こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑩

先週、自粛後に初めて梅田へ行って来た。ほかの府県へ行ったのは約二ヵ月ぶりだった。いつもと変わらない人出で、賑やかな街は、年寄りが行ってもやっぱりいいものだ。活動自粛のあとの初撮影は、今までの撮影の勘を取り戻すための“復習”として、梅田から十三大橋を歩いて渡り、淀川の右岸にやって来た。梅田のビル街をバックに、トワイライトタイムの阪急電車の撮影から復帰することにした。

やっと日常生活が戻って来ましたね。皆さんも活動を再開されたことと思いますが、私も先週あたりから、巣籠もり生活を終えて、そろりと活動を再開しました。“新しい生活様式”が求められていますが、私の場合は、以前と変わりません。公共交通と自分の足だけで撮影地に向かい、自分の求めるテーマだけを撮って、すぐ戻る、年齢に応じた活動ですが、やっぱり外はいいですね。本日から府県を越えた移動もできるようになりましたが、すぐに遠方とは行かず、もっぱら今までも行ったことのある近郊の撮影地へ“復習”に行っています。自粛後の“こんな時こそ”シリーズを二ヵ月半ぶりに再開することにしました。

梅田から中津を越えて、十三大橋の南畔へ。淀川橋梁を渡る阪急電車を、フェンスの間から、神戸線上り限定でとらえられる。建造後16年が経過し、後継形式も出て、少し影の薄くなった9000系の第一編成をとらえる。

十三大橋の途中から、隣を行く阪急電車を流し撮りしながら対岸へと歩いて行く。阪急十三側の対岸へ渡ると、10分ごとの3線同時併走シーンもとらえられる。

電車を撮っている間は曇っていたが、夕方が近づくと、雲も切れて、期待を抱かせる空になってきた。日没は19時ごろ、6月の日没時の太陽の方位は300度ぐらいあって、どんな感じで淀川鉄橋の背後に沈むのかも確かめたかった。結論、背後ではなく、十三のネオン街の向こうに没することが分かり、この時期の夕陽目当ては難しいことが分かった。空の明るさが消えて闇に包まれる頃の時間帯、梅田のビル群を眺める。一見、いつもの“夜の街”に見えるが、過去の同一地点(下)と比べると、照明がウンと少ないことが分かる。ビルの窓にすべて明かりが灯るのは、いつ頃になるのだろうか。川面にもビルの明かりが反射していた、自粛以前の梅田(2016年12月)。

 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ⑩」への8件のフィードバック

  1. 一人コメントします。この写真を撮ってから、一ヵ月近くが経ちましたが、これ以降、私はまだ府県を越えて大阪へは行ったことがなく、もっぱら近くばかりで活動しています。それはそれで意味のあることと思いますが、いったん自粛癖がついてしまうと、遠方へ出掛けたい意欲が出てきませんね。気持ちのうえにも老化の兆しが出てきているのではと危惧しています。

  2. 総本家青信号特派員様
     久しぶりの梅田の風景を見て、今まで当たり前の風景が新鮮で、そして懐かしく感じています。有り難うございます。
     梅田があんなに静かだったのは、その昔昭和50年頃ゼネストが行われた頃以来かもしれません。このウィルスで鉄道会社の経営は大変だと思いますが、人の動きがなくては運輸業は成り立ちませんものね。
     2003年に8000系以来の新車投入が9300系の京都線特急車でしたね。運用を聞いて昼休みに十三まで行って9300初乗車、梅田までの僅かな時間を楽しみました。あれが16~17年前になるんですね。
     神戸線に9000が投入されたのが京都線に遅れること3年2006年7月でした。ロングシートとはいえ窓が大きく、ちょとゴージャスな感じがしました。その後の1000系1300系が勢力を増大させていますが、ロングシートの端の間仕切りが大きくその閉塞感が強いことと、3連の窓の窓回りの仕舞いが木目でないこと等私は9000系の方が好きです。(子供みたいですね)
     今後新車投入のスピードが遅れていく可能性が心配です。
     
     

    • マルーン様
      マルーンさんならではの梅田、9000系の思い出を聞かせていただきました。撮影してから一ヵ月が経過していますが、私はその後、梅田へは行ったことがありませんが、もう普段どおりの夜景が見られているかも知れません。この間の運輸業の打撃は前代未聞のものがありましたが、つくづく鉄道は“人が乗ってナンボ”のものかを痛感しました。
      9000系については、京都線ユーザーからすると、まだ9000系に乗っても新鮮な感じがしますが、もうすっかり中堅どころになりました。クロスの9300ではあまり感じませんが、ロングシートの9000に乗ると、窓の大きさ、ゴージャスな窓框は、さすが阪急と感じさせます。

  3. 総本家青信号特派員様
    大都会のビル群を背景にした阪急電車いいですね、田舎に住んでいる者にとっては羨ましい光景です。名張に住んでいると何故か梅田近辺が非常に遠い地に思えます、今週初めからテレワークも解除となり、東大阪までの通勤が始まりました。確かに最近は出掛けるのが少し億劫になってきていましたが、体を慣らしながら久しぶりに出掛けてみたい場所です。1967年に三複線を取って以来半世紀ぶりになります。当時またまたバカチョンで撮った写真が出て来ました、P-6も元気な頃です。

    • wakuhiroさま
      思い出写真、ありがとうございます。この場所は、私も写した十三大橋のたもとですね。いまは、電線などが密集して、神戸線しか撮れませんが、当時は、京都線もきれいに撮れたのですね。私も、この自粛期間、梅田はずいぶん遠い他府県に映りました。泊まりがけの遠方は、今でも躊躇していますが、来週は7月ですから、そろそろ再開したいと思っています。

      • 今でも同じ場所から撮れると思っていましたが無理ですか、十三側からビル群バックがお薦めですね。

    • wakuhiro様
       懐かしいシーンですね。
      側面の列車種別表示板が印象的です。行先表示板が角形ですから普通車、それも6連、67年であれば北千里へ延伸後した後の北千里発梅田行きでしょうか?
       その頃の京都線は十三~梅田間は600ボルト。P-6は重い車体を力一杯ゆっくり、ゆっくり走っていましたね。神戸線や宝塚線の快走ぶりが羨ましかった思い出があります。

      • 最初京都線に乗ったときは600ボルトとは知らず、なんで京都線だけこんなに遅いねん!と思いました。重い電車がゆっくり走るのもいいものです。

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