公開学習会「京電伏見線を中心とした交通の発達」
11月10日のホームカミングデーの集まりは、多くの参加者に感銘を残して、滞りなく終了しました。クローバー会では、会行事へ積極的に会員が参加し、活動を盛り上げているのはもちろんですが、個人やグループ単位での発表・活動にも、会のメンバーが積極的に参画し、活動の盛り上げを図っています。この秋に行なわれた個人・グループでの活動のいくつかをご紹介しましょう。
京都市電に深い愛着をお持ちの勘秀峰さんは、ことし春に、私と一緒に、生まれ育った街〈河原町丸太町〉に特化した写真展を行ない、多くの皆さんに見ていただきました。その後、「伏見チンチン電車の会」の皆さんとも親交を深めることになりました。同会は、日本で最初の電車路線・伏見線を広く顕彰し、記憶の掘り起こしに務められ、講演会、展示会、模型運転会などを通じて地域に貢献されています。このたび同会から依頼を受けて、10月20日に、京都市の伏見区役所の会議室で、公開学習会「京都電気鉄道伏見線を中心とした交通の発達」を開催され、勘秀峰さんは、講師役を務められました。
▲伏見区役所で開かれた公開学習会、約30名の市民が参加され、クローバー会からも聴講に駆けつけた。勘秀峰さんの話は、江戸・明治期の交通史からはじまり、伏見・稲荷線の廃止まで、日ごろから、ミュージアム巡りを欠かさない勘秀峰さんらしく、多数の貴重な写真・資料を上映しながら話は進んだ。
▲伏見区役所4階の会議室前に置かれた伏見線の解説ボード。
ふつう伏見線の開業経緯を述べる時、「内国勧業博覧会が京都で開かれることになり‥‥」ではじまるところを、佐々木さんは、京都~伏見の交通がいきなり始まった訳はなく、江戸時代、伏見は、京と大坂を結ぶ、人・物資の中継地として栄えたことから始めないと、電車の開業の意味はないとして、江戸時代の三十石船、明治の入ってからの蒸気船から始まり、明治10年の京都~大阪の鉄道開通、京都電鉄伏見線の開業、京阪電鉄の開業と、京都~伏見~大阪の交通史の中で語られました。約1時間の話が終わった後も参加者からつぎつぎに手が挙がり、質疑応答がありました。たいへん和やかななかに、参加者の皆さんとともに、知識の共有ができた学習会となりました。▲会議室に置かれたチンチン電車のクラフト模型。同会のイベントでは、子ども達にも楽しめるよう、工作教室も開かれている。
本来なら発表者の私が報告しなければならないところ、
総本家様にレポートいただき、ありがとうございます。
また総本家様には直前のパワポ操作のお願いを快く
引き受けてくださり、本当に感謝しております。
また当日はマルーン会長、ぶんしゅう氏にも聴講
いただき、ありがとうございました。
京電の歴史を、大阪と京都の舟運まで話を広げて
約40分、話をしましたがその後の質疑応答では、
伏見チンチン電車の会の皆さんや総本家様のフォロー
があって、なんとか場を繕うことができました。
私自身、脳出血の後遺症で少し失語症が残っていますが
落ち着いて喋れました。この経験をもとに
さらに京電・市電の知識を身に着けていきたいと思っています。
お世話になりました皆さん、ありがとうございました。
総本家様 勘秀峰様
伏見の交通に関してのご講演、有り難うございました。
熱心な沢山の方々が来られて凄かったですね。ご苦労様でした。
お二人の見事な連係プレー、感心しました。
熱心な京都市電関してのご活動は、次は12月7日、8日の今年三弾目になる上京区役所ですね!楽しみにさせて頂きます。
マルーンさま
先日は、京阪七条のほうへもお越しいただき、ありがとうございました。突然の酒宴への飛び入り参加もしていただき、大いに盛り上がりを見せました。京阪七条が終わると、お書きの上京区へ移ります。勘秀峰さんとのコンビの活動にも、ぜひお越しください。
「個人・グループでも頑張っています!」の第一回をアップしてから、まだ20日ほど、舌の根も乾かぬうちに?またまた、つぎのイベントを行ないます。いま最後の追い込みの最中! 真相は追って発表します!