雪の常紋を行くD51
常紋には雪のあった季節に、一度だけ行っています。昭和47年3月のことで、もうヤマ線のC62はなく、常紋は北海道を代表する撮影地となって、撮影者も多く見られるようになります。蒸機は、北見区D51、遠軽区9600が健在で、客貨の本務、補機を務めていましたが、旭川区にはDD51が配属されて、一部の客貨を牽き始めていました。今までの常紋は、DRFCメンバーとの撮影でしたが、今回は、自分一人の気ままな撮影でした。
▲この撮影で試みたことがある。この少し前の国鉄主催の鉄道写真コンクールで、大賞になったのが、降雪のなかの蒸機のタブレット交換だった。“これしかない”と、常紋では歩くこともせずに、もっぱら信号場でスナップ撮影を試みた。ホームのないところでの交換になので、助役が背伸びをして、タブレットを交換する瞬間だけに狙いを定めた。(以下、昭和47年3月)
▲この時も「石北」改め「大雪」での訪問となったが、いきなり常紋に行かず、ひとつ手前の生田原で下車して撮ることにした。駅の寒暖計は-8度を示していて、3月も下旬になるのに、さすが北海道だけのことはある。D51 734〔北〕の牽く1590レの入線・到着を撮る。後部に69625の補機が付いている。
▲生田原から常紋寄りに歩いてみた。開けたところをカーブの連続で抜けていて、編成写真なら常紋より撮りやすいように思えた。5091レ、D51 608〔北〕、カラの長物車、無蓋車ばかりの編成を牽く。▲つぎのDCで常紋へ行き、怪談話の絶えない常紋トンネルを一人でくぐって、生田原側へ抜け、補機つきの下り貨物を撮る。前補機は必ず9600になり、この時期、前面トラ模様だから始末が悪い。本務のD51中心に切り取ってみた。4581レ D51 1077〔北〕
▲一列車だけ撮って、再びトンネルをくぐって信号場に戻った。雪も降ってきて、歩いて行く気力も失せて、あとは例のホーム上の超お手軽撮影地から狙うことにする。雪と、望遠の圧縮効果でそれなりの撮影ができる。D51 312〔北〕の574レ
▲574レは信号場の引上線に入り、助役の発車合図を待つ。▲キャブ周りも撮影。
▲そのあとD51 608〔北〕の牽く1592レが上がって来る。いったん突込線に入ったあと、バックして引上線に入り、トップのタブレット交換シーンとなる。
▲交換待ちの間、キャブ周りを写す。シャツター速度を変えて撮って、雪が流れ具合を検証してみる。
▲まもなく、交換の1592レがトンネルを飛び出し、信号場の渡りを通過して行く。D51 1008〔北〕
▲そのあとの列車もタブレットの交換シーンを撮った。下からあおって、列車は切り取って、人物の存在感を出そうとした。
DRFCで雪の常紋と言えば、この時より、2年前のことだが、1900生さん、KAWANAKAさん、西村さんの三人で極寒、豪雪のなかでの決死の撮影記が忘れられない。私のほうは自己流の安直な撮り方ばかりに終始した常紋だった。
総本家青信号特派員様
普通は駅から離れて適地に向かうものですが、撮影に対する哲学が凄いですね。私など常紋信号所も行った行ったことがありません。
準特急さま
コメントをいただき、ありがとうございます。“哲学”などというものは全くありません。単にズボラなだけです。雨や雪になると、とたんに写欲をなくします。ならば、徒歩ゼロ分のところで、それなりの写真を撮ろうということだけです。
総本家青信号特派員様
昭和44年3月2日に常紋でD51312を撮っていました。KAWANAKA殿や1900生殿も同じ写真をお持ちのことと思います。初めての常紋は、感動的なシーンの連続でした。
西村さんの常紋の写真で印象的なのは、吹雪のなか、先頭D51がアウトカーブにかかり、長編成の貨車が続いて、Sカーブの向こうに補機D51が押し上げる写真がありました。たしか青信号64号にも載ったと思います。
出ましたね。懐かしい常紋。
確かに1900生さん、西村さんとの「寒い中北海道みて歩き」は今でも印象に強く残っています。常紋のロケの労いは瑠辺蘂ユースでのゴーカすき焼きディナーでしたね。翌日は駅頭の寒暖計を見て天候も良いので温いなあと思っていたら「-14℃やんけ!」とびっくりしたこともありました。
小生は総本家青信号特派員さんの2か月後、常紋を訪問しています。金華から信号場まで歩いています。そのときの写真を鉄路輝くに載せていただきましたが、そのときは線路の反対側の山の尾根までクマザサを掻き分けて結局何も撮れなかったことがありました。
・・・と書いているときに広島で大雨のNews。なんと西村氏の地区が緊急安全確保となっています。心配です。ご安全に。
KAWNAKA様
ご心配頂きありがとうございます。団地の下は冠水していますが、無事にデジ青を楽しんでおります。