前にも書いたように、戒厳令下空襲警報が鳴り響く中、降り注ぐウイルス爆弾をかいくぐって長老様の写真を探しに行きました。探していた写真はすぐに見つかりましたが、長老様は次々に写真を出して解説をしてくださいます。どこで撮ったのですか?いつ撮ったのですか?には「あそこや!」「あのときやったな」と仰りまして定まりません。いやいやかまいません。いい材料が見つかりました。と預かり帰りました。いつものように皆様の知見で解決してください。
私が同じグループではないかと思うものはまとめているつもりですが、別のグループだったり、別だと思う車輌が同じ会社だったりすることがあるかもしれません。その時はご指摘ください。
①福井鉄道南越線モハ11‥福武電気鉄道の木造付随車フハ1として、1925年日本車輌で製造。1930年に電装され、デハ6に改番。1947年に合併により福井鉄道となり、モハ11となる。1948年福井地震で被災し車体は焼失するが、同年12月広瀬車輌で半鋼製の車体が新調され、写真の姿になる。
②モハ43‥1931年に加藤車輌で製造された、鯖浦電気鉄道のデハ12で、1947年合併による改番でモハ43となる。以前の投稿で長老様が武生新駅での撮影と記しておられます。
③ク2315‥名古屋鉄道ク2310形2315を1969年に借り受け、南越線に投入。1970年に譲り受け、クハ111となった。番号は2315ですが、福井鉄道の社紋が見えます。社武生
④クハ51‥1940年加藤車輌製の旧鯖浦デハ20で、合併によりモハ51となる。1971年モハ130形の付随車とするため電装解除し、クハ51となる。1971年以降の撮影でしょう。社武生
⑤モハ111 1914年新橋工場で製造された院電ナデ6143で、竣工間もなく称号改正によりデハ6295に改番されます。1926年に目黒蒲田電鉄に払い下げられデハ43となりますが、翌1927年には福武電鉄に譲渡されてデハ5に改番。1933年に廃車されますが、1943年には客車として復活し、スハフ11を名乗る。1948年に再度電装されてモハ111となり、1955年に鋼体化、1975年に事故で廃車となったようです。社武生
⑥モハ111 粟田部駅
⑦デキ3 1951年東洋電機で製造された25トン機で、遠州鉄道のED21 3が前身。1975年に譲受 福武線西武生
⑧デキ2 1949年東芝車両で製造された25トン機。当初三井三池で認可されたものを回してもらい購入 福武線西武生
⑨デワ1 1923年梅鉢で製造された、旧福武のデワ1。1959年に車体・台枠・台車を更新し、写真の姿になる
⑩モハ92‥元南海の電5形116で、1920年川崎造船で製造された木造電車。モハ63割り当ての見返りとして福井鉄道に譲渡され、モハ92となる。1956年に日本車輌で鋼体化改造されてモハ84となるが、旧車体は待合室として転用された。余談になりますが、吉川文夫氏の「譲渡車両今昔」(キャンブックス)に、村国駅で撮影されたモハ81の旧車体が載っています。この車体は1981年の南越線廃止まで残っており、ネットで検索すると出てきます。
北府駅に南海のタマゴ型電車が、待合室として利用されていたことは今回初めて知りました。北府駅
米手作市様
何となくふるさとの匂いを感じた次第です。
乙訓の大老は福井鉄道へのご関心も高くお持ちでしたね。
電関の社紋から福井鉄道ではないかと思いました。そして、1981年廃止された南越線の写真が多いのではないかと思いました。
ところが私には知識がありません。パソコンを動かし分かったところだけです。
南越線の路線図から、10は北府駅、福武口駅と村国駅の間と分かりました。続いて7は電関デキ3ですね。8はデキ2。9は電動貨車デワ1 ここまでで精魂尽き果てました。
後は福鉄の電車かどうか分かりません。お助け下さい。
「北府駅」は「きたごえき」なのですね。北府は「きたご」と読むとは・・・地理院地図で見ると地名にありました。ふりがなで「きたご」と記入されていました。とんでもない難読駅、地名ですね。漢和辞典にも「ご」という読みはありませんでした。調べるのは図書館が開館するまでお預けです。
福井鉄道でしたか!
長老様は「北の方や」とヒントをくれましたが。
それにしても「北府」を「きたご」と読むとは知りませんでした。
これですね、デキ3
えらいきれいですね。塗りたてのホヤホヤですか。いつ頃の写真ですか。後ろのデワ1にクルクルパーがついていますね。さすが雪国!
2005年10月23日にDRFC-OBで撮影旅行に行きました。今見るとぷるぷるさんや湯口さんなどのお元気なお顔が写っています。
ちょっと横から失礼します。
写真3、4,5は南越線の起点社武生駅です。
7,8は福武線の西武生駅(現在の北府(きたご)駅です。
南越線にあった北府の駅名は福武線で復活しました。
石鉄様、
ありがとうございます。書き込みました。
どなたか、車輌についても教えてください!
