争に入る頃で、落書き列車が見られる頃だったが、まだ煙室扉にビラを貼り付ける程度だった。
▲斜里では、斜里発網走行き622レと交換する。C58 119〔釧〕+貨車+客車4両、当時、斜里からは、日本一の赤字線と名高かった根北線が分岐していて、越川行きのキハ22が発着していた。このように始発列車もあって、時間帯からして網走への通勤輸送として設定されたものだろう。
▲斜里では、C58 33〔釧〕がワフ1両を連結して停車中。釧網本線では、DE10の配置が始まっていて、貨物列車はほぼDL化が完了していた。
▲清里町で交換する、弟子屈発網走行きの624レ、C58 62〔釧〕+貨車+オハフ60 60+スハ32 294+オハ62 38、清里町は、昭和31年に村から町になった際に“清里”としたが、先に小海線清里があったため、珍しく“町”が付加された。
▲釧網本線の観光下車駅のひとつ、川湯に到着、すぐ硫黄岳が望めて、窓を開けると、硫黄の匂いが入って来る。ここで626レと交換、C58 197〔釧〕+オハ62 43+オハ62 44+スユニ60 301+貨車の編成、右に何やら意味ありげな客車が。三軸ボギー、ダブルルーフのスヤ393〔釧クシ〕で、車体には「工事用」と書かれていて、付近の工事のため、関係者が泊まり込む設備のあった職用車で、屋根からは煙突が出ていて車内に調理設備もあったようだ。
▲昭和42年10月改正時刻表、全線を走る普通列車は4本、急行は3本あった。
▲これからは、翌年の昭和44年の石北本線、機関区のある北見で発車を待つ、遠軽発網走行き523レ、C58 82〔北〕、うず高く積まれた手小荷物、原木を積んできたチキ、キハ22など、北海道の要衝駅の表情を見せていた。
▲端野で交換する658レ、C58 119〔釧〕 この機は、北見市のSL広場に保存されている。2年前の冬に見に行ったところ、がっちりとブルーシートに包み込まれていた。
▲上り「おおとり」と交換する523レ この時期でも、C58のデフは切り詰め化が施工されておらず、美しい姿を青空のもと見せていた。女満別
釧網本線北浜付近。
米手さま
さっそくの写真コメント、ありがとうございます。私も北浜~浜小清水で撮ったことがあります。同じような風景がずっと続いていて、カメラバッグを置いて、カメラ一台だけで写していたところ、バッグの置き場所が分からなくなり、陽は暮れてくるし、青くなって必死に探した思い出があります。
総本家青信号特派員様
北見市SL広場のC58119です。撮影は2013年7月3日18時30分頃で後ろはD51444です。
準特急さま
C58119の保存状態をありがとうございます。野外ですが、ずいぶんきれいな状態で置かれているのですね。私が冬に行ったのは、こことは別にある、北見市内のふるさと銀河線応援ネットワークの保存機ですが、このようにブルーシートに包まれていて、全く見られない状態でした。
網走近くの原生林を走る釧網本線のC58重連の混合列車です。先頭はC58348。1965年頃の春休みに一年先輩のYさんに狩勝峠へ行かへんかと誘われ、峠を下り新得機関区・釧路・網走と付いていったときの画像です。
大阪通信員さま
貴重な写真、ありがとうございます。この区間で重連とは珍しいですね。客車編成も長いです。例の「石北くずれ」かもしれませんね。狩勝峠も行かれたんですか。私は“C62重連は知ってるけど、狩勝は知らん”世代ですから、行かれた方は、ただただ“凄いなぁ”と思ってしまいます。
改めて北海道のC58を探しましたがあまり撮していません。
「北海道まで来てC58なんて」が原因でしょう。しかし、釧網本線では何枚か撮っていたようです。持って行った初期のタムロンズームの精度の悪さのため、ピントが甘く見る気にもなりませんでしたが、この記事のお陰で見返したところ、数点が見つかりました。画像を補正して見ました。
網走湖付近です。
もう一枚
C58413+9600逆向 同じく網走湖付近
タムロンズーム、私も思い出があります。カメラを始めた頃、望遠レンズが欲しくして、友人の持っているタムロン200ミリを借りました。その望遠効果に、別世界のような驚きでしたが、現像してみるとガッカリ、素人目にも荒れ荒れの出来で、また標準レンズに戻ってしまいました。
特派員殿やT君と茶内・糸魚沢へ行った翌日は、一人で塘路・茅沼に行きました。車窓から目星を付けた地点まで歩いたものの、撮影ポイントが定まらないうちに列車が来てしまい、釧路湿原らしさをも何もあったものではなく、線路際で撮った1枚です。C58173牽く混合列車です。