長老様の写真には、車両番号が写っていないものがたくさんあります。わかりにくいとは思いますが◯◯型でも結構ですからお願いします。
ご無沙汰しております。鉄道ピクトリアルやネットから得た情報ですが、全ての素性が分かりました。10枚全部が福井鉄道の南越線に関連しております。
①モハ11‥福武電気鉄道の木造付随車フハ1として、1925年日本車輌で製造。1930年に電装され、デハ6に改番。1947年に合併により福井鉄道となり、モハ11となる。1948年福井地震で被災し車体は焼失するが、同年12月広瀬車輌で半鋼製の車体が新調され、写真の姿になる。
②モハ43‥1931年に加藤車輌で製造された、鯖浦電気鉄道のデハ12で、1947年合併による改番でモハ43となる。以前の投稿で長老様が武生新駅での撮影と記しておられます。
③ク2315‥名古屋鉄道ク2310形2315を1969年に借り受け、南越線に投入。1970年に譲り受け、クハ111となった。番号は2315ですが、福井鉄道の社紋が見えます。
④クハ51‥1940年加藤車輌製の旧鯖浦デハ20で、合併によりモハ51となる。1971年モハ130形の付随車とするため電装解除し、クハ51となる。1971年以降の撮影でしょう。
⑤モハ111‥1927年に目黒蒲田電鉄から譲受した旧福武デハ5で、いったん廃車となるが1943年スハフ11として復活。1949年に電装・鋼体化してモハ111となる。機関車代用として五分市までの貨車を牽引するが、1976年事故で大破し引退。撮影は1976年以前でしょう。
⑥モハ111‥背景から粟田部駅ではないでしょうか。1971年に粟田部以遠の区間が廃止されました。
⑦デキ3‥1951年東洋電機で製造された25トン機で、遠州鉄道のED21 3が前身。1975年に譲受。
➇デキ2‥1949年東芝車両で製造された25トン機。当初三井三池で認可されたものを回してもらい購入。
⑨デワ1‥1923年梅鉢で製造された、旧福武のデワ1。1959年に車体・台枠・台車を更新し、写真の姿になる。
⑩モハ92‥元南海の電5形116で、1920年川崎造船で製造された木造電車。モハ63割り当ての見返りとして福井鉄道に譲渡され、モハ92となる。1956年に日本車輌で鋼体化改造されてモハ84となるが、旧車体は待合室として転用された。余談になりますが、吉川文夫氏の「譲渡車両今昔」(キャンブックス)に、村国駅で撮影されたモハ81の旧車体が載っています。この車体は1981年の南越線廃止まで残っており、ネットで検索すると出てきます。
北府駅に南海のタマゴ型電車が、待合室として利用されていたことは今回初めて知りました。
紫の1863様
いつもご投稿を頂き有り難うございます。
今回はお助けを頂き御礼申し上げます。お陰様で大変勉強になりました。今後ともよろしくお願いいたします。
マルーン様
雑誌やネットの情報をまとめただけで、お恥ずかしい限りです。
福井は祖父の出生地で、小学二年生の夏休みに急行「ゆのくに」に乗って実家を訪ねたことがありました。福井鉄道に乗った経験はなく、福井駅前で200形連接車を写したのが唯一の接点です。最近になって往年の私鉄に興味を持ち、「ピク」の旧号を買い集めておりましたが、少しでもお役に立てたのなら、これほどうれしいことはありません。
小生の方こそ今後ともよろしくお願い申し上げます。
訂正と追加です
⑦と➇は西武生での撮影ですので、福武線に訂正します。
⑤と⑥のモハ111は1914年新橋工場で製造された院電ナデ6143で、竣工間もなく称号改正によりデハ6295に改番されます。1926年に目黒蒲田電鉄に払い下げられデハ43となりますが、翌1927年には福武電鉄に譲渡されてデハ5に改番。1933年に廃車されますが、1943年には客車として復活し、スハフ11を名乗る。1948年に再度電装されてモハ111となり、1955年に鋼体化、1975年に事故で廃車となったようです。
紫の1863さん
真打ちの登場でデータがまとまりました。
ありがとうございました。
この続きがありますのでさらなるご協力をお願いします。
米手作一様
『真打』とはお恥ずかしい。「見習い」のつもりでおります。
実車を目にしたこともなく、書籍やネットで集めただけのお手軽情報で恐縮です。
ところで③・④・⑤の撮影場所が「武生新」になっておりますが、『石鉄』様のコメント通り「社武生」が正しいので、恐れ入りますが訂正していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
いささか出遅れてしまいました。⑦福井のデキ3の前身は遠州ED213ですが、その遠州での兄弟分ED211をご紹介します。昭和46年11月23日西ケ崎駅側線での撮影です。デキ3と同じく昭和26年東洋電機・日本鉄道自動車工業製の兄弟分です。デキ3は遠州に来る前は名鉄デキ111でした。運転台の窓が2枚と3枚の違いはありますが、全長、重量などは同じです。
西村雅幸様
広島方面も大変なことと思います。そんな中有り難うございます。
「ひゃー、出たぁ!」というのが正直な感想です。
資料を見ますと、この車両は名鉄でそして遠鉄へと書かれていますが、遠鉄での兄弟分の活躍ぶりを見させて頂き、感慨無量です。
お互い体には気をつけましょうね!